金田 愛花

「あ……ぁぁ。……ぁ……ぁ…………」


 愛花は頭を抱える。まだずきずきと何かが刺さったような頭痛が残っている。それはそうだ。頭の中に膨大な、今まで14分の情報が一気に入りこんできたからだ。


(私の名前は……金田……愛花。思い出した。……全て思い出した)

「今まで記憶を……失っていた?」


 まだ整理が追いつかない。ゆっくり、ゆっくりと、大切なものを箱に収めるように一つ一つ記憶を動かし、綺麗に並べ替える。


(いいや、そんな場合じゃない。そんなことをしている時間なんて私にはない)


 視線を紙へと戻す。愛花の瞳には『ルイト』という文字が揺れながら映し出されていた。

 ある特定の情報だけが頭の中で大量に飛び交い始める。一つ一つの表情、聞くだけでどんな心も落ち着いてしまうような声、その人との全ての思い出が、記憶が、溢れ出す。

 世界で一番に愛し、愛花の全てで、存在理由である、


「おにぃ……ちゃ、ん」


 切迫に震えた声で吐いた言葉と共に、視界が完成された絵に水をかけたように滲み出す。


 なぜ忘れてしまったのか。なぜ今まで思い出せなかったのか。なぜ、なぜ──。

 頬にいくつもの雫が滴る。

 いや、そんなことをしている場合じゃない、と、突然、愛花の中からふつふつとある感情が湧き出て、拳が握られていく。


「お嬢さん、大丈夫か」


 心配に思った近くのおじさんが声を掛けるが、愛花の耳には一切入らない。

 アイカの中に一つの目的が生まれた。

 いや、それは目的などではなく、使命、あるいは──。


「お兄ちゃんの所へ行か、ない、と──」


 愛花の思考回路は目まぐるしく変換されていき、一筋に統一される。

 愛花は広場を飛び出した。

 行く末はただ一つ。兄の元へ。

 フードを深く被り、前を見ず走り続ける。

 一分、一秒、いやその刹那よりも早く。


「エアロブースト」


 吐き捨てるようなその言葉の後、アイカは突風を背中に受けているかのごとく加速した。


 愛花は街を駆けていく。先程の影響で街に人通りは少ないようだ。

 とその時、


「止まれ!! どこへ行くのだ!!」


 その声が響いた時アイカは立ち止まる。

 目の前は5m以上もある門。そしてそこを守る警備兵達がいた。鎧を身にまとい、自分の体と同じくらいの槍を持っている。


「許可証は持っているのか? 冒険者か?」


 と何も答えない愛花に警備兵達が詰め寄ろうとすると、


「エアロライド」


 そう唱えるとき、愛花の身体が浮き始める。

 愛花の下に竜巻のようなものが起こっているようだった。

 愛花は下から聞こえる彼らの声を気にも止めず、また前に進む。

 門を飛び越え、ふわりと地面に着地すると、そこは草原だ。周りに人の気配はない。

 愛花はまた風に乗って駆けていく。

 が。


「待って」


 愛花は振り返る。何度も聞いたことのある声。肩の下まで伸びている綺麗な金髪、全てを抱擁してくれそうな優しそうな目。アイカにとって数少ない大切な人の一人。


「マヤ……」

「あの速さはアイカぐらいだからね。気づいたらここまで来てた」


 


「アイカ久しぶりだね」

「……」


 愛花は何も答えるのこと出来ない。


「ねぇ、アイカ、どこに行こうとしてるの?」


 マヤはそう言いながら近づくと、フードを上げて愛花と目を合わせた。

 やつれた顔、クマがあって充血した目、マヤの知っている『アイカ』とは別人だった。


「私には時間がないの。……一秒でも早く行かなければいけない」


 愛花の拳に力が入る。少し震えているようだった。


「ねぇ、アイカ、辛かったのは分かってる。でも──。……アイカ。扉越しだけど何回も伝えたよね……。なんでも相談してって。二人で話し合おうって。──あれは仕方なかったんだよ。アイカは悪くなんか」

「いや全部私が悪いんだ。全部。……でも、……今はそれと同じくらい大事なことがあって、今すぐ行かなくちゃ、……行かなくちゃ行けないんだ」

「どこに……?」

「ホコの国へ」


 マヤは言葉の意味を理解すると、形相を変え、


「──無茶よ!! どうして!? あの森を越えてホコの国たどり着いた人は今まで誰一人としていないよ!? 魔の森の怖さはアイカが一番ッ── 」


 ホコの国、そしてタテの国がなぜあるのか。それは魔の森という広大な森によって分断されているからである。

 そこを越えて向こうの国に渡るには三日三晩必要であると言われており、しかも恐ろしい魔物達が多数生息している。

 マヤの言う通り、その森を越えた人は一人たりとも存在せず、その森に入ること自体が自殺行為なのだ。


「それでも私は行かなくちゃいけない」

「…………ねぇアイカ。私、アイカまで死んでしまったら……死んでしまったら…………もう……。──お願い、……アイカ……、行かないで……」

「ごめん……マヤ……」


 そう言い愛花が背を向けると、マヤはアイカを抱き締めた。


「マヤ心配かけてごめん」


 マヤの腕の中からアイカは消え、マヤはそのまま倒れてしまう。


「アイカーー!!!! 絶対に生きて──帰ってッ!!──」


 マヤは涙を流しながらそう叫ぶ。

 朧気に愛花の後ろ姿が目に映った時、マヤの頬に優しい風が掠んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る