第40話 自殺する奴の気持ち


 放課後になり、帰宅する生徒と部活動に向かう生徒で廊下が賑わう。

 翔太しょうたへの怒りと疑問で、昨日も眠れない夜を過ごした。あくびを噛み殺しながら鞄を持って廊下に出る。

理一りいち!」

 草加くさかが俺に追いついた。

「今日の授業ほとんど寝てたな。それはまあ、いつもだけど、最近多くない? どうしたんだよ?」

「あー……眠くて……じゃあ、さようなら」

 草加にしつこく絡まれる前に逃げる。三十六計逃げるに如かず。先人が残した言葉は偉大だ。倣うべきだろう。

「ぐえっ」

 後ろから何かにタックルされた。睡眠不足で踏ん張りがきかない足は、俺の体を前のめりに倒した。

「わっ、ごめん! 理一センパイ、ダイジョーブ……?」

 非常に申し訳なさそうな春湖はるこの声を背中に受ける。のそりと起き上がりながら親指を立てた。

「まさか倒れるなんて思わなくてっ……」

「理一、マジで大丈夫か? 具合でも悪いんじゃない?」

「理一センパイ、調子悪いの? 保健室行く? あ、もう放課後だから帰った方がいいのか」

 二人共、いやに深刻そうに心配してくれている。眠いだけなんだけど。

久連木くれこ、俺、そんなに重症に見えるか?」

「いいえ。注意力散漫な古賀先輩が珍しいだけかと」

れんちゃんは、理一が重症に見えないの?」

「わりといつもの古賀先輩だと思います」

「…………」

 草加が言葉を失った。まずい。これは、恋が何故か俺のことをよく知っている風で、もやもやしている顔だ。

「理一センパイ、本当になんともない?」

「ああ。なんともないよ。全然大丈夫だ。百メートル走で久連木に勝てるくらい大丈夫だ」

 草加の顔が引きつる。

「いや、お前、それさー……」

 俺の冗談はそんなに滑らかだったのだろか。

「……理一センパイ、車に轢かれたりしない?」

 なんだ、その百パーセントの保証が出来ない問いかけは。

「運がよければ轢かれない」

「心配だから送ってく!」

 春湖が俺の腕を引いて歩き出す。

「大丈夫だから……慣れた道だし、すぐそこだから」

「すぐって言っても二十分くらいかかるじゃん」

 春湖の言葉に、草加が反応した。

「えっ、どーいうこと?! 春湖ちゃん、理一の家に行ったことあんの?!」

「私だけじゃないよ。恋も行ってるよ。ね?」

 春湖に話を振られた恋は、ちょっと困ったような笑顔で肯定も否定もしない。

「理一! お前……ふざけんなよ……」

「ちょっと、草加センパイ。手出ししたら私、怒るからね」

 春湖が俺と草加の間に入ってくれる。草加はそれ以上俺に近寄れず、口を尖らせる。

「オレ、まだ行ったことないのに!」

 喚く草加の声が頭に響く。

「はいはい。わかったわかった。今度な、今度」

 ついてこようとする春湖と草加を恋になだめてもらい、一人で下駄箱の前に行き着く。

 そこで、今度は肩を叩かれた。

「古賀君、今帰りですか?」

 にこにこ笑顔の真野先生に出会ってしまった。

「はい。真野先生、さようなら」

 あっけなく帰宅しようとする俺の肩が、真野さんに掴まれる。

「ちょ、ちょっと待って! 少し話しましょう」

「いや、俺、早く帰りたいんで」

「そう言わずに。ここで会ったのも何かの縁ですし」

「どーせ待ち伏せしてたんでしょうよ……」

「ち、ちち違いますよ。やだなぁ」

 真野さんに肩を掴まれたまま、俺の体は一階にある美術室前に移動させられる。美術部の生徒が美術室の奥にいるが、美術室前は人通りがなく、静かだ。

「古賀先生、助手の件ですが、改めてお願いします!」

 九十度のお辞儀をしながら右手を真っ直ぐに俺に伸ばす真野さんのポーズはどこかで見たことがある。その手を、いつかのように叩き払った。

「断る。何度言われても駄目です」

「どうしてですか?! 俺はよく働きますよ?! 生活を犠牲にして懸命に!」

「そこまで求めてないので」

「じゃあ、古賀先生が助手に求めているものってなんなんですか?!」

 俺が助手に求めているもの……恋が満たしている条件でも適当に並べよう。

「まず、いつでも落ち着いていて、うるさくないことですね。あと、なんだろうな……あ、言わなくても掃除してくれたり、料理が美味かったりするのはいいな」

 真野さんが真剣な顔で黙っている。こいつ、家事が出来ないんだな。よし、ここでトドメだ。

「それからこれが重要です」

「な、なんですか?」

「死体に興味がないこと」

「古賀先生、俺に意地悪してませんか……?」

「していません。これが現実です。真野先生に助手は無理です。もう諦めてください」

 いい加減帰ろうと玄関に向けた俺の足は、鉛のように重くて動かない。と思ったら、真野さんが足にしがみついていた。

「大人気なっ……!!」

「助手にしてくれきゃ嫌だよぉー! 古賀せんせーい! お願いしますよぉー! どうしても駄目なら恋ちゃんを養子にしたいよぉー!」

 なんか関係ない欲求も口走ってる。この大人、大丈夫なんだろうか。

「ちょ……放せ……! 誰かに見られたらどうするんだ?!」

「見られればいいんだー!」

「いやいや! 危なくなるのはお前の立場だけだぞ……」

 こんな現場、見られたところで俺は痛くも痒くもない。変態教師に絡まれた哀れな被害者として、可哀想な目で見られるだけだ。む、痛くはなくても痒い気がする。

「古賀せんせーい! 後生ですからぁ!」

 ふと、視線を感じた。美術室の中からだ。驚愕に目を見開く女子生徒と目が合う。

「……真野先生、ほんと、もう見られてるんで放してください。学校にいられなくなりますよ」

「えっ! すみません! 古賀先生が学校にいられなくなったら大変です!」

「俺じゃなくて、お前が……」

 真野さんは俺の足からようやく離れて、情けなく眉を八の字にしてヘコんでいる。

「すみません、俺、また失礼なことを……」

 一旦感情的になると歯止めがきかないらしい真野さんだが、自制出来ている時は節度ある大人だ。

「気をつけてください」

「度々ご迷惑をおかけしています……本当にすみません……」

 俺は微塵も悪くないが、綺麗な顔でしょぼくれている真野さんが少し可哀想になってきた。

 真野さんは素直に反省している。屍蝋への態度や感情は異常だが、恋を助けてくれた恩まで忘れたわけじゃない。小屋を壊した俺に対しても、恩着せがましさはゼロだ。

「いえ、俺の方こそ、ついきつく当たってしまってすみません。助手の件には応えられませんが。俺は俺の患者が大事なので」

「……俺、もっと落ち着いた大人になるよう努力します」

 しおらしく反省している真野さんは、確かにおかしいところもあるが、大人だ。俺の倍近くの年月を生きていることは間違いない。なら、俺や恋にはない知識だってあるはずだ。

「あの、真野先生にちょっと教えてほしいことがあるんですが」

「は、はいっ! 俺に答えられることでしたらなんでも!」

「自殺する奴の気持ちって、わかりますか?」

「は、はい?」

 いや、それなら俺の方がよく知っている。

「違うな……恋人を残して自殺する奴の気持ち、です」

「ええと……それは、相当なことがあったんでしょうね」

「何があったんだと思いますか?」

「別れ話とか?」

 別れ話じゃないな。そんなもの、したとは聞いていない。

「あと、莫大な借金を抱えてたり?」

 真っ当な高校生で、それは多分ないだろう。いや、断定はできないな。親が莫大な借金を抱えて失踪、もあるかもしれない。だとしても、恋人にさえ何も言わずに死ぬだろうか。

 俺の表情が芳しくないのを感じ取ったのか真野さんが、また他の理由を考える。

「うーん……じゃあ、……そもそも自殺じゃない、というのはどうですか?」

「自殺じゃない……?」

 自殺だろ。遺書だってあるんだぞ。俺が実際に目にしたわけではいないが。

「別れる気のない恋人を残してなんて死ねないと思います。相手のことが好きなんだったら、心中したいじゃないですか」

「確かに……そういう人もいますね」

 みんながみんなそうしたいというわけではないと思う。けれど、同じアパートの住人と砂河さんから聞いた翔太像は、明るく優しい好青年だ。そんな奴が身勝手に自殺なんて方法をとるだろうか。何か、俺に思いつかない、どうしようもない理由があるはずなんだ。

 だから、真野さんが言うように本当は自殺ではないのかもしれない。遺書があるという話から、自殺ではないセンは考えていなかった。

「……真野さん、助かりました。今の依頼が一段落したら、灯の外泊を許可します」

「ほっ、本当ですか?!」

 明るく輝く真野さんの笑顔を尻目に、俺は校門に向かい、恋と一緒に自宅に帰る。俺は地下に降りずに、翔太の遺体を恋に任せて外に出ると、駆け足で翔太の自殺現場に向かった。

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