1章

第2話 一人で行け。俺を巻き込むな

 腹が減った。

 一学期開始を告げる始業式の集会が終わり、通常授業を経て、昼休みが始まる。いつもなら学食で温かい昼食にありつける時間が、もうすぐやってくるはずだった。しかし、春休みを利用して行われていた食堂の改修作業がずれ込み、今日一日は学食が閉鎖されている。

 昼休み開始のチャイムが鳴るとほぼ同時に、今朝買ってきた今川焼きの包装を開封しようと、両手に力を込める。

「りーいーち!」

 背中にとても重いものの体重がかかる。何事かと、首と眼球だけを動かして正体を確かめると、見知った顔が健康的な歯を見せて笑っていた。

「聞いてくれよ、理一りいちー」

「その前に離れてくれ。重い」

「え? ああ、ごめんご」

 わりと長身のクラスメイト・草加くさか悠之介ゆうのすけは、軽い調子で謝ってきた。こいつは自分の重さを認識していないのだろうか。

「あと、出来れば名前で呼ばないでくれ」

「いやいや、理一だって俺のこと、悠之介って呼んでくれりゃいいのにー」

 草加は、『親友は名前で呼び合う』という自分ルールを持っていて、なにかと下の名前で呼び合いたがる。そもそも悪いが、俺は草加を親友だとは思っていない。

「あいにく、俺は誰かとベタベタする主義じゃないんだ。お前の方こそ、俺のことを古賀こがって名字で呼んでいいんだぞ」

「えー? つまんなくねえ?」

「全然」

 草加はノリが軽く、同性の友達は多いと思う。なんだって友達もなく面白みの欠片もない俺につきまとうんだか。わざわざ俺を相手にしなくても、他に話を聞いてくれる奴なんていくらでもいるだろう。

「草加、俺、今から今川焼き食うところなんだ」

「んじゃ、思う存分もぐもぐしながら聞いてくれ」

 草加とは、ここ、雪瑞ゆきみず第二高等学校に入学してから知り合った。去年同じクラスで、二年に進級した今年もまた同じクラスになった。一年前、知り合いのいない教室で俺に初めに声をかけてくれたのは、前の席に座っていた草加だった。

 付き合いが二年目ともなれば、こいつのことはそれなりにわかる。草加の話の六割は女の子のことだ。

 上機嫌な草加に嫌な予感を覚え、手のひらを突き出す。

「いやだ。聞きたくない」

「知ってるか? 新入生にすっげーかわいい、ちょーオレ好みの女の子がいんだけど」

「知らん。草加、俺、さっき断ったよな? 聴こえてたよな?」

「聴こえてっけど、オレは話してーんだよ。理一だって、今川焼食いながらでも話は聞けるだろ?」

「たしかに物理的には可能だが、俺の感情は無視なんだな……」

 草加を追い払うことを諦め、開封した今川焼にかじりつく。ここの今川焼は、くどすぎない甘さの餡が人気だ。しかし俺は、その餡の甘味を引き立てる、気持ち厚めな塩気のある生地の方にこそ優秀さを感じる。この甘いしょっぱいの世界を誰にも邪魔されたくない。草加の声に耳を傾けることなく、今川焼の絶妙なハーモニーを噛みしめていたい。

 後ろの席の女子たちが都市伝説の話をしているのが勝手に耳に入ってくる。死んだ人を生き返らせる秘密の儀式があるだの、住宅街に紛れた廃墟に住む綺麗な幽霊だの、非科学的な話題に花が咲いている。

 つまらない話を聞いてしまい、今川焼の世界が壊れた。仕方がないから、真剣な顔で話している草加の声に耳を傾ける。

「オレはあの子のヒーローになりたいんだ」

「ヒーローでもピローでも好きなものになればいいだろ」

「ピロー?! なんだそれ、ちょーなりてー……じゃなくて! れんちゃん、なんか悩んでるみたいなんだよ」

「恋ちゃんって誰だ?」

「だから、すげーオレ好みの一年生! お前、全っ然聞いてねーだろ?」

 今川焼の世界にいた俺に、草加のどうでもいい話なんて聞こえるわけがない。

「聞きたくないって断った手前、聞いてたら嘘つきじゃないか?」

「嘘つきでいいから真面目に聞いて! お願いします!」

 草加は顔の前で手を合わせて真剣に頼んでくる。そんなに必死になるほど好みの顔だったんだろうか。珍しいな。いつもはもっと始終へらへらしているのに。

「わかった。聞いてやるからもう騒ぐな」

「マジで? さんきゅー! で、つまり、オレは恋ちゃんの悩みを解決したいんだ」

「悩みってどんなことなんだ? 片想いとかだったら知らんぞ」

「それは大丈夫。なんか友達のことでの悩みらしいから」

「そうか。じゃあ解決しに行けばいいだろ?」

「やー……一年の教室だぜ? 一人で行くには心細いじゃん」

 そういうことか。まったく、面倒な。

「一人で行け。俺を巻き込むな」

「えー? そんな冷てーこと言うなよー、なあー、理一ー」

 草加による、俺の制服のボタン引っ張り遊びが開始される。勘弁してくれ。今ここで草加と一緒に一年の教室へ行く労力と、このままボタンを取られた場合の帰宅後のボタンくっつけ労力を、一瞬で天秤にかける。自慢じゃないが、裁縫は不得手だ。

「わかった。わかったから引っ張るな。一緒には行ってやるけど、俺はいるだけだからな。お前が話さないと意味ないだろ?」

「わ、わーってるよ! ……なんか緊張してきた……」

 ボタンを草加に引っ張られて廊下に出た。が、このままでは苦渋の選択の意味がなくなってしまう。

「草加、まずその手を放せ。逃げないから」

「あ、うん」

 これで帰宅後の安心は確保された。

 草加の歩幅は狭くなったり広くなったりして、後ろにいる俺はひどく歩きにくい。行きたいんだか行きたくないんだか、よくわからない歩みだ。草加の情緒不安定な足に合わせて一階上の一年生フロアへの階段を上り、ようやく目的の教室にたどり着いた。

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