第32話 これだけは提案したい。

 真野さんの車で病院に向かう。

 ひとまず、春湖はるこ草加くさかれんの無事を伝えなければ。

 まず、春湖に電話を掛けよう。

「……折倉か?」

『恋は?! 見つかった?!』

「ああ。無事見つかった。あと家出じゃなかった」

『じゃあなんだったの……?』

「ちょっと捕まっていただけだから、大丈夫だ」

『それ大丈夫じゃなくない?!』

「まあ、とにかく無事だから。お前も暗くならない内にちゃんと帰れよ」

『えっ、古賀センパ』

 通話を切った。さっさと草加にも電話しないと。草加は待ち構えていたかのように、コール音前に電話に出た。

『恋ちゃんはっ?!』

 うるさ。すぐに電話を耳から離して用件だけを伝える。

連久木くれこは無事見つかったから、もう帰っていいぞ。じゃあな」

 まだ何か話している声が聞こえるが、構わずに通話を切る。

「春湖も、私を探してくれていたんですか?」

「折倉だけじゃない。草加も、真野さんもだ。……本当に警察に通報しなくていいのか? みんなお前のことを心配してたんだからな。もうこんなことが起きない保障はあるのか?」

 心配されることがよほど変わったことなのか、恋は、あのわけがわからなくて少し困った風の笑顔で俺を見ている。

「……それは……その……とにかく、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。……来てくれてありがとうございます」

 真相は気になる。恋の今後の身の安全も気になる。けれど、恋が困っていることはわかる。春湖が落ち込んでいた時よりも、直に屍蝋を見た時よりも、俺が屍蝋職人だと告白した時よりも、これまでのどの恋よりもずっと困っているように見える。だから俺はこれ以上無理に問いただすことはしたくない。今はまだ。

「ん。まあ、お前は悪いわけじゃないからな。気にするな。それから真野さん」

「は、はい?」

 真野さんに深く頭を下げる。

「恋を助けてくれて、ありがとうございました」

「えっ、いえっ、俺、ほとんどなにもしていませんけど……?」

「この場所を特定してくれましたし、俺のことも助けてくれたじゃないですか。むしろ俺なんてただやられただけで。真野さんがいてくれてよかったです」

 真野さんが片手で頭を抱えて、少し下を向く。

「そ、そうですか……そうだったら、嬉しいです」


 病院について、仕事があるのに俺と恋を待っていると言う真野さんを全力で帰してから、治療をしてもらう。

 俺は階段から落ちたと、ありきたりな嘘をついた。

 治療中、ずっと考えていた。どうすれば恋が一番安全でいられるかを。そしてその手段をどう切り出そうかを。


 病院を出て恋の家まで二人で歩く。

 空は既に薄暗く、通りの脇にある街灯が目立つ。

 恋は俺の半歩後ろを歩いている。俺が歩を緩めようと、決して真横に並ぼうとはしない。

「……折倉が、お前が家出したんじゃないか、って死ぬほど心配してた」

「私が家出……? ……もしかして、春湖は父に会ったんですか?」

「いや、家に電話したって言ってた」

「そうですか」

 恋は多分、家のことをずっと隠してきたのだろう。それがバレてしまったというのに、あの感情の読めないいつもの笑顔のままだ。

「……折倉は親友だろ?」

「はい」

「お前はこれからも、親友を騙したままでいる気か?」

「はい? おっしゃる意味がわからないのですが……」

 恋は、気づかなくていい事には怖いくらいすぐに気づくのに、自分自身の事となるとまったく気づいてくれない。

 足を止めた俺から二歩遅れて、恋も足を止めた。俺を追い越した恋が振り向く。

「そうやってずっと笑って、辛いことも嫌なことも何も言わないで、折倉や俺に本音を隠し続けていくのか、って訊いているんだ」

 恋は笑みを少しだけ深くした。

「騙してなんていません」

 後ろめたい思いなど何もない目で、恋は俺を真っ直ぐに見ている。

「私がずっと笑っているんだとしたら、それは私が幸せだからです。春湖や古賀先生と一緒にいる時間が幸せだから、私は笑っているんじゃないんですか?」

 そう、本当に幸せそうに訊ねられる。

「お前のことを俺に訊くな。……はぁ、もういいや」

 恋は、自分が辛い思いをしていても自覚がないのかもしれない。きっと、恋の笑顔は無表情と同じだ。無自覚に笑っているような奴に何を言えばいいのか、今の俺にはわからない。

 ただ、これだけは提案したい。

「恋、俺にやましい思いは一切ないということを前提に聞いてくれ」

「はい?」

「今から俺の家に住まないか?」

「…………」

 恋にとっては突拍子もない話に違いない。恋が全動作を停止させた。

「俺の家が嫌なら、真野さんの家でもいい。廃墟みたいだけど。どっちにしても、また襲われる可能性があるお前をこのまま放置することはできない」

「……古賀先生、私はひとり暮らしではないので、家に帰れば家族がいます」

「登下校時はひとりだろ?」

「春湖に…………いえ、ひとりです」

 家の方向が違うから気が引けたんだろう。春湖なら二つ返事で受けてくれそうだが、女の子ふたりでも安心はできない。

 確か真野さんは契約の時に、屍蝋送迎について、早朝の仕事はないと書いていた。

「なら、安全だとわかる場所にいるべきだ。真野さんも朝なら恋を送って行ける。下校時は俺が送っていけばいい。どちらにするかは恋が選べばいい」

 対して面識のない真野さんよりも慣れた俺の家の方がいいだろけど。

 恋はちょっと目を逸らして、考え込んだ。

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