第5話 楽しくない外回り

 現役JKと心地よい汗を流した翌週、再びサラさんが終日不在となる日があった。

 そして、案の定、俺には再び単独での外回り業務が申し付けられる。


 その内容も以前と同様で、書類の受け取りおよび様子伺いというものだったのだが……今度は指示書の注記ではなく、カメさんの忠告によって不安を掻き立てられる。


 曰く、サラさん以外が訪問すると相当にアタリが厳しいらしく、かつて彼も酷い目に遭ったのだそうだ。

 ……おそらく何らかの怨恨だろう、というのが元刑事の見立てだ。


 つまり、今度のクエストは何らかのイレギュラーが想定されるわけではなく、訪問前からハードな状況となるのが確定事項。


 少なからず足が重くなった俺は、公共交通機関ではなくタクシーで訪問先に向かうことにした。


     ◇


     ◇


 京都市北東部に位置するその禅寺は、紅葉の名所として結構有名であると同時に、都の『鬼門』を守護する役目も担っている。


 当然、そんな都市規模の管理業務は中央マターなのだが、それでも関西支局としては異変がないか常に把握しておく必要がある。


 そんなわけで、俺は閑静な住宅街を縫う参道を抜けて、厳かな空気漂う山門の前に立ったのだが……


「……報告だ。万事一切、問題無し」


 そこで待ち構えていた禅僧は、俺の顔を見るなり『万事一切、問題無し』とだけ書かれた半紙を突きつけてくる。


 ……この程度の遣り取りをわざわざ紙ベースでしているのは、不正や隠蔽を防ぐためにサラさんが導入したルールだ。


「はい、たしかに受領いたしました。それでは、失礼しま……」


 隅に押印された魔法陣により報告が真実であることを確認し、俺はそそくさと退散しようとしたのだが……素早く背後に回り込んだ禅僧は、いつぞやのパイセンのように馴れ馴れしく肩を組んできた。


 ……残念ながら、その目は全くもって笑っていないが。


「貴様、新人だろう? 折角来たんだから、座禅でも体験していくがいい」


 禅僧が空いた手をスッと上げると、山門の陰から八角棒を手にした仲間がゾロゾロと現れる。


 ……果たして、本当に座禅体験で済むのだろうか。


     ◇


     ◇


 連行された拝殿にて取り行われたのは、たしかに座禅ではあった。

 ただし、壁際に並ぶギャラリーたちは正に仁王のような顔で俺を睨みつけており、件の禅僧は初めから真正面で警策を振りかぶっているという厳戒体制。


 そんな苦行が小一時間ほど続いたのち……俺の脳天を狙い澄ましていた警策は、へし折るがごとき勢いで板の間に叩きつけられた。


「……全く、小賢しい奴だな。さっぱり雑念は消えておらんのに、姿勢だけは一向に崩さんとは」


 まるで唾を吐き捨てるかのような台詞を合図に、周囲のギャラリーたちはゾロゾロと拝殿から去っていく。


 それと合わせて俺も目を開き、合掌しながら深々と頭を下げる。


「すみません、もっと精進いたします」


 ……雑念だらけでもポーズが乱れないのは日々の精進のおかげだが、いつも雑念まみれなのは日々の精進のせいだと思う。


 ともあれ、俺は禅僧に差し出された手拭いを受け取って、いつの間にか汗塗れだった顔を埋めた。


「そうだな、精進せよ。まぁ……貴様に最低限の真面目さがあるのは認めてやろう。あの道玄めが何処ぞで拾ってきた小僧かと思っていたが、どうやら貴様は違うようだな」


 ……こんなにもアタリが厳しいのは、あのパイセンのせいかよ。


 無論、俺はべつにパイセンの弟子ではないのものの、すでに何度かメシを奢ってもらっているので全く関係ないとは言い難いが。


「ふっ、まぁいい。もし急ぎでないのなら、今しばらく付き合え。少し話をしてやろう」


 そう言って襖を開けた禅僧は、俺の返事も聞かずにスタスタと廊下を歩いて行く。


 ……どうやら、こうやって各訪問先の話を聞くのは必須の仕事らしい。


     ◇


 俺が再び連行された竹林には、一抱えはあるほど大きな岩がいくつも並んでいた。

 そのうち一つに促されるまま腰掛けると、禅僧さんは竹筒に入った清水を振る舞ってくれる。


 しばらく互いに無言のまま、微かな葉擦れの音を聞いていると……木漏れ日の先を見上げた禅僧さんは、おもむろに口を開いた。


「私は代々続く別の禅寺の生まれなのだが、生憎と異能の才に恵まれなくてな……どうした、意外だったか?」


 てっきり異能で雑念なり煩悩なりを覗かれていたと思っていた俺が驚きを顔に出すと、禅僧さんは口許をニヒルに歪めてフッと笑う。


 ……たしかに、言われてみれば異能を知る者が全員異能者だとは限らないわけか。


「まぁ、そんな事で私の信心が揺らぐわけではないが……さすがに、道玄の奴めの所行を間近で見せられては、どうしても嫉妬と怒りが抑え切れなかった。いや、やはり私も信心が足りぬという事か」


 何でも、年端も行かぬパイセンは此処の修行場を遊び場にして勝手に異能に開眼し、それなりの歳になった頃には中央の『明王護国衆』から熱烈にスカウトされていたらしい。

 で、そこでも異例の早さで中枢メンバーに選出されるも、色々と面倒臭くなってトンズラをかましてしまい……そして、現在はあんな有り様とのこと。


 どこか遠い所の存在ならともかく、そんなヤツに目の前でチョロチョロされたら誰だってイラついて当然だろう。


「……つまらぬ話を聞かせたな。それで、貴様はどんな異能を持っているんだ? あの方のお眼鏡に叶ったともなれば、相応の血筋の生まれなんだろう?」


 先日の宮司さんといい、サラさんを『あの方』呼ばわりする理由を聞いてみたいところだが……ひとまず、俺は自身の数奇な運命を聞いてもらうことにした。


     ◇


 一通りの話が終わった後に禅僧さんが口にした質問は、実に今更なものだった。


「話を聞く限り、随分と状況に流されたところが大きいように感じたが……実際に働き始めた今、この仕事のことをどう考えているのだ? 貴様ならば、此方の世界に関わらず真っ当な仕事に就くことも出来るだろう?」


 まさか採用後に志望動機のようなものを聞かれるだなんて思ってもみなかったので、当然ながら俺は模範解答など用意していない。


 なので、先ほどの座禅体験を回想しつつ、正直な気持ちを思うがままに吐露する。


「こんなに好奇心が刺激される仕事なんて他に考えられないので、可能な限り続けようと思っていますよ。もちろん、待遇だの何だのといった点も大きいですが、それよりも自分が今まで全く知らなかった世界を見られる事が……」


 正にその世界で挫折を味わった彼にいう事ではなかったかと思い、俺は遅ればせながらも慌てて口を噤んだ。


 しかし、彼はむしろ喜ばしいような顔をして、パイセンと同じように親愛のバイブスを発しながらガシッと俺の肩に腕を回す。


「貴様、その感情を卑下する必要はないぞ。世界の事……相手の事を知りたいと思うのは、ある意味では信心にも通じる純粋な気持ちだからな。若いうちから安定だの平穏だのと言い出すよりは、よほど健全だと私は思う」


 わざわざ『世界』から『相手』に言い換えられたことで、俺の脳内にあった漠然としたイメージも何処かの誰かに具体化されていくが……まぁ、それだって健全なことなのだろう。


 説法がちゃんと俺の心に沁みたと察した禅僧さんは、腰掛けていた岩から降りて俺の正面で腕を組んだ。


「すっかり話が逸れたな。さて、そろそろ貴様の異能を見せてみよ。私自身には才がないぶん、興味だけは人一倍あってな……」


 少し子供っぽい目の輝きを見せた禅僧さんに和んだ俺は、岩の上に堂々と立って成長過程の【手長足長】を披露した。


     ◇


 ……しかしながら、それは何故か恐ろしくウケが悪かった。


「あぁ、うん……なるほど。異能の才がない私に詳しい事は分からんが、少なくとも単なるテレキネシスではないの確かだな……」


 才はなくとも何かが視えたらしい禅僧さんは、歯切れ悪く感想を述べると直ぐに【手長足長】の発動を止めさせた。


 そして、俺の身体をペタペタの撫で回すようにして、何やら念入りに調べ始める。


「まぁ、あの方がなさっている事だから、決して間違いはないと思う。しかし……まぁ、うん。そうだな……私に言えるのは健康に気をつけろという事と、何か困ったらいつでも相談に来いという事だな」


 あの方が楽しそうだったので、全部お任せにする気だったのだが……俺の【手長足長】がどんな魔改造をされているのか、いい加減ちゃんと聞いておいたほうがよさそうだ。

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