第5話 大丈夫ですか?

 決して明るい空気ではないまま、目的地に到着した。

 折倉おりくら家は、勾配の急な三角屋根に、淡い桃色の塗り壁、窓には格子が入った、南欧風の外観をしている。急勾配の屋根だから、冬には積もった雪が自然に落ちるのだろう。あの屋根の下に死体を置いておいたら、自然に冷凍死体が出来るに違いない。

「先輩、ここで少しお待ちください」

 久連木くれこだけが玄関に行き、インターホンを鳴らす。戸が開き、久連木と同い年くらいの少女が出てきた。

 無表情で現れた少女は、ショートの髪やボーイッシュな服装から、普段は明るく快活なのだという印象を受ける。

「こんな時に会いに来て、すみません。……大丈夫ですか?」

 久連木って幼馴染に対しても敬語を使うのか。はっきりと不自然だ。もしかして、先輩が一緒にいるからまだ敬語なのだろうか。そう仮説を立てたのに、春湖はるこらしき少女は驚いた風もなく、久連木の顔を見て申し訳なさそうに笑う。

「……うん。わざわざ来てくれてありがと」

 久連木は、昨日春湖は電話ごしに泣いていた、と言っていた。ぱっと見、元気そうには見えるが、よく見ると目元が赤く、相当泣いたらしい痕跡がある。

「昨日はすごい泣いちゃってごめん。あはは、なんか、恥ずかしいな……。れん、それで心配して来てくれたんだよね」

「いえ……春湖、本当に大丈夫なんですか?」

「うん。あ、こんなところで立ち話もなんだから上がって。っていうか恋、あの二人、知り合い? ずっとこっち見てるけど」

「あっ……、あの二人は学校の先輩で、春湖を心配して来てくれたんです。草加くさか先輩と古賀こが先輩です」

 今の久連木の感じ……多分俺達の存在を忘れていたんだろうな。

 春湖は不思議そうな顔をしながらも、俺と草加も家に上げてくれた。

 

 春湖の部屋へ向かう途中、どこかからすすり泣く声が聴こえる。嗚咽の合間に、梨夏の名を呼ぶ震えた声も混じる。

「ごめんね。パパとママ、ずっとあんな調子だから、気にしないで」

 先頭を歩く春湖の表情は、俺達三人には見えない。


 二階にある春湖の部屋に入り、ローテーブルの周りの適当なところに腰を下ろす。

 淡いピンクを基調としたかわいらしい部屋だ。ベッドの隅には小さな白いクマのぬいぐるみが置いてある。

 思っていたよりも元気そうな春湖を目にしたからか、草加は明るく笑う。

「こんな大変な時に押しかけちゃってごめんね、春湖ちゃん」

「知らない先輩方が来るなんてびっくりしたけど、恋ってたまに予想外なことする子だし」

 言われた久連木は自覚していない顔をしている。

「ちょっと待ってて。飲み物持ってくる」

 春湖が一旦席を外す。

 草加が、今日初めて来た赤の他人の部屋で何故、と思えるほどのつくろぎを見せる。

「いやー、でも、思ってたより元気そうで安心したよ。ね、恋ちゃん」

「そう、ですね」

 久連木の滑らかではない言葉に、草加は気づいていないようだ。

 俺と草加は、春湖とはさっきが初めましてだ。もしかすると、今日の春湖は久連木が知っている普段の春湖とは違うのかもしれない。

「久連木、折倉は普段からあんな感じか?」

「はい。すみません、春湖は先輩に対しても普段からあんな調子です」

 先輩への態度の話じゃないんだが、まあいい。なんにしても、普段の春湖と同じようだ。

 草加がおそるおそる俺を見る。

「いいんじゃない? 別に気にしてないよな?」

「俺も気にしてない」

 勉強机の上に置かれた写真立てには、春湖と顔を寄せて笑う、春湖に似た女の子が映っている。

 どこを見ているのかわからない久連木に確認する。

「あの写真の子が梨夏りかか?」

 久連木は写真を見ず、ローテーブルに視線を落としたまま答える。

「はい。本当に、本当に……春湖と梨夏ちゃんは仲良しだったんです」

 部屋のドアが開く。

 春湖が、ガラスのコップを四つ乗せたお盆を手に、戻ってきた。

「ありがと、春湖ちゃん」

 ローテーブルにコップを並べる春湖を、草加が手伝う。

 コップにはオレンジの液体が入っている。多分オレンジジュースだろう。

 誰も何も言わないが、お盆の上には何故かロウソクも一本乗っている。

「……そういえば、先生からプリントを預かってきたんでした」

 久連木が学生鞄から一枚の紙を出して春湖に手渡す。受け取った春湖は無表情にプリントを眺めた。

「うわ、来週から地理の小テスト毎回実施? 勉強したくないなぁ……」

 久連木が、お盆の上に一つだけ置いてあるロウソクを見ている。

 草加は同情するように、春湖をじっと見る。

「春湖ちゃん……嫌なのはすんげーわかるけどさ、梨夏ちゃんの分も学校に行って、勉強しないとね」

「……うん。そう、だね。梨夏に、ちゃんと教えられるようにならなきゃ」

 しんみりした空気に、久連木も草加も何も言えずに黙り込む。

「……梨夏ね、リビングで眠ってるみたいなんだ。病院のベッドで寝てた時と同じ顔だから、本当にただ、眠ってるだけみたい」

 春湖が寂しそうに笑う。

 遺体は居間に安置されているのか。

 そうか。そうだよな。体がそこにあるのに、もういないなんて思えるわけがない。春湖の中で、梨夏はまだ死んでなんかいない。いや、春湖は梨夏が死んでしまったことをきちんと理解している。だから泣きはらすほど悲しいんだ。苦しいんだ。それでも、せめて自分の中では、梨夏を死んでいないことにしたいんだろう。

「本当にあのまま、眠ってるだけだったらいいのに。ひょっこり起きて、また一緒にお話して、また眠って」

 乃亜のあを失って泣き続けたあと、何事もなかったかのように登校した一昨年の自分を思い出す。辛かった。本当に行きかったところは、学校などではなかった。

「梨夏、一人きりで寂しくないかな……」

 薄く笑んでいた春湖の表情が、徐々に失くなっていく。

 寂しいのは春湖の方だ。急に置いてきぼりにされて、寂しくて仕方ない。悲しくて仕方ない。

 多分、俺達は同じだ。同じだからこそ、春湖の望みが、俺に届いた気がした。

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