第三章 夜明け前

 その純白の鎧は国のためにのみ汚れる。この男がこの国の騎士団団長ライト・ブローラスだ。去年行われた第十三回剣術大会では見事優勝し、最強の剣士としても知られている。そんな最強のタンクであるライトだが、今回の王宮警備にも参加する。俺とは違い、大規模な作戦では全体指揮を執ることも多いのだが、今回は王宮ということもあって彼が指揮を執るわけではない。


「おっ、ライトくん来たんだ」

「おっす」

「やぁ。レナちゃんも参加するの?」


 その言葉に俺は諦めたように頷く。すべて理解したような顔をすると、俺の隣に座ってきたのだが、間髪入れずにライトは一つの紙を差し出してきた。訝しみながらその紙を広げるとそこには怪文書(怪文書)が書き込まれていた。


「なぁにこれぇ」


 おまえのみぎてをもらう、とだけ書いているその文章を脳死で見つめながら背筋に悪寒が走りまくるのを感じる。なんだこの文章は。どういう意味なんだ。わからない。


「これ、どこで? 誰に?」

「騎士団経由で匿名で送られてる」

「誰にぃ?」

 声が震えて単語の末尾が伸びる。

「俺が誰にその紙渡した?」

「えぇ? 嫌だぁ、こわぁい」


 この世で最も怖いのは意味のわかない事象だ。意味がわかっていればどんな怪物がいたとしてもこの恐怖に勝つことはできない。人間は愚かだなぁ…。

 俺はゆっくりと紙を折り目に沿って丁寧にたたむとライトの前に置いた。ライトはオレンジジュース(コイツは雑魚なのでコーヒーが飲めない)を飲みながら、その紙をこっちにスライドして戻してきた(めちゃくちゃ強い)。


「お前宛のファンレターだぞ。大事にとっておけよ」

「ええぇ? これ、ファンレターなの??」

 その俺の質問には全く答えずにオレンジジュースを飲下すライト。ひどすぎる。

「ちなみにさ」

 とレナがそのタイミングで話を始める。

「ゼクルは、もう剣術大会には出ないの?」

「出ないな。基本的には出ないと思ってくれ」


 やっぱりレナはそう思ってたんだな、と思いながら口を開く。


「今の俺が出ても意味がないから。昔の俺とは違うんだ」

「目指すものが無いから?」


 そのレナの言葉にゆっくり頷いて、コップを傾ける。残ったラテの苦さを味わった俺は、レナに小さく「ご馳走様」と言い残して喫茶店を出る。そのまま俺は南三区にある遺跡に入った。先日入ったこのイスタバル遺跡は世界各地にある遺跡の中でも比較的安全な遺跡だ。基本的には遺跡内部には多数のモンスターが生息しており、最深部には過去の文明以降失われていた技術とそれを守るように立ちはだかる強力なモンスター・守護ボスがいる。この遺跡は守護ボスやその他のモンスターが普通よりも弱く、たった2日で攻略された遺跡だ。しかしこの遺跡には少し思い出がある。

 少し、昔話をしよう。



 俺はその頃修行中だった。視界なんて存在しない。はちまきで目を覆って、そのまま一人で遺跡の最深部まで行くという内容。その修行の舞台がまさにここだった。あの頃は俺は騎士かなんかになるんだろうと思っていた。そうじゃなくても、剣で国に生きるのだと思っていた。だけどそうではなかった。今の俺は、そんな過去の理想のかけらも叶えていない。薄汚れたまま、がむしゃらに戦って、そして今ここにいる。

 実のところ、俺はそこそこ名前の通るレベルの剣士にはなることができた。だが、俺はその地位や名声を失った。その2つは別に構わなかった。ただ、騎士にはなれないんだな、とぼんやりと思ったことは覚えている。それだけだ。他の感情は抱かなかった。自分でも不思議だった。

 だから俺はあの修行が自分の根幹を作ったと思っている。俺の戦闘技術ではない。あれは師匠のものだ。戦うことを望んでいる心に嘘をつくのはやめた。自分を騙すのもやめた。あの時からそう思った。

 ここで修行中に事件が起きた。近くの監獄から犯罪者が何人か脱走して、街に逃げたと言う事件だった。師匠からそれを聞いて俺はすぐにここを出て街を走った。俺とレナは幼馴染で、彼女は病弱だった。彼女の家は、不幸にも犯罪者の立てこもり現場になっていた。俺はあのとき、まだまだ子供でだからこそ怖いものを知らなかった。俺はそのまま彼女の家に突入した。中では苦戦したが、すぐに師匠が来たこともあって犠牲を出すことなく解決することができた。詳しいことは覚えていない。激しい戦いの影響で記憶が欠落しているんだと思う。その後彼女の両親は精神を病んでしまい、引っ越してしまった。当然レナも当時は一緒に引っ越していき、今ここにいるのは魔法研究などのために一人上京してきたためだ。

 彼女は何も言わないが、おそらくあの事件を心にずっと留めている。元は魔法や戦闘になど興味はなかったはずなのだ。彼女が突然それらに意欲を見せ始めたのはあの事件以外にきっかけなど思いつかない。あのときからずっと、レナは俺とのコンビを組むと言って聞かなくなった。俺はソロだ。なんとなくだったり仲間が居ないとかの理由ではなく、大きな理由がある。だからこそ、普段はソロで動いているし、レナを突っぱねてはいたのだ。しかし、ここ最近はそうではない。押し負けたというのもあるが、その他にもう一つ理由がある。レナとのコンビなら、俺が目指しているものには影響しないことがわかったからである。レナとのコンビは普通のコンビとは少し違う。




『まーたここに来てるんだ』

 という声はレナのもの。別にここにいるわけでは無い。テレパシーの魔法を使っているのだ。レナは魔力回路を俺と自分をつなげる形で組み込んでいるらしい。詳しいことはわからないが、俺はレナに対してならテレパシーを使えるし、レナは俺のところに現れたり、俺を呼び出したりもできる。あれ、レナのほうができること多く無い? とも思うのだが、その通りである。まぁ、レナはああ見えても気がいいやつなので魔力のつながりを利用したことはだいたい頼めばやってくれる。


「……あのさ」

『なに?』

「俺、多分戦うことでしか生きられない」

『……剣術大会はまた別?』

「あれは…スポーツみたいなものだ。俺が言ってるのは命のやり取りのことだよ」


 少しの沈黙。そりゃそうだ。レナは俺が危険を犯すことを嫌う。だが、口には出さない。基本俺に気を使っているのだと思う。もともとはレナも自分の気持ちを積極的に伝えられるような性格ではなかった。俺の前ではおそらく昔の彼女が出てしまう。完全に変わったわけではない。

そんなことを感じながら、レナと言葉を交わす。

 俺にも、変わっていない何かがあるのだろうか。そう思いながら俺は遺跡をあとにした。今の俺にこの遺跡にいる意味はもう無い。後ろを振り返る暇があるならそれこそ次を見据えていかなくちゃならない。

 変わるためにも、変わらないためにも。



 その翌日、俺は王宮前にいた。横にはライトと氷河がいる。氷河はいつもよりかなり真剣な面持ちで王宮を睨んでいた。彼には彼なりに思うところがあるのだろう。氷河は一人で王宮の正門まで歩いていき、そのまま入っていってしまった。いつもの氷河の仕事は、”攻めること”だ。だが、今回の仕事は”守る”ことだ。慣れないことを目の前にしているときはあんな感じの態度を取ることがあるので、そのせいだと思われる。ともかく、地形を確認しないことには何もできないが、ライトはここをあまりみる必要性は無い。というのも、カリバーは騎士団本部の地下に避難することになっている。この事を知っているのはごく一部の人間だけだ。本来は俺も聞くことはなかったのだが、カリバー本人から告げられた。情報管理大丈夫か??

 そのため、今回はライトは流し見程度にしか見ないらしい。氷河と俺は何度か王宮内に入ってはいるものの、防衛ともなれば知っておかなければいけない部分は変わってくるため、許可を得て王宮内を詳しく見に来たのだ。が。


「お前は来なくていいのか?」

 この質問は横にいるライトに対してでも先に行った氷河に対してでも無い。魔力回路を利用し、俺の視覚と聴覚にアクセスしているレナ氏に対してのものだ。そして問題のレナ氏は俺たちに同行することなく、自宅兼魔法研究室に閉じこもっている。


『……………カスいるし』

「あーうん、だと思った」


 予想通りの返答が帰ってきて、予定通り頭を押さえるが、そうこうしている内に氷河を見失いそうなのでいい加減俺たちも王宮内に入ることにする。守衛に話しかけ、ライトを呼ぶ。ここまでがいつも通りの俺の王宮の入り方なのだが(俺には王宮に入れるような身分が無いのでいつもはライトに身分証明してもらっている)、今回はそうじゃなかった。俺が守衛に話しかけた瞬間思っていた以外の反応をされた。


「あっゼクル様ですか、どうぞお通りください!」


 俺はいつこんなに有名になったのだろうか、と思いながら微妙な顔をしながら門を通る。あとから来たライトが「おまえなにしたの?」と聞いてくるが微妙な顔のまま首を小さく傾けると俺にもわかっていないことを察したらしい。同じく微妙な表情で歩く。重苦しい雰囲気は苦手なのだが、ともかく無駄に大きい扉を両手で押して開ける。と、開けながら、この扉っていつも開いてなかったか? と違和感を感じる。


「どういうことだ…」

「そもそも氷河が通ったのなら開いてるはずだろ」

 と隣のライト。確かにそりゃそうだ。いや、そうか多分。

「…なぁ、これ開けた瞬間に閉めれる??」

「え? なんで?」

「…氷河の特徴は」

「チャラ…あっ…」


 察したらしい。そう、開けた瞬間に広がっている光景とは、




 王宮に仕えるメイドさんたちを相手にデレデレしながら喋っている氷河だった。しかし扉は重くそっ閉じができない。いつもならば速攻で扉を閉めるはずだが、この光景を見たまま扉を閉められない。何だこれ地獄か? 地獄だねこれ。


「何見せられてるのこれ」

 と引きつった声。

「俺も今そう言おうと思ってたんだよね」


 少しの沈黙の後、ライトが震えた声で「無視してそのまま行こうか」などと言い始めたがそれが最善だとも思う。

 俺はそのまま無言で頷くと氷河のいる反対側の壁沿いに歩く。できるだけバレたくなかったので隠蔽系の最終スキル【光歪曲迷彩】を発動する。ここで発動する以外にどこで発動しろと言うのか。

 やっぱりと言うか案の定頭の中から大きなため息が聞こえる。みなさんご存知のレナ氏である。レナと同じようにため息をつきたいが、俺が声を出せば迷彩が消えてしまう。迷彩が消えると、あのめんどくさいノリで絡まれる。それは嫌だ。シンプルに嫌だ。なんとか最初の難関を踏破した俺とライトはそのままゆっくりと王宮の最深部。王の間へと向かう。俺たちだけで王宮内をうろついていると怪しまれる可能性がある為、まずは国王カリバーに声をかける手はずになっている。氷河はもういい。捕まえるなり斬るなり好きにしてくれ。というかなんでアイツまだ捕まってないんだ?

 そんな疑問を抱えながらも、王宮の奥へと進む。部屋を2つほど移動してから迷彩を解くと、2人(+一人)同時に大きくため息。廊下の奥には、護衛の近衛兵2人とカリバーがいた。


「やあ、来てくれて嬉しいよ」

「さぁ、見て回ろう。お前のためだからな、仕方ない」

 その時近衛兵の一人が進み出てきた。

「まずは、ゼクル様。あなたの剣の腕を見させていただきたい」

「……なんのつもりだ。カリバー」

「いや、僕は反対したんだけどさ、アンデル君、彼聞かなくて。ごめんね」

 アンデルは剣を抜いて俺に迫る。ゆっくりと、隙を見せずに近づいてくる。相当の手練だ。だが、甘い。その剣の持ち方と近づき方は俺のことを見くびっている動きだ。

「……やめておけ。アンタじゃ俺には勝てない」

「さぁ、どうでしょうか…」


 アンデルがそのまま突進技の構えを作る。あの両手剣から繰り出されるのはスペラントという突進技と推測する。両手剣の突進技で最も早い突進速度を誇る技で、俺のような盾をもたない片手剣使いにはかなり有効だ。俺の予想通り、彼が放った剣技はスペラントだった。その剣先が所定の位置についてから、スキルの発動までがかなり早い。彼のもつその両手剣に黄色の光が出た瞬間、俺は動いた。

 普通の剣士なら、普通の属性使いなら間に合わない。

 だが、俺は普通じゃない。この異質な力の目の前では、そんな速度のスキルを何度撃とうが当たることはない。


 轟音が響き、剣が床面に叩きつけられる。その剣先は、大理石にめりこんでいる。スキルの威力のせいではない。その剣先の上にある俺の足先のせいだ。自らの繰り出した渾身の斬り降ろしをこんな形で無力化されるとは思っていなかったのだろう。兜の内側から驚愕する気配が漏れる。剣が動かないように力を加え続けているせいか、少しずつ剣が沈んでいく。アンデルも全力で剣を持ち上げようとしているはずだが、この状態の剣を持ち上げられるわけがない。俺のブーツはほとんどが革でできているが、つま先をはじめとするいくつかの部分のみ、金属板がついており、防護の役目を果たしている。この金属はかなり特殊で、並の剣や、その他の金属と激しく衝突しても一切と言っていいほど傷がつかない。また、この金属は湿気に激しく反応し、湿度の高い場所に行くと即座に曇る。乾燥している場所に出ればすぐに元に戻るのだが、まぁ簡単に説明するととても硬い合金製の板によって保護されているブーツということだ。そのブーツの重さを利用して剣先を抑え込んでいるのだから、剣が簡単に動くはずもない。また、装備の問題以前に、俺と彼には大きな違いが存在する。


「君、属性の力が普通よりも少ないな。開放率が低い」

 そう言いながら足をゆっくりと持ち上げる。

「なぜそれを!?」

「見ていればわかるよ。少なからず君からは大きな剣気を感じなかった。それは確かだ」

「剣気…」


 開放率とは、属性使いがどれだけ属性の力を開放できているかの一種の指標だ。通常の属性使いの平均は30%~45%程度だと言われている。この開放率によって本人の戦闘能力も左右されるわけではあるが、この開放率というのが、何しろわかっていないことが多い。後天的に成長するのか、それとも属性使いになった瞬間から基本的に変わらないのか、その当たり一切が不明なのである。と言っても絶対に成長しないわけではない。成長し、開放率が上昇した人間が数名だけだが確認されている。ちなみに俺はこの数名には入らない。ただ彼は俺より開放率が低いが、その割にはいい剣の腕をしている。開放率が高ければ、もしくは成長したとすればかなりの強者になるはずだ。


「しかし、あなたからも剣気はほとんど感じませんでした。そこにどのような違いがあるのですか?」

「コイツの剣気はとんでもないぞ。普段は抑えてるけどな」

 と横からライト。

「剣気を抑える…? そんなことができるのですか?」


 剣気を抑えるというのはこの世界では一般的ではない。そもそも、自分の剣気のほどを自覚することが難しい。自覚することで、出す剣気を少なくしたり、俺のように出さないようにしたりすることができる。そもそも剣気は相手に対しての威嚇のようにも使えるため、抑えるという発想自体がないのも当然である。俺が剣気を抑える理由はいくつかあるが、一番大きい理由は隠蔽のためである。俺は基本的に一人で行動することが多いため、敵に居場所が露見すると不利になる。そのために、先程使用した隠蔽スキルも取得しているし索敵もそのために取得したところがある。これもすべて修行時代の話だ。


「どうする? もう一度やるかい?」

「…いえ。力の差が歴然としました。さすがはアルヴァーンの剣と呼ばれたお方です」

「………捨てた名だ。その名前はもうこの世界にはない。さぁ、早く仕事を終わらせようぜ」




 その後、俺たちは王宮の本館を見て回った。特に大きな問題点はなかったし、そもそもとして建物内部の形状はほとんど把握していた通りだった。戦闘時にはかなりの損傷が予想されるとした上で、アンデルとの戦闘で床についた跡もその修理と同時にやるということらしい。請求されずに済んだことに安心はしたが、よく考えてみれば向こうからふっかけてきたのでそれも当たり前か、と思い直す。帰り道、ライトと2人で歩いていると、途中でいきなりライトが「あっ」と声を出す。


「なんか忘れてない?」

「忘れてない」

「いや、ほらあの」

「忘れてない」

「覚えてて言ってるよなそれ…」

「忘れてない」

「………そう…」

 あれはわざと置いて帰っている。持って帰る有用性などない。王宮はゴミ箱だ。一番のゴミは国王であるのは明確である。

「んっま、明日はよろしく~。ってことでじゃあな~」

「はぁ…はいはい。また明日」


 家への帰路についた俺は考えにふけっていた。今回の一連の出来事の流れは不可思議なことが多い。そもそもブランカーの動きをどうやって事前に知ることができたのか。王宮の襲撃なんて大きいことをするのであれば、その 計画が露見しないように細心の注意を払うはずだ。そこがどうしてもわからない。何かがおかしい。もしかしたら、俺たちは、ブランカーの大きな罠にハマろうとしてるんじゃないだろうか?もし、俺のこの予想があっていれば、間違いなく、


 明日の王宮は地獄と化す。

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