第38話 不謹慎なネタ


 翔太しょうたの遺体は、明日の夕方に咲嘉さくかさんが運んでくれる手筈だ。

 俺はれんを連れて、砂河すながわさんに聞いた翔太の家に来た。

「ここで一人暮らしか……」

 二階建ての小さなアパートの一室が、柏木翔太の住まいだった。いくつか空き部屋があるようで、『部屋貸します』の張り紙が窓にある。

「家賃は三万か」

 高校生が一人で住むには妥当な部屋だろう。探せばもっと安い物件はあるが、そこそこ安い。

「古賀先生、人が出てきました」

 アパートの一階、左から二番目の玄関から主婦らしい女性が出てきた。時間的に夕食の買い物だろうか。駆け寄って声を掛ける。

「すみません」

「はい?」

「ここのアパートの方ですか?」

「そうですけど……」

「二階のあの部屋に、柏木翔太という人が住んでいたのはご存知ですか?」

 翔太の名を出した瞬間、女性の顔から不審者へ向ける表情が消えた。

「ああ、翔太君? 知ってるわ」

「どんな人だったんですか?」

「いつも元気よく挨拶してくれてたの。明るくて礼儀正しい、とってもいい子だったのに……あんなことになるなんて、わからないものだわ」

 女性は残念そうに話してくれた。

「最近、柏木さんに何か変わったことはありませんでしたか? 落ち込んでいたとか」

「翔太君、いつも元気だったから、悩んでるなんてわからなかったわ」

「亡くなった当日の朝も、普段通りでしたか?」

「そうねぇ……あの日の朝も、元気良くて……ちょっといつもより元気だったかもしれないけど」

「いつもより元気? どうしてそう思われたんですか?」

「なんていうか……そわそわしてる? みたいな、急いでいるみたいな? 向こうの道にいた人が振り向くくらい大きな声で挨拶してくれて」

 女性は三十メートルほど先の、見通しの良い十字路を指す。

「でも、後から考えると、っていうやつだから、やっぱり気のせいかもしれないけど。翔太くんが元気なのはいつものことだったし」

 同じアパートに住む女性の話からは、翔太に自殺の前兆は見られない。それどころか、自殺するような奴にも思えない。

 俺達は、話してくれた女性にお礼を言うと、来た道を引き返した。


 翌日、咲嘉さんが翔太の遺体を運んできた。

「よっこいしょーた!」

 咲嘉さんはそう言って大きなダンボール箱をリビングの床に下ろす。微笑んでいた恋が真顔になって笑いをこらえているのを俺は見逃さない。こそこそと恋の真横に行き、小声で叱る。

「……笑うな……! 大丈夫だ。こんな不謹慎なネタ、全然、米一粒すら面白くもなんともない……!」

 恋は首を小さく縦に振って頑張ってくれた。

「ふぃー、こんな大きな男の人なんてはじめてだねぇ。りーちゃん、大丈夫?」

「問題ありません。では、俺は恋と処置にあたりますので、これで」

「えっ、私も死体遺棄部屋に行きたーい」

「ぷはっ」

 息を止めていた恋に限界が来たようだ。大袈裟だと思うのだが、ソファの後ろから背もたれに顔を埋めて死んでいる。

「咲嘉さん……恋が使い物にならなくなるので、くだらないギャグは封印してください」

「ひどいよー! 恋ちゃん、りーセンセーが私を虐めるー! うわーん!」

 咲嘉さんも恋のとなりに並んでソファの背もたれに顔を埋める。

「大人虐待なんて子どもとして最低だぁー! このソファ柔らかくて気持ちいいー」

 後半、なんか喜び出した咲嘉さんを無視して、恋の肩を叩く。

「いた……っ」

 恋がくぐもった声を出した。そのまま動かない。

 え。俺、これっぽっちも強く叩いてなんかいない。

「あっ、りーちゃん! 女の子は繊細に扱わなきゃだーめなんだーだめなんだー」

「いや、俺じゃないっ」

「りーちゃんはすごいなぁ。そんなバレバレなとぼけ方が出来るなんて」

「本当に俺じゃない。恋、俺、かるーく触っただけだったよな……?」

 恋がむくりと上体を起こす。いつもの笑顔だ。

「はい。ちょっとした静電気が起きまして」

「だよな」

 あれ……真夏に静電気なんて起きるんだろうか。まあいいや。俺の無実は証明された。

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