第7話 掴み取る可能性

 ……血の色に染まった空の下、地獄の底で巨大な鬼と殴り合う。


 ほんの半月前には想像だにしていなかった状況に、俺は乾いた笑いを零しつつも両手に硬く拳を作った。


「サァ、来イヤァッ!」


 この姿のほうが殴り易かろうと赤鬼の顔に戻ったパイセンが、両手を掲げるノーガードの体勢で俺を挑発……あるいは、鼓舞する。


 未だ常識の軛から逃れられていない俺としては思う所もあるが、事ここに至っては彼の心意気に答えるしかない。


「破ァッ!」


 比喩でも何でもなく、助走をつけて殴る。

 分厚い腹筋は俺の思いの丈を丸ごと受け止め、その反動を俺の手首に余す事なく伝えてくる。


 ……殴る方だって痛い、そんな在り来りな言葉が脳裏を過ぎる。


「オラ、ソンナモンカァッ?」


 激励とともに放たれた頬への平手打ちによって、俺の視界に無数の星が飛び交う。


 ……殴っていいのは殴られる覚悟があるヤツだけ、そんな当たり前の真理を痛みによって理解させられる。


「うらぁっ!」


 がたつく歯を食い縛って、パイセンの顎に向けて拳を突き上げる。

 しかし、その丸太のような首は僅かたりとも揺れ動かず、お返しとばかりに先とは反対側の頬に紅葉模様をスタンプされてしまう。


 ……実際にやってみて、心の底から実感。根本的に、俺は殴り合いには全く向いていない。


     ◇


     ◇


 ジャブ、フック、正拳突き。

 肘打ち、膝蹴り、ショルダータックル。


 思いつく限りの技を試し終えたときには、俺の顔面はパンパンに腫れ上がっていた。


「い、痛てぇ……」


 とうとう後ろ向きに倒れて大の字になった俺は、自身の身体の状態を確かめてみる。


 どういう理屈か脳を揺らさぬようにしてくれていたようで、ただ顔面の皮膚表面だけが燃え上がったように熱い。

 その一方で、上下する胸の中心では、未だ原始的な熱が渦巻いているようにも感じる。


 しかし……


「……へっ。ま、こんな所か」


 やる気は残っていても限界だと判断したのか、パイセンは顎を摩りつつ胡座を掻いた。


 ……その表情は期待どおりに頑張った事への賞賛のようでもあり、期待以上には頑張れなかった事への軽い失望のようでもある。


「世の中の人間にゃ、当然いろんなヤツがいる。修羅場でこそ燃えるヤツもいれば、逆に安全圏でこそ力を発揮するヤツもいるようにな。これからの仕事だって色々なのがあるんだから、お前はそのままでいいと思うぜ?」


 ポケットの中の『御神酒』に震える手を伸ばしていた俺の胸の裡に、パイセンの台詞がナニカの歯車のようにカチンと噛み合う。


 ギリギリまで追い込まれるよりも、プレッシャーのない場面のほうが頑張れる。

 これまでの経験からして、正しく俺はそういうタイプなのだろう。


 だが、しかし……


「さ、ぼちぼち帰ろうぜ! コイツらが目を覚ますまで、俺の武勇伝をたっぷり聞かせてやるよ」


 屈み込んだパイセンの足下で、グッスリと眠りこけている二人を見る。


 真っ当に暮らしていればまず出会わないであろう、『誰かを守るために命を懸ける』というシチュエーション。

 そんな状況にいきなり直面して、まるでフィクションに生きるヒーローような行動が出来た彼らを……心の底からカッコいいと思ったのも事実。


 そう考えたとき、胸の裡で渦巻く熱がナニカの歯車を回し始めたのを感じた。


     ◇


 『ソレ』が出来るのではないかと思ったのと同時に、俺は何故か『ソレ』が出来ると確信していた。


 そして、内なる声に導かれるがままに上体を起こした俺は、尻を着いたままの姿勢で乱雑に拳を振るう。


「ぐわっ!」


 ヤンキー座りだったパイセンは横っ面に不意打ちの衝撃を喰らい、ゴロンと一回転してからヘッドスプリングで跳ね起きた。


 本日初めてパイセンに土を付けたのは……言うまでもなく、俺に目覚めた異能。


「ほぉ……お前は【テレキネシス】かよ。威力は生身と変わらねぇが、きっちり形になってるじゃねぇか」


 唇を親指で拭ったパイセンの視線の先を辿れば、俺の視覚以外の感覚が自分の異能の姿を捉えた。


 ……それは両の肩口あたりから3メートルほど伸長した、生身と連動するヒョロく長い『不可視の双腕』。


「やったじゃねぇか! じゃあ、お前も一応成果を出せたことだし、そろそろ帰るか?」


 そうは言いつつも、すでにパイセンは再び赤鬼へと身を変じている。

 そして、アズサとイオリが寝ている場所から離れ、ニヤリと笑って俺のほうに向き直った。


 どう見ても選択肢など用意されていないようだが……無論のこと、俺だって望む所だ。


「……いやいや。まだ殴り足りないんで、第2ラウンドお願いしまっす!」


 ついに非現実の住人となった高揚を胸に、顔がパンパンに腫れた俺は再び立ち上がる。


     ◇


     ◇


 真っ向勝負という様相は第1ラウンドと同じだが、その展開は殴り合いとは言えない。


 俺は新たな腕の長さのぶんだけ手前から拳を振るい、パイセンは俺の異能を適当にあしらいつつじっくりと観察している。


「……ほぅ。初めてのくせに、やたらと安定していやがるな。覚えたてなら力場がもっと靄みたいになるはずなんだが」


 先ほどパイセンが言ったとおり威力は生身と変わらないらしく、顔面に拳型の力場とやらを叩き込んだところで瞬きすらさせられない。


 これは……サイキッカーとしての才能があるのかないのか、一体どっちなのだろうか。


「逆に、形は変えられねぇのか? テレキネシス主体のサイキッカーは、大抵ブレード型とか砲弾型とか使い分けるもんなんだが」


 そう言われて試してみようとするも、やり方がさっぱり不明だし成功するイメージもさっぱり湧かない。

 ついでに伸ばしたりだとか本数を増やしたりだとかも検討してみるも、感覚としては全く同様で実現の可能性を一切感じない。


 所詮、俺はエリート家系の異能者じゃないわけだし……まぁ、こんなモノなのだろう。


「なら、生身の腕と連動させずに操作するのは無理か? そのまんまだと、利口なヤツを相手にするときには狙いがモロバレだぞ」


 同じく試そうとしたところ全く出来なかったが、こちらは何となく訓練すれば出来るようになる気がする。

 また、触覚や痛覚などは存在しないが、出力は生身の腕の筋力に連動しているっぽい。


 まぁ……才能だけではなく努力も大事という摂理は、異能の道においても同じということか。


「なるほどな、どうやらお前は『自分の腕』っていう先入観が強いみたいだな。コイツに目覚めた理由は、おおよそ『己の手で可能性を掴み取りたい』とでも願ったからか?」


 見えない両の拳を手の平でガッチリと掴み取ったパイセンが、ペロリと舌を出して冷やかすように笑う。


 たぶん、実際には『安全圏からブン殴りたい』という邪なる願いの発露だと思うが……まぁ、それは言わぬが花だろう。


「……それじゃあ、この俺がお前にさらなる可能性を掴み取らせてやるぜ!」


 何やらすっかりテンションが上がってしまったパイセンは、掴んだ拳を放り出して人差し指と中指で天を指した。


 すると、その延長線上の宙空に小さな灯火が現れ、それはみるみるうちに煌々と輝く巨大な火球へと成長する。


「今度のはさっきみたいに温くねぇから、本気で気合い入れろよ!」


「ちょ、待っ……」


 そして……背を向けて逃げ出す俺に恒星が堕ち、辺りは赤一色に染まった。


     ◇


     ◇


 その後、俺たち三人が意識を取り戻したのは、宿坊の布団の中でのことだった。


 正に夢現と言った状態のまま、パイセンに案内されて食堂へと移動。

 そして、周囲の僧侶が複雑な表情を浮かべる中、テイクアウトの朝牛を平らげる。


「さて……じゃ、とりあえず落ち着いたところで、アズサとタクマにはコイツを書いてもらおうか」


 そう言ってパイセンが空き容器と交換したのは、冒頭に『異能者登録申請書』と書かれた用紙。

 俺もアズサもさっぱり落ち着いていないものの、条件反射的に黙って目を通す。


 ……なるほど。申請先が『特殊事案特別対策局』になっているのだから、こういうのを受け付けるのも俺たちの仕事になるわけか。


「名前だの住所だのは説明いらねぇだろうから、大事なのはココだけだな。アズサのほうは慣例どおり気功術系の【闘気操法】でいいだろうが、タクマのアレは【テレキネシス】で登録するには何かポンコツだしな……」


 パイセンが異能の登録名の記入欄で悩み出したのを見て、未だ状況がよく分かっていないはずのアズサとイオリが実に不穏な笑みを浮かべる。


 おい、待て。公的っぽい書類で、そのノリは……


「僕だけ仲間外れみたいだから、せめて名前くらいは考えさせてもらおうかな」


「そうですね。折角ですから、みんなで意見を出し合って多数決で決めましょう」


 ふと前を見れば、悩み込んでいたはずのパイセンもニヤニヤと笑っている。


 どう見ても評決前から1対4の情勢に、俺は畳に差す朝陽の中に突っ伏した。

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