「ハァ……ハァ……うっ」


 走り続けている疲れからか嗚咽おえつが出る。

 少しでも気を抜けば終わってしまう。

 今すぐこの場に倒れればどれだけ楽だろうか。

 いや、今その場での安心が手に入っただけで、後から後悔こうかいするだろう。

 押し付ける倦怠感けいたいかん、走り続けた疲労ひろう、それが体全体に重くのしかかる。

 一歩一歩踏み出す度、足に全身の重みが伝わる。それは体と疲労の重みだけではない。


 意識が少しずつ遠のいていくのを感じた。

 **


 ──ポトッ


 頬に何かが落ちた。何かを告げるその感触を節目に私は目を開ける。雨だ。意識が少しずつ覚醒していくのと同速で、雨の勢いは増していく。

 自分の視線が低いこと、体大部分がザラザラとし、ひんやりとした一面に接していることから自分が横たわっていることに気づいた。

 辺りは枯れた草原といったところ。後ろを見ると木々が並んでいて、どことなく禍々しさを漂わせている。

 タテの国を出てから三日ほどだろうか。私はどうやら魔の森を抜けたようだった。まるで他人事のように現状を理解する。

 なぜここまで来れたのか自分でも分からない。森での記憶は朧気で、とにかく必死だった、ということだけ。

 よろよろで傷だらけで私を三日不休で運び続けた足に鞭を打つ。

 視界をぼやかせるほどに発達した雨は、息を吐く度に前髪から伝い口の中に入り込む。

 こんな経験、思えば人生で初めてだ

 私の人生は雨宿りのようだった。

 その場その場を凌ぐだけの人生。

 進んでは戻り進んでは戻り、結局元の場所に戻ってくる、そんな人生。

 もうそんな人生は嫌だ。

 

 ──風よ吹け。



 **


 私はあの場所から走り続け、ついにホコの国にたどり着いた。つかの間もなく、私は情報集めるために国を散策し始めた。

 三日間の捜索の末、ある手がかりを見つけた。それは勇者パーティーの拠点の場所。

 私はすぐさまその地へと向かった。


 ──その街に着く直前の道を通った時、ある女とすれ違った。

 どこか遠出をするような荷物を持っていないことからこの人は街の住民だろう。

 何か知っているかもしれないし聞いてみるか、と思い、私は女性に話しかけた。


「あのーすみません、少しいいですか」

「あら、いいですよ」


 女性は笑顔でこちらへ振り返る。


「私旅人でして、少し聞きたいことがあってですね、」

「はい、なんでもどうぞ」


 女性は綺麗な顔立ちで終始ニコニコしていた。

 が。

 私にはそれがどうも違和感を感じずにはいられなかった。それは、不気味さとも感じれた。


「勇者について、何か知っていますか?」


 その時、一瞬女性の顔が強ばった。

 が、彼女は平静を装い、


「ごめんなさいね、何も知らないわ」


 と、またもやニコニコしながらそう答えた。


「そうですか、それは失礼しました」


 と言い私は頭を下げた。

 すると、


「いえいえ、こちらこそ申し訳ございません、お役に立てなくて」


 と言い、女性は頭を下げその場を立ち去ろうした。

 が。

 私は見逃さなかった。

 ──スカートの裾に血が付着していることに。

 私は女を問い詰めた。

 女は話を偽りその場を取り付くろうとする。私の執拗な問い詰めに段々苛立ちを感じていようで、それが態度に出始める。

 嘘を見抜かれると、豹変し、洗いざらい全てをぶちまけ、狂人のように暴れだし、血塗られた鈍器のようなものをどこからか取り出し、私に襲いかかってきた。


 そして──私は初めて人を殺してしまった。


 私は今、あの女が死に際に言った場所に向かっている。

 早く、早く、一分でも一秒でも早く。それが意味がなく、もう手遅れだと知っていても。

 それでも早く行かなければならない。


 「―───あいつは私が壊したのよ。ふふふふ」


 あの女の、不吉な笑みを浮かべながら放った言葉がよぎる。

 何かにすがるように私は、ペンダントを握った。

 頭を横に振り思考を取り払う。

 早く、あの人の元へ。


「もうすぐだよ……お兄ちゃん……」

 

 誰にも聞こえないような声で呟き、私はスピードを上げて走った。


 ********************


 街のとある家に着いた。あの女が死に際に放っていた家だ。

 中へ入ると部屋の右端に地下室の入口が見えたので私はそこを凝視する。


 私はそこへ歩く。中は不気味な雰囲気を漂わせており、左端に大きなテーブル、右端に大きなたるがいくつも置いてある。

 歩くと、部屋中に私の足音がひびき、床が古く、木のきしむ音が耳にさわる。

 机の上をランプで照らすと、コルクで閉まっている1つの瓶をみつけた。

 瓶を持ち、持っているランプで照らす。

 瓶の中に虫が入っていた。あの世界でいうと、姿も性質もムカデに似ている昆虫が中を這いまわってる。

 何故こんなものがあるんだ……と思いながら、手に持っている瓶を机に置く。

 すると置いた左側に、何かがあった。

 恐る恐る左に体ごと向け、ランプの光を与える。

 そこには、部分的に赤く血塗られた短剣があった。


「ここでは何が……」


 そう呟いた刹那せつな


「……ぅ……ぁ……」


 うめき声が聞こえた。

 思わず声の方向へ振り向く。

 正面のドアからまたもや呻き声が聞こえる。


 私は居てもたっても居られれず正面のドアノブをつかみ、横に倒す。


「────ッ」


 しかし、少し倒れただけ。

 何度やってもドアは開かない。


「ふぅ」


 息を吸い込み、私は体当たりした。

 右肩から強い衝撃が体に響く。


「……ぁぁ……」


「お兄ちゃん……?」


 椅子に座ったお兄ちゃんが目に飛び込む。

 そこにいることに安堵……「は」、私は目を疑う。

 予感は感じていた、それでも疑って、受け入れたくない。

 

 お兄ちゃんは……椅子に座っている。椅子は金属で全身に鎖が巻かれている。

 不自然に短い白いズボンに白いTシャツ。

 白いのは分かる……でも、服の半分以上が血で赤くなっている、それに体中が赤い、部屋中に血が飛び散っている。

 お兄ちゃんは………変わり果てていた。

 黒かった髪は白くなり、やせ細っており、明るかったあの目は、少しの光も感情も見えず、面影おもかげは何も無い。

 ──あ……お兄ちゃん……お兄ちゃん……あああ。


「うっ、お、おぇぇぇ」


 吐いてしまった。血には慣れていた。慣れていたのに、ここで起きたことが推理できた時点で、何もかもが私に押し寄せたのだ。

 押し寄せたものが頭の中で渦巻うずまき、暴れている。

 立ち止まっている場合ではない。押し寄せるものを力ずくで振り切り、兄の元へ向かう。


 急いで鎖を解いた。

 お兄ちゃんは鎖を解いても動こうとしない。

 口が開きそうになってもすぐになくなる。何も言えない。言葉にならない。

 私は……私は……。


 不意にお兄ちゃんの指が動く。


「あああああああぁぁぁぁぁあああああああ!」


 椅子が吹き飛ばされ、膝が床に着き、上を向きながら叫びごえをあげた。




 私はお兄ちゃんを抱きしめた。



 全てが遅れていたのだ。

 もっと早く思い出していれば、そもそも忘れなければ。神の運命さだめだとしても、ここにきた代償だいしょうとしてもそれでもなお。


 今、私が出来ることは何か? それは分からない。

 泣いたって何も無い。怒ったって何も無い。

 

 体が勝手に動いた……それだけ。


「あああああああああああぁぁぁぁぁああああああああ!」


 お兄ちゃんは私の胸の中で叫んだ。私は、その小さくなってしまった体を壊さないように、抱きしめる力を強める。



「お兄ちゃん……」


「あああああああああぁぁぁぁぁあああああ」


「お兄ちゃん……」


「お兄ちゃん……」


「あああああ……ああ……ぁぁ……ぁ」




「………………ぁ………………」


「……………………………」


「好きだよお兄ちゃん、愛してる」


 忘れてしまっていたこの気持ち。

 忘れてはいけなかったこの気持ち。

 もう絶対に忘れないこの気持ち。

 言葉で言ったって伝わると思うなんて、そんなの傲慢ごうまんだ。

 それでも言わなければいけない。


「………………………………ぅぅう……ぅぅ」


 お兄ちゃんから嗚咽が漏れる。


 お兄ちゃんはゆっくりとその細い両腕を、私の背中に回した。

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