第5話 見誤る引き際
完全な一本道だった第一層の地獄谷とは違い、第二層の血の池地獄はもっと複雑な構造になっていた。
……と言っても、格子状に並ぶ教室サイズの浮島を石橋で結んだだけの迷路であって、遮蔽物がないぶん遊園地のアトラクションよりも攻略は容易いが。
また、モンスターは餓鬼に加えて餓狼が増え、一度に襲ってくる数も最大10体近くまで増えた。
……と言っても、餓鬼の戦闘力は相変わらずだし、餓狼のほうも腹が減って元気がない野良犬みたいな雑魚だったが。
なので、第二層への突入を即断即決したことには特に後悔していないのだが……その一方で、俺たちは性質の悪い別の問題に頭を悩まされていた。
◇
「くっ……またかよ!」
三角形のフォーメーションを適宜ローテーションさせつつ、各々が危なげなく戦闘を繰り広げている最中。
すっかり手に馴染んだ錫杖でコンボを決めた俺は、走らせた視線の先に映った『ソレ』の存在に思わず苦悶の声を漏らす。
「あぁん、またですか?!」
すると、それを聞き拾った現在キルスコア1位のアズサも、長巻の暴威に紛れて少し色っぽい吐息を漏らす。
……物騒な彼女には少し距離を置かせてもらっているので、俺たちのフォーメーションは鋭角二等辺三角形だ。
「もう、勘弁してよ!」
さらには、逆手二刀流のトマホークで現在キルスコア同率1位のイオリですらも、その色っぽい吐息に反応はせずに泣き言を漏らす。
とはいえ、どんなに遠間から精神攻撃を食らっていようが敗北する俺たちではなく、この浮島でポップしたモンスターたちは程なくして消滅したわけだが……
「……はぁ。で、どうする?」
得物を納めて一息ついたあと、班長の俺は無意味と知りつつも、班員たちに向けてもう何度目かとなる質問をする。
そして、彼らはうんざりとした表情を一切隠さないものの、やっぱり案の定『ソレ』を確認しに行くことを提案する。
こんなにも俺たちを苦悩させる『ソレ』の正体とは、所々の浮島の中央に鎮座している小さな葛籠。
……すなわち、浅ましき欲望を掻き立てる宝箱の存在なのだ。
◇
トラップを警戒して錫杖で葛籠のフタを開けた俺は、その中身に何とも言えない表情を浮かべてしまう。
「……今度は『ちりめん山椒』かよ」
まぁデパ地下なりで買うとなれば結構お高い品ではあるので、タダで貰えるのは嬉しくないことはないのだが。
今までに発見した葛籠からの収穫は、パック入りの苺の他、饅頭や煎餅や漬物など。
……このラインナップは、おそらく寺で持て余していたお供物の類なのだろう。
「あ、ソレは私が……」
どうやら好物らしいアズサが手を挙げたので、セットになっていた持ち帰り用紙袋に入れてヒョイっと放ってやる。
すると、それを横目で見ていたイオリが、自身の取り分が入った紙袋を覗いてから盛大に溜息をついた。
「……なかなか『アタリ』が出ないね」
俺たちが飽きを感じつつも引き返さずに探索を続けているのは、お供物以外の物品も稀に出現することがあるためだ。
現在までに確認されているのは、アズサがかけているミラータイプのサングラスと、イオリが装備しているピンクのリストバンド。
それから、俺が装着させられた黒革の指無しグローブ。
そして……
「……『アタリ』って、本当にあるのか?」
俺のジャージを円筒形に膨らませている、小さめサイズのワンカップ。
何故か『般若湯』ではなく『御神酒』と描かれたそのラベルの端には、いわゆるポーション的な薬効があると記されている。
すなわち、俺たちは『もしかしたら消耗品以外のマジックアイテムもあるかも』という未練を捨て切れず、午前三時の現在となっても地獄を延々彷徨い続けているわけだ。
◇
◇
そして、三人で分担しても土産物が持ちきれなくなってきた頃、俺たちは前方の浮島の中央に『ソレ』を見つけた。
「現状、第二層の探索も未完なんだが……」
遠目に見たときは恒例の葛籠だと思っていた『ソレ』は、浮島に上陸して見てみれば半分土砂に埋もれた古井戸だった。
これまでの井戸のような釣瓶型エレベーターは設置されていないものの、縄梯子があるので下に降りられなくもないだろうが……
「……この先は、難易度が上がるという事なのでしょうか?」
これまでの移動ポイントとは明らかに異なる趣に、終始イケイケだったアズサも少し不安そうな顔をする。
一方、彼女よりはイケイケ度が低めだったイオリは、むしろ逆にウンザリ気分から脱却したような様子だった。
「……でも、それならお宝にも期待できそうだよね?」
彼の予想にも一理あるし、このまま第二層で土産物の収集を続けるよりは実のある探索になるかもしれない。
アズサとしても難易度の上昇に臆するほどではなかったようで、二人して班長の俺に方針の決定を促してくる。
ならば……
「……とりあえず、第三層を覗くだけ覗いてみるか。その先がどうなっていようが、今日のところはそれでお開きということで」
パイセンが想定していた進行具合は不明だが、特にノルマも言い渡されていないのだし十分だろう。
もちろん、第三層の様子を確認したあとに第二層の探索を続けるという道もあるが、こんなキリでもなければ探索を終わりにする切っ掛けがない。
……ま、至って無難で妥当な判断だろう。
その時点の俺は、そう思っていた。
◇
横一線に並んで近づく俺たちの視界に、古井戸の闇の中が映りかけた刹那。
突如として、そこから真紅に染まった巨大な球体が飛び出す。
ここに来てのトラップか!と、一瞬動揺するも……その正体を知ったことで、動揺は戦慄に塗り変えられた。
「なっ……!」
アズサが驚愕の声を上げると同時、その巨大な球体は宙空で巨大な人型へと身を変じ、荒れた地面に轟音を立てて降り立つ。
俺たちの脳天を真上から見下ろすような体躯に、赤熱した鋼鉄を思わせる筋肉の隆起。
天を衝く錆色の蓬髪に、頭頂の一本角と鋭利な牙……そして、黒と黄色の縞が横に走る毛皮の腰巻きは、まさに地獄の鬼そのもの。
「ヤバい、ヤバい……」
オーラ感知の異能が目覚めかけているイオリに聞かずとも分かる。
そういうのに疎い俺だって、無意識に大きく後退しているのだから。
……絶対に『アレ』は中ボスどころの話じゃないぞ。
「ひっ、退くぞ……なっ?!」
俺が情けなく引き攣った指示を出すと、それに呼応するように浮島の全周が炎上した。
◇
当然ながら渡って来た石橋も業火に包まれており、その火勢は強行突破など試す気にならぬほど強烈。
そして、俺たちの退路を完全に絶った赤鬼が、何をしているかと言えば……
「……ココハ通サネェゼ?」
古井戸に腰掛けて第三層への道も塞いでおり、俺たちに向けた人差し指の爪をクイッと曲げて『さっさと掛かってこい』のジェスチャー。
すなわち逃走不可の強制戦闘だと理解した俺は、ガクガクと膝を震わせ意識を真っ白に染めてしまう。
しかし……武道の心得がある二人は、名ばかり班長の俺なんかとは違った。
「目標は……撃破ではなく、道玄さんが救援に来てくれるまでの時間稼ぎですね」
「そうだね。二人がかりで……いや、僕が前に出るから、フォローを頼める?」
いつの間にか、二人は俺を庇うように前に出ていた。
そして、俺を戦力ではなく保護対象と看做して進められる打ち合わせ。
……おい、待て。プライドなんぞは元からないからどうでもいいが、そこまでしてもらう義理なんてないぞ?!
「ははっ、タクマはヒーラーをよろしく。ポケットの『御神酒』でもいいし、何なら異能を閃いてくれてもいいよ?」
「えぇ、多数決により決定です。それに、申し訳ないですが……貴方が近くにいては、正直邪魔ですから」
そう言って肩越しに振り返った二人の顔は、これまでフザケていたときと同じように笑ってはいても酷く強張っている。
……もしかして、二人では時間稼ぎですら厳しいとの見立てなのか?
しかし、だからと言って俺がしゃしゃり出たところで、実際に邪魔になってしまうであろうのも事実。
つまり、今の俺に出来るのは歯を食い縛って俯くことだけ。
あとは……
「……すまん、任せた」
俺は何処かにいるナニカに向けて、二人の武運を生まれて初めて真剣に祈った。
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