第11話 平気、なんですか
「恋ちゃんは、りーちゃんと付き合ってどれくらいになるのかなぁ?」
「
下る階段で、咲嘉さんは俺に背中を押されながら、
「古賀先輩にお会いしたのは昨日なので、付き合いは二日になります」
おい、違うだろ。早く否定しろ。
「わお! 出会った瞬間? 若いっていいねぇ」
地下室の戸を開けた咲嘉さん、俺、久連木の順に中に入る。
「あの……
咲嘉さんが急に真顔になる。これは、慌てふためくと思っていた久連木に、予想以上に冷静に返されて絶望した顔だろうか。
「りーちゃん、残念なお知らせです。ピー。脈がありません。遺体状態です」
「だから、俺と久連木はそういう関係じゃないって言ったでしょう」
「わーん! つまんないよぉ! りーちゃんも浮いた話の十個くらいあればいいのに!」
「安芸さん、そんなに掛け持ちする高校生はそうそういないと思いますよ」
久連木、真面目に返さなくていいんだ。
「恋ちゃんは、りーちゃんが浮浪者じゃなくて面白みないと思わない?!」
浮浪者? なんだそれ。面白いのか? 疑問しか浮かばない俺とは違い、久連木には浮浪者に心当たりがあったらしい。
「もしかして浮気者のことですか」
「そう、それ」
なんでもいいけど、そろそろ作業に入りたい。
「りーちゃんってね、乃亜ちゃんのことばっかりで、浮気しようっていう心意気がないみたいなの」
「そうなんですか」
「つまんないよねー。恋ちゃんはりーちゃんのこと、かっこいいとか、かわいいとか思わない?」
「特に思いません」
やめろ。本人を前に訊く方も訊く方だし、答える方も答える方だ。しかも無関心って一番きついやつだ。
「古賀先輩、安芸さんは関係者なんですよね?」
この地下室にいるということは、屍蝋のことを知っている人間なのか。
久連木の問いに頷く。
「ああ。咲嘉さんは遺体を運んだり、外の処理を色々やってくれる人なんだ」
「お疲れさまです」
「なんのなんの」
「咲嘉さん、これから久連木と作業するので邪魔しないでくださいよ」
「えっ、恋ちゃんも? あ、依頼人って恋ちゃん?」
「正確には私ではありませんが、確かに私もお願いしました」
「そっか。じゃあ私はあっちの椅子でくつろいでるから頑張ってねー」
ひらひらと手を振って、咲嘉さんは宣言通りに椅子の上でくつろぎ始める。近くにあったフリースのひざ掛けが勝手に使われる。
「それ、乃亜のなんですけど」
「いいからいいから」
聞く耳を持たない咲嘉さんにため息を返して、リビングから持ってきた長袖のシャツを久連木に差し出す。
「そうだ、服。久連木、今日はこれを着てくれ」
久連木が返事をする前に、またしても咲嘉さんから茶々が入る。
「りーちゃんには後輩に自分の服を着せる趣味が」
「そんなものはない。そもそも服を貸す提案をしたのは咲嘉さんじゃないですか」
「そうだっけ?」
「これから薬品とか使うし、制服だと臭いが取れなくなるんだ」
久連木に勘違いされると面倒だ。久連木のことだから、勘違いはしないと思うけど。
「そうなんですか。では、今日だけお借りします。次からは私服を持ってきます」
「悪いな。気休め程度かもしれないけど、これ、上から着ておけ」
厚手のシャツを久連木に手渡す。小柄な久連木なら制服の上からでも問題なく着られるだろう。
実際、久連木に俺のシャツは、制服の上からでも大きめだった。
「おおー、これが噂の彼シャツかー」
ニヤニヤしながら俺をおちょくろうと構えている咲嘉さんを無視して、両手を合わせて軽く目を閉じる。それからダンボールに手を掛けた。
茶色の布テープの端を探して剥がす。しっかりと張り付けられていた布テープが、大きな音を立てながら剥がれていく。
テープを取り除いた下から、ダンボールの蓋の合わせ目が現れる。境目に両手を差し入れて蓋を開く。
中には、丁寧に布に包まれた人型がいた。布の端をつまんで、そっと捲る。
閉じられた瞼から生える長いまつ毛、短く切り揃えられたおかっぱの髪が女の子らしい。
寝ている時間が長かったことを思わせる、細い首が目に入る。体もきっと痩せているのだろう。ダンボールの中には、久連木よりも更に小柄な少女が眠っていた。
これが折倉梨夏か。姉妹だから、輪郭や顔のパーツの特徴が姉の春湖と似ている。
白い頬に触れると、手のひらの熱が梨夏に移っていく。
菌の繁殖によって腐敗することを防ぐために、通常、遺体は冷却しなければならない。だから生きている俺よりも、梨夏の体温は低い。
口はしっかりと閉じられ、下顎は生前のようにあるべきところに留まっている。
人は遺体になると骨格筋の収縮機能が失われるから、弛緩した骨格筋が遺体の口を開かせる。だから下顎を押し上げて固定する工程が必要になる。
唇と手指にも触れる。かすかにべたっとした感触が手に残った。
遺体には乾燥しやすい部位がある。それは唇や手指だったり、鼻や頬だったり、全身に何箇所か存在している。だから、乾燥防止のためにハンドクリームやリップクリームを使用する。
遺体の様子を診るかぎり、死後の処置は完了している。これらの処置をしないと、遺体の皮膚は腐敗して色が変わってしまう。遺体特有の臭気も出てくる。そうなる前に処置を施すことで、眠りの延長のような姿を保つことができるのだ。
梨夏をじっくりと調べていると、背後から澄んだ声が掛かる。
「古賀先輩」
「なんだ?」
「平気、なんですか」
何に対して平気なのか、と訊かれているのか、ほんの数秒考える。
「いつもやっていることだからな」
「そうなんですか」
「お前の方こそ、怖いならやめてもいいんだぞ」
まだ高校一年生の久連木にとって、親族以外の人の死体は縁遠い存在だろう。死を恐れる人間は死を嫌悪し、死体を敬遠するのが普通だ。
久連木は、表情を動かさず、微笑んだまま答える。
「問題ありません。お手伝いさせてください」
久連木の声があまりにもいつも通りで、強がりではないとわかる。だから、久連木に手伝わせることを一瞬躊躇った心が消えた。
「じゃあ早速とりかかるか」
「よろしくお願いします」
久連木の深いお辞儀が、作業開始の合図になった。
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