第2話 局長特別補佐の初日 p.m.
初日から午前中丸ごとダベりに費やすという失態を犯した俺は、深く項垂れたままサラさんに連行されることとなった。
しかし、オフィススペース奥の扉を開けた先にあったのは、圧迫感のある説教部屋……ではなく、ファミリータイプのマンションのような空間だった。
「もうすぐ出来上がりますので、そこに掛けて待っていてください」
俺をリビングっぽい部屋のテーブル前に座らせた彼女は、パンツスーツの上にエプロンを着けて対面型キッチンへと向かう。
どうやら、お仕置きではなく手料理を振る舞ってくれるらしいが……ランチメニューを楽しみにするより、まずはきちんと謝罪せねばならないだろう。
「あの、今日は初日早々……」
「いえ、初日早々仲良くなられたようで何よりです。私は外回りに出ることが多いですから、当面はあんな風に彼から色々と教わってください」
カウンターの向こう側の彼女は無表情ながらも特に気分を害してはいない様子で、どうやら本当に謝罪しなくていいらしい。
それでも頭を一度深く下げた俺がテーブルに戻ると、彼女はスパイスの香り立ち上る鍋を掻き混ぜながら言葉を続ける。
「特別総合職で局長特別補佐のタクマさんには、基本的に午前は事務仕事、午後は近場の外回り業務を受け持ってもらおうと考えています。まぁ、実際に外に出てもらうのは少し先の話になるでしょうが」
そう説明しながらリビングに戻って来たサラさんの手には、出来立てホヤホヤのキーマカレーが二皿。
壁際に無言で佇む老執事がいなければいいのに……と失礼な事を思いながら、俺は対面に座った彼女に向けて両手を合わせた。
◇
「う、うっま……」
思わず語彙不足な感想を漏らす俺に少しだけ満足そうな顔をしたサラさんは、皿が空になるなり即座に大盛りのお代わりをよそってくれた。
そして、自身はハーブティーのようなものを上品に傾けながら、今後の予定についての説明を始める。
「これからしばらく、タクマさんには私の指導の下で異能の強化に励んでもらいます。たとえ単純な連絡業務であっても、あまりに実力が低いと先方に舐められてしまいますので」
社会人にもなって舐めるだの舐められるだの話が出たことに一瞬驚くが、よくよく考えてみれば仕事が出来る出来ないで扱いが変わるのも当然の話だろう。
俺は口をモグモグさせながらも、少し顔を引き締めてコクリと頷く。
「そういうわけでして、申し訳ありませんが当面の間は外で昼食を摂らないでください。私の拙い素人料理ではご不満がおありかもしれませんが……」
むしろ願ってもないだとブンブン首を振ろうとしたところで、俺は彼女とのランチが業務の一環である事を理解した。
遅ればせながら気づいたが……このキーマカレー、ただ美味いだけじゃないぞ。
「これから毎日お出しする料理には、本日のように生命エネルギーを高めるダンジョン食材を多用する予定です。その反応は正常に効果が現れている証拠ですから、お気になさる必要はありませんよ?」
ダンジョン食材なる気になるフレーズが飛び出してきたが、そんな事より身体の一部を隠す必要があった俺は慌てて上体を倒す。
……生命エネルギーが過剰な際の対処法はイオリに聞いているが、だからといって今からトイレを貸りるのはナシだ。
「では、私はこのあとの『実技』の準備をしてきますね。そちらを全部食べ終わりましたら、バスルーム手前に用意してある服に着替えてから隣の部屋に来てください」
そう言い置いて隣室へと向かうサラさんの残り香から、彼女も俺と同じ物を食べていたという事実に思い至った。
不埒にも、何処かで耳にした『房中術』というフレーズが脳裏を過ぎるが……
「……まさかな」
皿を洗いたいから早く食えという老執事のプレッシャーを受けた俺は、浅ましき煩悩を振り払って残りのカレーを掻き込んだ。
◇
◇
かなりの時間をかけて半分ほど昂りを落ち着かせた俺は、着替えを済ませてからサラさんが消えていった部屋へと向かう。
その扉を開けた先に広がっていたのは、ダブルベッドが鎮座する薄暗い寝室……ではなく、一面の壁が鏡になったダンススタジオのような空間。
……まぁ、貸し出された衣装がスポーティなTシャツ短パンだった時点で、大凡の予想はついていたさ。
「いらっしゃいましたね、それでは早速始めましょう。どうぞ、そこの床に楽な姿勢でお座りください」
そう言って俺を出迎えたサラさんもまた、先ほどまでのパンツスーツではなくスポーツウェアに着替えていた。
……ただ、それは肌に密着するサイズのタンクトップとスパッツで、下手なセクシー衣装なんかよりも遥かに目に毒。
本当ならば彼女の座禅っぽい座り方に倣うべきなのかもしれないが、俺は諸事情により体育座りで失礼させてもらうこととする。
「さて、これからのタクマさんの育成方針ですが……最初に目覚めたサイキック系を伸ばすのではなく、幅広く様々な異能を身につけていただこうと考えています」
彼女曰く、サイキック系は信仰心なしに力を発揮できる代わりに、他の異能と比べてかなり燃費が悪いとのこと。
また、宗教関連の異能に複数手を染めるのは基本的に異端視されるそうだが、この仕事においては各得意先との話の種にもなるというメリットもあるらしい。
構いませんか?と聞かれても俺には前提の知識が何もないので、彼女のことを信頼して頷くより他にない。
「ご了承ありがとうございます。また、それと並行して【手長足長】にも大幅に手を加えさせていただく予定ですので、どうぞお楽しみに。私の思惑どおりにいけば、間違いなく日本屈指の……いえ、きっと世界にも……」
……べつに俺は日本一も世界最強も目指していないのだが。
そうは思ったものの、眼鏡越しの瞳を楽しそうに輝かせてブツブツ呟き出した彼女を前にして、俺は撤回の言葉を紡ぎ出すことはできなかった。
◇
そんな分かったような分からないような解説が終わると、いよいよサラさんによる異能の個人レッスンが始まった。
俺と彼女が向かい合う形で立ち上がると、それぞれの足元にフェニキア文字が刻まれた魔法陣が展開される。
……先日からソレっぽい予習をしていたので、読めなくても何の言語かは分かるのだ。
「今日のところは、異能全般の基礎です。私のポーズと呼吸法をよく見て、出来る限りで結構ですから真似してみてください。まずは、ヨガの『月のポーズ』をしながら道教の『胎息』を……」
手を合わせて背伸びをするような姿勢となったサラさんは、少し身体を横に傾けながら呼吸音を極々か細くさせる。
……真似できそうなポーズと呼吸法だったのは良いが、初っ端から異端思想全開だな。
「続いて、この『胎息』を維持したまま『木のポーズ』です。バランスをとるのが少々難しいですが、タクマさんも出来ますか?」
そう問いながら身体を垂直に戻したサラさんは、片脚を上げて足裏を反対の内腿につける。
……これはグラつかずに立つの自体厳しいし、そのうえ呼吸まで意識するのは無理だ。
「次は『山のポーズ』です。これは簡単ですから、その代わりに自分の中の生命エネルギーを意識してみてください」
今度のポーズは、いわゆる普通の『気をつけ』だ。
もちろん、俺にも当たり前にできるので、目を閉じて生命エネルギーとやらに意識を傾けてみる。
……何となくだが、カレーの成分が血管の内部を駆け巡っている気がする。
「その次は『上向きの弓のポーズ』です。これは初めてでは難しいでしょうから、タクマさんは見ているだけで構いませんよ?」
そう言ってサラさんが繰り出した次なるポーズは、簡単に言えば急角度な後方ブリッジのような感じだった。
俺は言われたとおりにじっくり観察しようとするも、そんなポーズを薄着の女性がすれば各所が大パノラマに強調されてしまうわけで……
「す、すみません。ちょっとペースを落としてください!」
生命エネルギーの流れを即座に滞らせた俺は、泣き言を漏らしつつ体育座りに戻った。
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