第37話 乃亜が、生きてる


 放課後、れんが家にやって来る。

 今日は依頼人が来ることになっている。昨日、咲嘉さくかさんから連絡があった。

「どんな人なんでしょうね?」

「まともな人だといいな」

 恋はキッチンでお茶を出す準備をしている。

 乃亜のあが生きていたら、ああやってキッチンに立ったり、リビングに掃除機をかけたり、せわしなく動いてくれたかもしれない。いや、乃亜が生きていたら、こんな風に家に客が来ることなんてないか。

 インターホンの音が鳴った。玄関へ向かう。

「どうぞ。開いています」

 玄関ドアが開く。

 お邪魔しますと断り入ってきたのは、乃亜だった。


 リビングの向かい合うソファに俺と乃亜、キッチンに恋の三人で沈黙を過ごす。

 どうしてリビングに乃亜がいるのだろう。そんなわけはない。乃亜は地下の屍蝋部屋にいる。ここにはいない。でも、現に俺の前には乃亜が座っている。冷たい緑茶なんかを飲んだりしている。これはたしかに乃亜だ。

 しんと静まりかえったリビングの中、困り顔で切り出したのは乃亜だった。

「あの……屍蝋の、依頼に来たんですけど……」

 乃亜が話している。困った顔で俺を見ている。

「…………」

「古賀先生、生きていますか?」

「生きてる……乃亜が、生きてる……動いてる……話してる……困ってる……」

「あの……?」

 乃亜が、生きていた。どういうことだ。生きている乃亜から目が離せない。

「すみません。先生は屍蝋ごっこに興じてしまいましたので、代わりに私がお話を伺います」

「は、はあ……? 屍蝋ごっこ?」

「先生のマイブームです。私は助手を務めております、久連木くれこ恋と申します」

 恋、俺に変なマイブームを作るんじゃない。そんなブームは来たことは一度だってないし、これからも一生来ない。

「久連木さん……よろしくお願いします」

 乃亜が俺を見ている。もう二度と視線を交わすことなど出来ないと思っていた。乃亜の視線が俺に向けられている。俺も乃亜に視線を返す。

「あの、古賀、先生? は大丈夫なんですか……?」

 乃亜が俺を心配している。懐かしいな。

「大丈夫です。ではまず、お名前をお聞かせいただけますか?」

砂河すながわ茉莉まつりです」

 スナガワマツリ? 誰だ、それは。

「乃亜だろ? 乃亜だよな?」

「え、え?」

加茂宮かものみや乃亜だろ?」

「かも……? ええと……?」

「古賀先生、この方は乃亜さんではありません。砂河さんです。似ているかもしれませんが、別人です」

「……だよな。乃亜は地下にいるもんな」

 あまりにも乃亜に瓜二つで、とにかく驚いた。

 冷静になってよく見ると、乃亜よりもやや大人びている。高校生くらいだろう。乃亜がきちんと生きていたら、こんな風になるんだろうな。

「砂河さん、生き別れの妹はいませんか?」

「いませんけど」

「加茂宮乃亜という名前に心当たりは?」

「聞いたことありません」

 血縁者でもないらしい。それなのに、こんなに似ているものだろうか。毎日乃亜を見ている俺が乃亜と見間違えるくらいだ。

「あの、本当に大丈夫なんですか? さっきからなんか変だし、それに高校生なんですよね?」

 砂河さんが俺に不審な目を向ける。なんだか乃亜に怒られているようでドキドキする。

「申し訳ありません。砂河さんが先生の知人によく似ているもので、少し混乱していたようです。もう大丈夫ですよね、古賀先生?」

「……ああ、悪い」

 砂河さんから話を聞く前に、犯罪に加担することになるという注意事項を説明する。砂河さんは少し躊躇ってから頷いた。

「それで、今回の依頼というのは?」

翔太しょうたを屍蝋にしてほしいんです」

「その方とはどういうご関係ですか?」

「恋人でした」

「亡くなられたのはいつですか?」

「昨日です」

「では、葬儀は明日ですか?」

「はい」

「その前にご遺体をここへ搬送しますので、ご了承ください」

「……あの」

 ひどく言いにくそうに、砂河さんは言葉を詰まらせた。

「なにか問題があるんですか?」

「問題というか……翔太、車道に飛び出してトラックにはねられたみたいだから、ところどころ骨折してるんだけど、それでも大丈夫ですか?」

「……トラックに、ですか。ご遺体の状態を見てみないとなんとも言えませんが……翔太さん、自ら命を経ったんですか?」

 砂河さんが下を向いて唇を噛んだ。

「……翔太がそんなに思いつめてたなんて、全くわかんなかった。一言だけでも何か言ってくれればよかったのに、あんな遺書だけ残して自殺するなんて……」

 砂河さんが目元を両手で押さえる。

 翔太という男は、乃亜そっくりの砂河茉莉という彼女を残して、何故自殺なんてしたのだろう。

「失礼かとは思いますが……翔太さんはどうして自殺を」

 砂河さんが下を向いたままで首を横に振る。

「それが、はっきりした理由はわからないんです」

「遺書に書いてあったんじゃないんですか?」

「遺書には、『こんな僕と付き合ってくれてありがとう。違う世界でまたよろしく』とだけあってっ……」

 砂河さんは泣き出すのを堪えて、黙ってしまった。

 ここに来るのもやっとだったんだろう。恋人が昨日亡くなったばかりで、まだ気持ちの整理もついていないだろうに。

 砂河さんが何も言えなくなっている間、俺も何も言うことが出来ない。

 恋が、俺と砂河さんとの前にあるガラスの器を新しいものと交換した。

 テーブルの上に置かれた器の音が合図だったかのように、砂河さんが顔を上げた。

「誰にも言えなかったんですけど……翔太の自殺、私のせいだと思うんです」

「お二人の間に何かあったんですか?」

「翔太が亡くなる前の日……進路のことで口喧嘩しちゃって……私は翔太と同じ大学に進学したくて、でも、翔太は就職にこだわってて……喧嘩したまま、翔太は……」

「砂河さんは、それを後悔して、翔太さんを屍蝋にしたいんですか? 自分を恨んで死んだかもしれない人間を、そのままの形で存在させておきたいんですか?」

「そうですね……翔太は私のことを恨んでいるかもしれない……」

「もし後悔しているのなら、火葬して普通に弔ってあげるのが一番の供養のように思うんですが……」

 出来れば、砂河さんには屍蝋なんてものには関わってほしくない。犯罪なんて、どうしようもないから手を染めるものだ。やらなくていいならそれに越したことはない。

「そうなんだと思います。翔太は、この世から消えたくて自殺したんだから、このまま姿を残しておくのは彼にとっては迷惑なことなんだと思います。でも」

 ずっと我慢していた涙が、砂河さんの目からこぼれた。

「私が、まだ、彼と一緒にいたいんですっ……大好きだったから、もっと一緒にいたいんですっ」

 泣き笑いの顔で、砂河さんは翔太への想いを口にする。

 俺は断り切ることが出来ず、砂河茉莉の依頼を受けた。

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