第2話 緊急特別事前研修(後)
互いに無言のトイレ休憩で俺たち三人が混乱から若干立ち直ったのち、同じく動揺から若干立ち直ったらしいサラさんを相手にした質疑応答が始まった。
「……結局のところ、今日の研修は京都市消防局に関連するものではなく、『特殊事案特別対策局』へのスカウトという認識で良いのでしょうか?」
まず口火を切ったのは、三人のうち俺以外の男性のほう。
どうやら、彼は市役所職員ではなく消防士の卵だったらしい。
……語気は穏やかで言葉遣いは十分丁寧、そして淀みなく謎の組織の名前を復唱できるお利口さんだ。
「はい、仰るとおりです。ただし、スカウトを受けていただいたとしても、対外的には本来の勤務先に所属している形になりますが。当然、給与の算定基準については独自のものになりますので、多分にご期待いただいても構いませんよ?」
空気を和らげるためか、無理をして戯けた素振りを作ったサラさんは、その不自然さがギャップとなって実に可愛らしい。
……精神的にかなり不安定な気もするが、可愛らしさに貴賎などない。
ともあれ、俺としても身分や待遇の件については気になる所だったので、彼が質問してくれたのは有り難い。
ただ……それより何より、真っ先に確認しなければならない大前提がある。
「あの……私、薙刀の心得はあるのですが、そんなものでモンスター?と闘えるのですか? 異能……でしたっけ、そういったモノは当然何も持っていないのですが」
続いて、その点について質問してくれたのは、スカウトされた面子では紅一点となる女性のほう。
……消極的な質問とは裏腹に身を乗り出して鼻息を荒くしているあたり、武道家で武闘派な警察官志望だったのかもしれない。
「はい、問題ありません。直接モンスターと対峙する仕事ばかりではありませんが、それらのご経験は業務において大いに役立ちます。実体のないタイプが相手でも霊剣の類を使えば問題ありませんし、それから……」
相変わらず現実と常識を容赦なくぶち壊してくるサラさんは、不意に言葉を区切ってポンと手を叩く。
そして、本日受ける衝撃の最高記録を更新する驚愕の回答を口にした。
「あぁ、肝心な事をお伝えしていませんでしたね。皆さんにお声がけしたのは、お三方とも異能の素質があるからです。採用後の特別オリエンテーションにおいて、各人の資質と担当業務に応じた異能を習得していただく予定ですよ?」
◇
サラさん曰く、基本的に異能というのはジャンルを問わず遺伝によって素質が受け継がれるものとのこと。
ただ、それは当然ながら血統主義にも繋がってしまい、俺たち三人以外……すなわち、縁故に近い形で採用される者たちには、血族間の政治的なしがらみ等の面倒な事情が絡み付いてくるらしい。
もちろん、隔世遺伝や突然変異的に異能に目覚める者もいるそうなのだが、彼ら彼女らは己の欲に従って異能を振るってしまう場合が殆どで、むしろ取り締まられる側になりがち。
つまり、異能の素質を持ちながら未だ目覚めておらず、なおかつ公職の採用試験で内定を得るだけの倫理観と社会性を兼ね備えた人材というのは、かなり希少で得難い存在なのだそうだ。
……今年の各種公的機関における採用試験の会場には、使い魔か何かが紛れ込んでいたのだと思われる。
「今回初めてこういった形式の採用を試みたのは、慢性的な人員不足というのが最大の理由ではありますが……個人的には、職務に適した異能者を一から育てられるという点に大変興味を持っております」
ブツブツと研修計画を吐き出したサラさんの眼鏡の奥には、実験に臨むマッドサイエンティストのような輝き。
……もしかしたら、彼女は何かが憑依するタイプの異能者なのかもしれない。
とはいえ、被験者候補たる俺たち三人も、それぞれに目を輝かせて口許をモニョモニョとさせる。
俺たち世代でその手のファンタジー作品に全く触れていない者など皆無に近く、幼い頃には登場人物に憧れた黒歴史を持つ者も少なくないはずなのだから。
「…………」
しかし、同じく自身の異能とやらに思いを馳せかけていた俺は、その夢想を強引に断ち切って出来る限り冷静であろうと務める。
先ほど実際に体験したのだから異能の存在は最早疑いはしないし、本当に自分が異能者になれるというのなら絶対にチャンスを逃したくない。
ただ、そんな安定と平穏から程遠い道を選ぶというのであれば……
「……貴団体の職務において、身体的な危険はどの程度ありますか? 職務の性質上、怪我や呪い?どころか、殉職の可能性も大いにあると思うのですが」
俺が挙手して発した質問に、残る三人の気配がスッと引き締まった。
◇
「ええ……仰る通り、モンスターと直接対峙する業務においては、当然ながら身の危険もゼロではありません。皆さんの先輩方の中には、かつて不幸にも命を落としてしまった方もいらっしゃいます」
豊かな胸の前で両手を組み、修道女のように瞑目するサラさんが思うのは、勇敢に散っていった先人の姿か……あるいは、実際に言葉を交わした誰かの笑顔なのか。
その静謐な空気をともなう祈りに、完全に傾きつつあった俺の心の天秤は水平を取り戻す。
「ただ、当団体には治癒や解呪の異能を持つ職員も所属しておりますので、現在のような体制が整って以降、殉職した者は極めて稀です。具体的には、明治以降に命を落とした者は、過労やストレスで亡くなる公務員より遥かに少ないです」
福利厚生の一環として、日常的な怪我や病気でも心霊治療が受けられますよ?と、当たり前のようにサラさんが続ける。
……将来的にガンなどになった場合、最新医療を受けるより生存率は高そうだし、むしろ一般人よりも健やかに過ごせるのではないだろうか。
「ちなみに、こちらも福利厚生の一環といたしまして、年二回の賞与の際には現金の代わりにマジックアイテムを支給することも可能です。もちろん、業務に必要な物については備品より貸与しますから、私的に使用する目的で選んでいただいても構いません」
これで映画を見ると凄く臨場感がありますよ?と掲げられた水晶クラスターに、俺の心の天秤は激しく揺れ動く。
ダンジョンから発掘されたのか、お抱えの錬金術師なり魔道具士なりが製作したのか。
どうやらアレは超高性能VR機器としても使えるらしいが……そんな家電量販店のデモンストレーターのようなノリで、軽々に勧めていい代物じゃないだろう。
「このあたりの待遇は、外回りも請け負う総合職のみならず、事務仕事に専念する一般職でも同様です。なお、一般職への転属は希望があればいつでも可能ですし、逆も同様です。中には引退と復帰を何度も繰り返す方も……」
職務規定について話が及んだせいか、サラさんの不安定さは影を潜めてキャリアウーマン然とした雰囲気に戻る。
どうやら、俺たちはバトル有りな総合職としてのスカウトらしいが……引退したはずの者が何度も現場に戻りたがるとは、よほど中毒性の刺激に満ちた毎日なのだろうか。
「また、皆さんの場合、ご希望であれば本来の勤務先に移っていただくことも可能です。その際には、こちらでの勤続年数の分だけ海外の出向先に所属していた事とし、業務査定は最高評価だった体にさせていただきます」
そんなもん、どんなに権力があろうがボロが出そうな気がするが……いや、記憶をイジれる異能者か何かが、本人及び周囲の人間にアレコレするのか。
……何にせよ、いくら考えても魅力を上回るリスクが思いつかないぞ。
普通に考えれば、穴なり罠なりがあって当然の話。しかし、相手は普通ではない。
これだけの超高待遇を用意する手間とコストも、欲しい人材が来てくれる可能性と比べればアチラさん的には微々たるものなのかもしれない。
「……あっ。私としたことが、機密保持に関する書類にサインをいただくのを失念しておりました。これは魔術契約書の一種ですが決して危険なものではなく、ただ研修の内容を他人に伝達できなくなるだけでして……」
再び早口の語り口調となったサラさんを前に、採用候補者三人は顔を見合わせプッと吹き出す。
ただひたすらにメリットだけを積み上げられた俺たち三人に、もはや魔術契約とやらを拒む理由はなかった。
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