第45話 ガムシロップ

 春湖はるこからの質問攻めに疲れてきた頃、注文していた料理が運ばれてきた。

 いただきます、と挨拶してから、俺たち三人はそれぞれの前にある物を食べようとする。春湖だけが俺のそばを見ている。

「……なんだ?」

「一口ちょーだい」

 春湖のにこやかな要求に、草加くさかが乗る。

理一りいち、オレも! お返しにオレのも一口やるから」

「同じものだから、お前は久連木くれこから貰えばいいだろ。となりなんだし」

「えっ」

 草加の顔がすぐ赤くなる。なんて面白いほど簡単に赤になれる奴なんだ。

 俺の提案を聞いた恋は、草加にそばを差し出す。

悠之介ゆうのすけ先輩、どうぞ」

 今日一番の驚きだ。草加の奴、いつの間に名前で呼ばせることに成功していたんだろう。俺が知らない間に、二人は距離を縮めているらしい。本当によかったな、草加。

 俺と違って、春湖は心穏やかでもないらしい。

「れ、れん……どうしたの?! 草加センパイなんかでいいの?!」

 春湖、気持ちはわからなくもないが、お前の中で草加ってどんな底辺にいるんだ。

 恋人としてはどうか知らないけど、草加はいい奴だ。鬱陶しいと思うことも多いが、草加と一緒にいるのは正直楽しい。だから草加は友達が多いんだろう。

 春湖の発言で恋が不安にならないよう、草加の一友人として恋に言う。

「草加はこう見えてまあまあいい奴だから」

「知っています」

 だよな。そうでなければ仲良くしない。

「恋、どうしちゃったの……いつ打ったの? 頭」

 春湖は衝撃を受けながらも、しっかり俺のそばを一口持っていった。

 草加は、なんかよくわからん。一心不乱にラーメンを頬張っている。ちょっと口に詰め込みすぎじゃないか。あ、むせた。恋に手渡された水を飲んでいる。

 俺も自分のそばが伸びてしまわないうちにすする。

 だしの味がよく出ている汁は、濃すぎず薄すぎず、普通に美味しいと思う。しかし、俺はこの汁に甘味をプラスする。甘辛く煮られた油揚げを箸でつまみ、瀬戸物のどんぶりに押し付ける。そうすると、油揚げの甘味が汁に溶け、甘いしょっぱいの世界が完成する。

 そばをすする。さっきよりも美味い。

 恋を見ると、音を立てずに、箸でそばを口に運んでいる。

 ハムスター方式の食事形態を持つ草加は、もう八割食べ終えている。

 春湖は、フォークでスパゲティを上手く丸めていた。


 食後のデザートが運ばれてくる。ブラウンのケーキとレモンティーが春湖の前に、プリンとアイスコーヒーが草加の前に置かれた。こいつらよく食うな。

 俺と恋は水のおかわりを取りに行った。

 それから、雪瑞ゆきみず第二高等学校教師陣の話題に花が咲く。

「えぇー、前回はぁ」

 草加が生物担当教諭・田端たばた先生の決まり文句を真似る。田端先生は授業のはじまりに決まってそう言い、前回の授業のおさらいをする。いつも前回の『ぜ』で声が裏返る。それを見事に真似る草加に、俺達は笑う。

「あははっ、草加センパイ、バター先生のモノマネ上手すぎ!」

 田端たばた先生はノリが良く、生徒達から親しみを込めて『バター先生』と呼ばれていたりする。田端の『ばた』がいつのまにか『バター』になったとか、毎度前回のおさらいをする授業のくどさから『バター』になったとか、諸説ある。という話を草加から聞いたことがある。

 半泣きで笑う春湖が目尻を指で拭う。

「じゃあ、次新作な。これは誰でしょう!」

 草加は自信満々で困った顔を作り、言った。

「あぁぁあぁ、すみませんっ!」

 すごい。結構似てた。特に奇声部分が。

 俺、恋、春湖の答えが綺麗に重なる。

「真野先生」

 真野は授業中もよく謝る。あと、波のある奇声を発する。

「草加センパイ、すごい!」

 はしゃぐ春湖を見て心底思う。学外でも生徒の肴にされるなんて、教師って気の毒だな。

 恋が、水のおかわりを持って来る、と言って席を立ち、通路に出る。

 春湖と恋に褒めちぎられて照れた草加が、テーブルの上に置いてあったガムシロップを落とした。ガムシロップは床に落ち、通路の真ん中へと転がる。

「あ、俺のガムシロちゃんっ」

 草加がガムシロップを追いかけて、席から滑るように通路に飛び出した。通路を歩いていた見ず知らずの客の足に衝突しそうになる。

「うわっと……すみませんっ」

 流石は運動部な反射神経で客を避けた草加が、ガムシロップを拾って恥ずかしそうに席に戻る。

 俺は、反射的に立ち上がった。

 自分と恋の鞄を持つと、まだ近くにいた恋の腕を掴んだ。

「恋、行くぞ!」

 返事は聞かずに走り出す。

 草加の場合、相手が人だから当たらずに済んだ。だが、相手がトラックだったら、無事では済まない。

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