第27話 二つの異変

 フローリングに、鞄が衝突した。

 鞄の音から少しも間を置かずにリビング中を駆け回り、窓という窓を全開にしてカーテンを閉める。

 戸惑う指で照明のスイッチを押す。明るくなった室内に、二つの異変が転がっていた。

 思わず鞄を落としてしまった原因はこれだ。

 家のリビングに、死体がふたりいる。

 なんだ、これは。どうしてこんなものがここにいるんだ。二人の顔に見覚えはない。

 通報……はまずい。この家には屍蝋部屋という法的に完全アウトな存在がある。警察なんて家に入れられない。

 見なかったことにして、外に置いてくるか。いや、それは駄目だ。誰かに見られでもしたら、死体遺棄の現行犯そのものじゃないか。被疑者として連行された俺は、家宅捜索により連続死体遺棄犯に昇格する。

 結局のところ、誰にも知られることなく対処するしかない。

 見たところ、顔面は蒼白化している。二人とも死後一時間経過しているかどうか、という感じだ。近づくと強くなる死臭に、鼻を左手で軽くおさえながら、死体の一人――小学校低学年くらいの少年の腕に右手で触れる。まだ死後硬直ははじまっていない。もう一人の少女も、少年と同じくらいの年に見える。こちらも、皮膚はまだ柔らかい。

 二人をこれからどうするにしても、とりあえず死後の処置は行っておかなければならない。

 見知らぬ少年と少女の死体を、慎重に屍蝋部屋に運ぶ。


 二人は体が小さく、処置台に一緒に並べることが出来た。これで同時に処置出来る。

 亡くなった瞬間から筋肉を支える機能を失った顔は、重力に従って扁平化へんぺいかしてしまう。まずはそれを防がなくてはならないのだが。時間の経過によっては、元に戻せるかどうかわからない。

 二階に駆け上がり、物置と化した使われていない部屋に駆け込む。クローゼットから枕とタオルを掘り起こすと、今度はすぐさま地下へ駆け下りる。

 顔を両サイドから持ち上げることで、平たく広がることを阻止するため、二人の顔の両側に枕をセットする。それからタオルを丸めて顎の下に当てた。これで顎が勝手に下がり口が開くことはない。

「ええと……」

 次は、どうすればいい。

 死後のこんなに早い段階から死体への処置をするのははじめてだ。

 こんなことがあるなんて。いつもは葬式を控えた、死後の処置がしっかりとしてある遺体ばかりを扱っていた。俺が、自分でこの処置をする日が来るなんて、思いもしなかった。

 どうしても狼狽うろたえてしまう自分に、冷静になれ、と言い聞かせる。俺はただの高校生ではない。屍蝋職人だ。

「……冷却!」

 遺体はまず冷やすことが原則だった。

 二人の服を脱がせ、丁寧に拭く。それを終えると、キッチンの冷凍庫から常備している保冷剤をいくつか取り、また地下室へと戻る。

 内臓が一番やばい。保冷剤を胃と腸があるあたりに乗せる。それから肺の上、と。最低限冷やすべき場所は以上だ。屍蝋部屋はもともと室温が低いから大丈夫だろう。念のため、首の上と腋にも保冷剤を設置しておく。

 ひとまずやらなければならないことは完了した。長い息を吐いて、乃亜の横に腰を下ろす。

 そうだ。謎の二人に気を取られていたが、あかりのことも診てやらないと。

 立ち上がった途端、携帯の着信音が鳴り響く。

 驚いて、手に持っていた保冷剤のあまりを床に落とす。それを拾いながら、折倉春湖の文字が表示されている画面をタップする。

「もしもし?」

 妙に緊迫しているような春湖の声が聞こえてくる。

『あっ、古賀センパイ?!』

「なにかあったのか?」

『恋がいないの!』

「今日は学校休んだんだろ? いるわけないじゃないか」

『学校にいないのは知ってるけど、家にもいないの!』

「行ったのか?」

 恋が嫌がるから、春湖は恋の家には行ったことがない、と草加くさかが言っていたのはついさっきだ。

『連絡がないから心配で、家に電話したの。恋、携帯持ってないから。家の人は朝学校に行った、って言ってて』

 どういうことだ。

「じゃあ、恋はどこにいるんだ?」

『だから、いないって言ってるんだってば!』

 恋はきちんとした奴だ。誰にも連絡せず無断で学校を休み、外出するような奴では断じてない。だから春湖は慌てているのだ。病欠だとしても恋なら、今日は来られない、と俺に連絡してくるだろう。だから俺も、おかしいと思う。

「わかった。今出られるか?」

『うん! 今学校出たとこ!』

「どこに行けばいい?」

『じゃあ……雪瑞ゆきみず公園!』

「すぐ行く」

 通話を切った。

 謎の死体も気になるが、それよりも恋が心配だ。

 嫌な予感がする。 

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