第14話 もしかしなくても
リビングの大きな窓の外はもう暗くなっていた。階段を上ってすぐのところにある照明のスイッチを押す。
明るくなったリビングで、久連木はキッチンの方を見ている。
「古賀先輩、明日からは私がお茶出しします」
「え?」
確かに、そういうことは助手の仕事か。
「お茶の場所を教えてください」
「そこの戸棚に茶葉とインスタントコーヒーの粉が……ああ、今、下に移す」
久連木の身長では上の戸棚に手が届かないだろう。俺がお茶とコーヒーを下の戸棚に移動させるのを、久連木はじっと見ている。
「ここだからな」
「ありがとうございます。ところで、お湯はどこで沸かすんですか?」
久連木の視線はIHを何度か通って彷徨っている。
「さっきから見てるIHで、だけど」
「あいえいち……?」
あ。またこの顔だ。久連木は、ちょっと困っている時の笑顔をしている。
「そこにあるだろ。やかんもIHの下の戸棚に入ってるから」
「コンロはどこなんですか?」
「え? IHがあるからコンロはないけど……」
「え?」
「もしかしなくても、IH知らないのか?」
「はい」
「……ええと……これがコンロの代わりで、やかんをここに乗っけて、こっちを押すと温まる仕組みだ。使えそうか?」
「火は出ないんですか?」
「出ない。出ないけど高温になるからその辺触らないようにな」
久連木は、電源を入れたり火力を上げたり下げたりして、クッキングヒーターの使い方を復習している。
「……わかりました。もう大丈夫です」
「ならいいけど」
問題が解決したところで、久連木が着たままだったシャツを脱ぐ。
「洗濯して、明日また持ってきます」
「そのままでいい。そんなもん洗濯物に混ぜたら、家の人になんか言われるだろ?」
明らかな男物のシャツだ。そういうごたごたは避けるに越したことはない。
「どうせ気付きませんから、大丈夫です」
「いや、気付くだろ。自分の家のものじゃない洋服があったら普通気付くって」
「私しか見ませんから、大丈夫なんです」
「え? 洗濯、自分でやってるのか? えらいな」
「古賀先輩だってそうじゃないですか」
「俺は一人暮らしだから当たり前だけど、お前は家族いるんだろ?」
「一応います」
「一応?」
家族がいることに一応なんてつくものなんだろうか。もしかすると、共働きで帰宅が深夜だったり夜勤があったり、そういう感じかもしれない。そうだとすると、家族なんていてもいないようなものだ。
「それでは、お邪魔しました。また明日」
「ああ。気をつけて帰れよ」
久連木は、俺のシャツを持って玄関を出て行った。
昼休み開始のチャイムが鳴る。
梨夏を屍蝋液に沈めて三日が経った。
あれをやっている間は夜にぐっすり眠れないから大変だ。授業中とあらゆる休み時間を、睡眠時間に充当する。
「よーっす」
机に上体を乗せて休憩していた昼休みだというのに、なんて騒々しい奴だ。
屍蝋作製で神経をすり減らし寝不足気味の俺の背中を叩いた
「お疲れ様、草加君」
「えっ、ちょ、なに?! なんで急によそよそしい?!」
うろたえる草加を無視して仮眠を取ろうとすると、今度は体が揺さぶられる。
「理一ー! そんな寂しいことすんなよー!」
半泣きの声で訴えてくる草加を振り払うように、勢いをつけて上体を起こす。
「うるせ……。喚くな。触るな。そっとしておいてくれ。眠いだけだ」
「夜更かしか? 何してたんだよー?」
草加は一気に落ち着きを取り戻したが、ニヤニヤしている。もう寝てもいいだろうか。
「あっ、そうだ。今朝、春湖ちゃんに会ったんだけど、やっぱり大丈夫そうだな。普通に元気で安心したよ」
「そうか」
それは良かった。
「もしかして、お前のお陰?」
「俺は特に何もしてない。久連木のお陰じゃないか?」
「恋ちゃん、優しそうだもんなぁ。あんな子に励まされたら悩みなんてなかったことになるよな」
悩みの解消って、励ましてくれる言葉や動作じゃなくて、人によるのか。草加の悩みが安いことはよくわかった。
「はぁ……彼女にしたい……」
「彼女に死体?!」
「な……なんで今更驚くんだ? オレ、前から恋ちゃんのこと好きだって言ってたと思うけど……」
なんだ。彼女に欲しい、って希望か。久連木と死体の組み合わせを昨日も見たせいで変な解釈をしてしまった。
「ああ……聞いた。覚えてる覚えてる。久連木はなぁ、難しいだろ」
「なにが?」
「なにがって、性格が」
あいつとは喧嘩できない。確実に口で負ける。見た目に反して厳しい久連木だ。おすすめはできない。
「折倉の方がお前に合ってるんじゃないのか?」
「春湖ちゃんも可愛いけど、オレは元気なスポーツ少女よりも清楚なお嬢様の方が好きなんだよ」
「清楚なお嬢様って誰だ?」
「恋ちゃんだよ!」
人の印象なんて、どう持とうが個人の自由だ。俺は草加の妄想の邪魔はしない。
「まあ、頑張れ」
「おう!」
草加が親指を立てた直後、昼休みの終了を告げる予鈴が鳴った。
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