第17話 本当に幸せなんでしょうか?
春湖が帰ってから、
男の俺なんかと違って、久連木はきちんと足を揃えて綺麗に座っている。勿論、女子がみんな綺麗に座るわけではない。学校で休み時間の女子を見て、だらしない座り方に嘆いていた
久連木がテーブルに置く湯呑の音は静かだ。
「春湖、とても喜んでいましたね」
「そうだな」
「よかったですね、古賀先輩」
「まあ、苦労したからな。お前も大変だっただろ?」
久連子が目を閉じて、ゆっくりと首を左右に振る。
「古賀先輩ははじめから……梨夏ちゃんの話を聞いた時から、梨夏ちゃんを屍蝋にすることを考えていたんですよね」
いつもと変わらない笑顔の久連木にピタリと言い当てられ、ドキリとする。
「……どうして、そう思う?」
「古賀先輩と草加先輩が私のクラスにいらした時、春湖の家に行こうと提案したのは古賀先輩でしたから。親族と死別したばかりの子にすぐに会いに行くというのは、とても気が引けるものです。古賀先輩は、きっとそれ以上に、なんとか出来る自信があるんだと、あの時の私は感じました。そして、それは正しかった」
そんなにはじめの段階から見抜かれていたなんて。
久連木の言う通りだ。
妹を失って辛い思いをしている春湖を助けたい、と思ったからそうした。かつて乃亜を失った俺と同じ境遇にいる春湖を、どうしても放っておくことが出来なかった。まだ完全に忘れることの出来ない深い悲しみを、俺は知っているから。どうしてもそれを取り除いてやりたいと思った。
俺は、ただ屍蝋を作りたかったわけではない。
春湖を助ける手段が、俺には屍蝋しかなかっただけのことだ。だから、はじめから屍蝋を作ることしか頭になかった。
「ただの高校生なら、死別の悩みなんて手出し出来ません。普通は掛ける言葉もわからなくて、会いに行こうなんて言い出せません」
「……悪かったな。こんな違法なことしか思いつけなくて」
少し目を逸らす俺に、久連木は面と向かってはっきり口にする。
「いいえ。尊敬しています」
予想外の言葉に、視線だけが久連木に戻る。
「わかっていたことですが、古賀先輩がいなければ、私一人では何も出来ませんでした」
久連木は、出会った時からそう言っていた。まだ高校一年生なのに、自分の可能性をはじめから見限っていた。なんでも出来ると思うのは、子どもの特権だと思う。思えば、こいつはいつでも子どもらしくはなかった。
「春湖は私にとって、とても大切な友人です。何もしてあげられないとわかってはいても、なんとか助けたいと思っていました。古賀先輩は、春湖の心を救う、という、私には出来なかったことをやってのけたんです。私は、そんな古賀先輩を尊敬しています」
どうしてこいつは、本人を前にしてこうもつらつらと褒め言葉を並べられるのだろう。恥ずかしくないのだろうか。
「……あー……その……お前も、よかったな」
「はい」
「手伝ってくれて助かった。ありがとう」
「私からもお礼を言わせてください。手伝わせてくれて、本当にありがとうございます」
「いや、俺の方こそ、役に立ててよかった」
感謝し合って、照れくささが最高潮になった顔を隠したくて、茶を飲む。傾けた湯呑で一瞬だけ、久連木からの視線が遮られた。
久連木から少し硬い声が落ちる。
「古賀先輩」
呼ばれて、手に持っていた湯呑をテーブルの上に置く。しんとしたリビングに、湯呑の底がテーブルを叩く音が目立った。
「これで……春湖は本当に幸せなんでしょうか?」
「当たり前だ」
久連木の笑顔が斜めに傾く。
「古賀先輩は、春湖が幸せに見えますか?」
「見えたから、よかったと思ったんだろ」
久連木には、春湖が幸せだとは思えないのだろうか。春湖が喜んでいたのは確かだ。幸せではない、なんて思えるわけがない。
「春湖は、あの梨夏ちゃんと一緒に生きていくんですよね」
「それがあいつの望みだ。春湖は梨夏のことが大好きだろ? 失くしたと思った大切な人との時間をこれからもずっと続けられるんだ。幸せ以外の何物でもないだろ」
「……そうですよね」
変な間を置いて返事をした久連木が、空の湯呑を持って席を立つ。キッチンから静かな水の音がした。
湯呑を洗って戻ってきた久連木は座らず、リビングの入口へ向かう。
「古賀先輩は、これからも屍蝋を作るんですか?」
これまでにも、咲嘉さんに頼まれ、誰とも知れない死体たちを屍蝋にしてきた。その生活はこれからも変わらない。
「そうだな」
「また、助けを求める誰かが来たら、同じことをするんですね」
「ああ。困ってどうしようもない誰かがいたら、また助けになりたい」
春湖の幸せいっぱいの笑顔を思い出す。
死別は取り返しがきかない、深く重いものだ。その苦しみを負った人を救うことが出来るのなら、笑顔を失った人に笑顔を再び与えることが出来るのなら、それはなんと素晴らしいことだろう。たとえ法に触れる方法だとしても、屍蝋は人の心を救えるものだ。
俺自身が救われたように。
「では、私も助手のままでいさせてください」
久連木からの申し出に飛びつきそうになる声を一旦飲み込む。
「折倉の依頼は完了したんだぞ」
「わかっています」
「違法だし、変なにおいもつくし、部屋は寒いし、力仕事だってあるんだぞ」
「よく知っています」
「正直、お茶出ししてくれたり、作業を交代できたり、色んなフォローをしてくれるのはありがたいけど……」
「はい」
久連木はよく気がつく助手だ。有能な久連木にはこのまま助手を続けてほしい。心底、俺の方から頼みたいと思う。本当は誰かを巻き込んではいけない仕事なのに。
でも、久連木からは、俺の考えなんて全部お見通しな空気がさっきから漂ってきている。
「……本当にいいのか?」
「はい。古賀先生がこれからも人を救う場面を、そばで見たいんです」
唐突な敬称の変化に、顔が火照る。
「先生、って……」
「駄目ですか?」
「いや……好きにしたらいいんじゃないか? 少し照れくさいけどな」
いつもの笑顔をわずかに深くして、久連木が微笑む。
「実は、私もです」
ソファから立ち上がり、久連木がいるリビングの戸口へ向かう。久連木と一緒にホールを歩き、玄関タイルの上に綺麗に揃えてあった靴を履く久連木を眺める。
「あ、でも学校ではちゃんと『古賀先輩』って呼べよ。俺も学校ではお前のことは久連木って呼ぶから」
「……私のことは、ここでもそう呼んでいますよね?」
「俺だけ照れくさい名前で呼ばれるのか? 助手を下の名前で呼んだ方がアットホームな職場みたいで印象もいいかもしれないし……」
草加の『親友は名前で呼び合う』持論に寄せるわけではないが。
久連木は口元に手を当てて、俯き気味に笑う。
「ふふ……やっぱり、古賀先生はおかしな人です」
「へ、変か? 嫌なら久連木のままでも」
「嫌ではありません。古賀先生の好きにしてください」
「よし、じゃあ、恋」
「はい」
「お疲れ様」
「お疲れ様です。お邪魔しました」
四十五度の角度でお辞儀をした恋の、真っ黒ではない髪が空気を動かす。嗅ぎ慣れた屍蝋部屋のにおいが、かすかにした。
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