第52話 月映祭が行われる。1

 九月の半ばになった。明日は中秋節だ。夜には、月映川つきばえがわの川原で月映祭つきばえさいが行われる。

 さっきまで屍蝋への処置を手伝ってくれていたれんに、祭に誘われた。毎年行われているのに、月映祭にははじめて参加する。

 定期検診で連れて来ている梨夏りかの屍蝋を見る。ベッドに横たえられた梨夏の屍蝋と目が合った。

 乃亜に、梨夏がここへ来た時のことを話す。

 本当に、懐かしい。梨夏の遺体に会ったのが、もう半年前なのか。あの時の春湖はるこ、本当に喜んでいたな。

 次に、梨夏が横たわるベッドに腰掛けているあかりに目を向ける。

 依頼人の真野さんは変な人だが、灯は俺の屍蝋の中で一番美しい。元々の顔の造作が整いすぎているせいだろう。生前から人形のような容姿だったに違いない。灯は、生きていた時が想像できないくらい人形として完璧だ。まるで、人形として生まれて、生きていた頃がないかのようだ。でも、灯は近いうちに真野さんに返さないとな。

 咲嘉さくかさんがいつも座っていた椅子には、幼い少年が腰掛けている。君は、どこの誰なんだろうな。

 診察台の上にいる少女も、本当に誰なんだろう。君達は、どうして俺のところに来たんだ。その答えは未だにわからない。

 乃亜のとなりで部屋を見渡して、乃亜に微笑みかける。

「たった半年の間に、本当に色々あったな」

 すぐ横にいる乃亜の屍蝋は何も答えない。屍蝋なんだから、当然だ。

 俺がいくら乃亜に話しかけようと、乃亜からは何も返っては来ない。

 俺の想いは一方通行だ。どれだけ乃亜を愛しても、この空っぽの屍蝋には一言も届かない。乃亜への愛情が俺の心に伝えるのは、胸の痛みだけだ。

 乃亜のとなりに座る度、この痛みを感じていた。この胸の痛みが、幸せなんだと、ずっと思い込もうとしてきた。

 人に喜びを与えるはずの幸せは、そんなに痛いものではない。それに、気付かされた。

「俺にはさ、気付いたら、周りに色んな人がいた。草加くさかに、恋に、春湖に、咲嘉さん……真野さんも、入れておいてやろう」

 屍蝋がなければ関わっていなかった人も多いけど。

「みんな、生きている人間なんだよな……俺もあいつらと同じ、生きている人間なんだ。乃亜とは、違う」

 乃亜の閉じられた瞼を見て話す。

「それを教えてくれたのは、やっぱり俺と同じ、生きている人間だったよ」

 俺の一番近くにいた屍蝋の乃亜は、何も教えてくれなかった。乃亜といることで、この先に進める道なんてなかった。向かうことができる行先は、ただの行き止まりだけだ。

 俺は屍蝋とは違う。俺は生きている。生きている俺がどうするべきかなんて、もうわかっている。

 泣きそうになって上を向く。でも、涙を流すことができない乃亜の前で、絶対泣いたりなんかしない。

「だから、乃亜」

 表情が動かない乃亜の顔を正面から見る。

 これまで言えなかった一言を、俺は乃亜に告げた。

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