通りすがりの金魚
あれやこれやのそんな訳で、私こと金魚は、自分に可能なスライディングをかましてきた───のだが、こんな話を連ねると、まるで自分が善人であると主張しているように聞こえると思う。
だが、それは違う。
私も、怒るし・恨むし・嫉妬もする。『コイツに手を貸す必要ナシ』と判断すれば、身内でもあっさり切り捨てるし、まともに取り合うこともウザイ・くだらない諸々を言ってくる相手であれば、『唐竹割り』と異名を取る
それでも、私は誰かの助けになれる人間になりたかったのだ。それは、私が子供のころから抱えていた葛藤であり、命題だった。
私の両親は、今でいうところのネグレクト的両親で、日常生活では私に関心がないにも拘らず、私が誰かに親切にするのを異常に嫌っていた。つまり、簡単に言えば毒親というヤツだ。
実の親の無関心の中で私がどう育ったかというと、ありとあらゆる場面で他人に助けられてきたのである。遠い所に住んでいる親族しかり、通りすがりの面識のない大人しかり、数少ない友人達しかり、職場の先輩方&後輩達しかり───。いつも、他人に生命と心を助けられてどうにか大人になり、性格に三回転半の
『誰かの助けになれる人間になりたい』というのは、二度と会えない人を含む、知人や見知らぬ人や多くの方々への恩返しと、自分もそんな人間で在りたいという私の理想に基づくものだ。遅々たる歩みでもその方面に努力することは出来るのだが、次に訪れるのは周囲の
残念ながら、『良いことをしよう』とする人間に対しての誹謗中傷は尽きない。『いい格好したいだけ』だの『点数稼ぎ』だのと色々あるが、『偽善者』というのが一番多いだろう。本当にピュアな善人は、純粋であるが故にこれで心が折れる───が、幸い私はちっともピュアではなかった。
心の中に、どろどろに煮詰まった毒を飼っている自覚がある。
自分が『偽善者』である自覚もある。
それでも理想を抱くことの何が悪い?
毒素持ちの自覚があるからこそ、その毒の臭いを周囲に嗅がせないようにと配慮が出来るし、『偽善者』であっても一助を行うことは出来るのだ。
などと偉そうに言いつつも、理想と現実のギャップに耐えられないことも多いし、純粋な善意でないことにも罪悪感がなくもない。
なので、私こと金魚は、本日も通りすがりで在り続け、所かまわずスライディングをかました後、全力で
金魚は所かまわずスライディングをする 睦月 葵 @Agh2014-eiY071504
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