第6話 燃え上がる生命
俺たちの狙いはパイセンが来るまでの時間稼ぎであるから、戦闘を決断した二人もいきなりは攻め掛からない。
浮島の中央から5メートルほど手前の位置で足を止めたイオリが得物を構え、その左斜め後方でアズサが細く息を吐く。
「……オゥ、ヤル気カ?」
一方、やるしかない状況を作った当人のほうは、腰掛けていた井戸からのっそりと立ち上がりつつ赤い舌を覗かせる。
……大いに慢心はあれど、そうさせるだけの実力を備えているのも間違いないだろう。
そして、いよいよ戦いの幕が上がる。
◇
「はぁっ!」
裂帛の気合いとともにイオリが繰り出した初撃は、順手に握った左のトマホークによる突きに近い面打ち。
続いて、逆手に握った右のトマホークを鉤突きのフォームで振るい、赤鬼の膝から下辺りを狙う。
しかし……
「オイ、当テル気アルノカ?」
どちらも放たれる前から見切っていたらしい赤鬼は、必要十分な距離だけ後退してやり過ごす。
反撃の平手打ちは……アズサが踏み込む素振りを見せた事で中断させたか。
……元よりイオリも様子見のつもりだったようだが、それでも赤鬼の余裕っぷりは想像以上だったようだ。
「せいっ!」
それゆえか、イオリは早くも攻め方を一変させる。
左のトマホークの持ち手を刃の根元まで滑らせて盾と成しつつ、右のトマホークを投じながら突貫。
空となった手は即座に拳を形作り、腰の横で弓のように引き絞られている。
「オッ……オォッ?」
赤鬼は顔に迫るトマホークを上体を反らして躱し、戻る勢いを利用してイオリに頭突きを喰らわそうとする。
……が、そのときにはアズサが素振りではなく本当に踏み込んでおり、ヤツの脇腹目掛けて斬り上げを放つ構えになっていた。
つまり、二方向からの同時攻撃。
これは……絶対、どちらかが入る!
◇
信心の欠片もない俺の祈りは確かにナニカに届き、アズサとイオリの攻撃は両方が赤鬼の胴体に直撃した。
しかし……
「……マジかよ」
それらは灼けた鉄の色をした皮膚を食い破るどころか、ヤツに体勢を崩させるにも至らなかった。
……いや。アズサの長巻のほうは、さすがに一筋の傷を刻んでいるか。
ともあれ、筋肉の弾性で弾き飛ばすかのようにして、二人に間合いを取らせて仕切り直す事を強制してしまう。
「ホォ……嬢チャンハ『闘気』ヲ覚エタカ」
そして、赤鬼は即座に追撃をかけてくると思いきや、僅かにでも手傷を負った事に目を丸くして驚いている。
……どうやら、アズサは念願の異能が目覚めたらしいが、当然ながら全くもって喜べる状況ではない。
「兄チャンハ、チョット気合ガ足リネェナ」
イオリも同種の異能が萌芽していることを示唆されるも、苦虫を噛み潰したような顔で赤鬼の凶相を睨み付けた。
……それが完全に芽吹いたところで、きっとヤツの腹筋を貫くには至らないのだ。
◇
◇
「せいっ!」
「はぁっ!」
もはや破れ被れといった様子で、アズサとイオリは二人同時に激しく攻め立てる。
一方、赤鬼は余裕綽々といった表情で、それぞれの攻撃を片手で捌き続けている。
三者の攻防は目にも止まらぬスピードというほどではないのだが、俺は文字どおり座視することしか出来ない。
時間稼ぎという俺たちの目的は達せられているが、赤鬼が遊ぶのを止めた瞬間に破綻する均衡なのだ。
そして……その瞬間は、ほどなくして訪れた。
「ソロソロ、コッチカラモ行クゼ!」
赤鬼の宣言とともに凶悪な両拳が燃え上がり、そのまま二人に向けて乱暴に振り回される。
アズサは長巻の柄を挟み込むことに成功するが、イオリは左前腕でのガードとなってしまった。
相変わらずの手加減で、骨を砕くほどの威力ではなかったものの……当然、引火。
「うわぁっ!」
「イオリさん?!」
ガードの瞬間に本人も覚悟していただろうが、現実に炎上した左腕にイオリは恐慌状態に陥る。
それを見たアズサも得物を取り落としかねないほど狼狽え、そんな巨大な隙が見逃されるはずもなく……
「ハイ、オ疲レサン!」
腹部に打ち込まれた足刀によって、二人は俯せで地に伏した。
◇
そんな二人を助けに向かう事なく座ったままの俺に向けて、赤鬼はボキボキと拳を鳴らして近づいて来る。
「…………」
イオリの左腕を包んだ炎は幻術の類か何かだったのか、今は完全に鎮火しているうえにジャージには焦げ跡一つ付いていない。
また、二人を仕留めた攻撃も単なる打撃ではなかったようで、苦悶の呻き声ではなく穏やかな寝息を立てているだけ。
……凶悪な面構えなのに、随分とお優しいことだ。
「……オイ、オ前ハ掛カッテ来ナイノカ?」
至近距離で下から覗き込むようにして牙を剥かれても、俺は腰を上げることはしなかった。
それは足腰が立たないからだとか、もはや生を諦めたからだとか、そんな理由からではない。
……もっと、別の理由。
「……中ボスムーブするにしても、ちょっとヤリ過ぎじゃないっすか?」
闘いに集中していた二人ならばともかく、俺はもっと早く気づくべきだった。
……アズサが闘気とやらで手傷を負わせた際、この赤鬼は『覚えた』と言ったのだ。
つまり、あの台詞は彼女が『元々は闘気を使えなかった』と知っていなければ出てこないものであり、となれば赤鬼の正体として考えられるのは……
「何ダヨ、ノリ悪りぃな」
俺の正面に胡座をかいた赤鬼がガリガリと頭を掻くと、凶悪な体躯はそのままに顔貌だけがパイセンのものへと変わっていく。
……まぁ、そういう事だったわけだ。
◇
◇
パイセンがこんな真似を仕出かしたのは、順調に攻略を進めてしまった俺たちが難易度未調整の隠しエリアに踏み込むのを止めるため。
それだけならダンジョンマスターの権能による音声アナウンスで知らせる事もできたのそうだが、折角だからとダンマスの権能で先回りして突発イベントを企画してくれたとのことだった。
「でもまぁ、単なる余興だったわけじゃねぇぜ?」
アズサとイオリを浮島の端に寝かせた後、俺の隣に来たパイセンはまたもやガシッと肩を組む。
……背丈も人間サイズに戻っているが、化け物じみた筋肉はそのままだ。
「いい機会だったからな、お前らには『安全が担保された死闘』ってヤツを経験させてやりたかったんだよ。事前に説明しちまえば死闘にならねぇから、まぁ勘弁してくれや」
パイセン曰く、死闘と称されるような状況下では強力な異能が発現し易いらしい。
また、そのときには発現しなくとも、死線を越えた経験は異能の素質を底上げしてくれるそうだ。
「スポーツでも受験勉強でも、何でも一緒だろ? 人生がかかった場面で努力した事は、たとえ実を結ばなくても絶対に血肉になる。ま、べつに命を粗末にする必要はねぇが、大事に仕舞っておいても意味ねぇしな」
……人間の寿命を示す蝋燭は、火を灯してこそ価値がある。
そんな含蓄のある話を虎柄パンツ一丁で出来るパイセンは、やっぱり修行を積んだ僧侶なのだろう。
「で、どうする? このままコイツら担いで帰ってもいいし、俺と殴り合いをしたけりゃ付き合ってやる。お前は御行儀良さそうだから、たぶん喧嘩なんかしたことないんじゃねぇか?」
そう問いかけつつゲシゲシと腹パンしてくるパイセンを振り払い、俺は倒れ伏した二人の背中に目を遣る。
……たとえ俺に武道の心得があったとしても、きっと彼らのように誰かのために身体を張れるタイプの人間ではなかっただろう。
「…………」
……たとえ俺が彼らとともにブッ倒されたところで彼らにとっては何の意味もない事だろうし、何なら無様っぷりに指を差して笑うかもしれない。
しかし、それでも……このまま俺だけ何もせずに帰ってしまうのは、申し訳ないというか収まりが悪い。
「……じゃ、パイセン。あいつらの分、ブン殴らせてもらっていいすか?」
かくして、俺は借り物の錫杖をブン投げつつ、生まれて初めて他人に喧嘩を売った。
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