第33話 これはアレだ。

 れんが、俺の家を出る時のようにお辞儀をした。

「私のために提案してくれているんですよね? ありがとうございます。でも、どうしてもどちらかを選ばなければなりませんか?」

「そうだ」

 今回のことで、恋がいなくなっても騒ぎ立てるような家族ではないことは実証済みだ。恋がそういう心配をしているとは考えにくい。

「……でしたら、私は」


 少し話し込んでしまい、空が暗くなっていた。

 恋の失踪事件で言いそびれていたことを伝えなければ。

「あー、そうだ……明日地下に入ったらびっくりすると思うけど、頑張ってくれ」

「はい? よくわかりませんが、わかりました」

 地下室には恋が知らない死体が二人も増えている。あいつらを見た恋がどんな顔をするのか楽しみだ。

「それじゃ、帰ろうか」

「はい」

 恋と一緒に歩き出す。

 恋はやっぱり半歩後ろをついてきた。



 翌日、登校するなり草加くさかが駆け寄ってくる。

「理一! どうしたんだ、その怪我?!」

 草加は朝から騒々しい。

「昨日ちょっとな」

「恋ちゃんのことと関係が?!」

「これは単なる俺の不注意だ」

 恋の命が危険だと思い、冷静さを欠いた結果だ。

「理一ってそんなドジやらかす奴だったっけ?」

「ごくたまにな。覚えておいてくれ」

「……俺、そういうの何ていうか知ってるわ」

 草加が深刻そうな顔をする。

「ギャップ萌え」

 二ヶ月くらい前にも、咲嘉さくかさんの口から聞いたことのある単語が草加の口から出てきた。たしかあの時も、いつもきっりちかっちりしている俺に、抜けているところがあるのがギャップ萌えだと言われたような気がする。

「あー!!」

 騒々しい二号が教室に堂々と入ってくる。

「よく朝っぱらから二年の教室に突っ込んでこられるな。すごいぞ、折倉」

「え、そう? ありがと。じゃなくて! 古賀センパイ、その怪我ってもしかして昨日の……」

「まあ、怪我したのはたしかに昨日だな」

「春湖ちゃん、おはよう」

「おはよう。草加センパイはちょっと向こうに行ってて」

「えっ」

 草加は哀愁漂う背中を見せて、教室を出て行った。

「まさか骨折?」

「そんなに大層な怪我じゃないし、お前が気に病むことじゃない」

「だって……私が古賀センパイに電話したから……」

 俺の怪我に責任を感じる春湖の頭を撫でる。

「折倉には感謝してるよ。連絡してくれなかったら、久連木くれこを見つけることも出来なかった」

 春湖は照れたように笑う。こいつの嬉しいや悲しいははっきりとわかる。笑顔の無表情な恋とは正反対だ。

 ふと、春湖が照れた笑みとは違う種類の笑みを浮かべる。

「……ねえ、古賀センパイ」

「なんだ?」

「昨日電話した時、恋のこと名前で呼んだよね」

「え」

 そんな馬鹿な。注意していたのに、うっかり呼んでしまったのだろうか。

「もしかして、普段から恋って呼んでる?」

「そ、そんなことないだろ? いつもれ……久連木って呼んでるじゃないか」

 春湖の顔から笑みが消える。

 やばい。今、ボロ出した自覚満々だ。じわりと、顔に変な汗がにじみ出る。

「やっぱり、呼んでるんだ……」

「ち、違うぞ。これはアレだ。俺は、そうだ、心の中ではいつもみんなのことを名前で呼んでいるんだ。うん」

 誰か、俺に巧い嘘のつき方を教えてくれ。

「私のことも?」

「はい?」

「私のことも、心の中では春湖って呼んでるの?」

 春湖は、妹の梨夏と区別するために、心の中ではずっと名前で呼んでいる。折倉が二人いたら、どちらのことだかわからなくなる。

「それは、勿論。いつもそう呼んでる」

 俺の返答を聞いた春湖は、少し頬を膨らませながら上目づかいに俺を見上げる。

「じゃあ、呼んで」

「だから、呼んでるんだけど」

「心の中だけじゃなくて、声に出して、名前で呼んで!」

「春湖、って?」

 口にすると、春湖の顔が赤くなった。

「う、うん。あとね、私も理一センパイって呼んでいい?」

 春湖は、俺に名前を呼ぶよう強気で迫ってきた時とは一転して、今度は遠慮がちに訊ねてくる。

「別に構わないけど」

 春湖は気合の入ったガッツポーズと、満面の笑顔を作った。そんなに明確に喜ばれるとこっちも照れくさい。

「じゃ、またあとでね、理一センパイ!」

 元気よく走り去っていく春湖と入れ違いに、生気のない草加が入室してきた。

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