ばれちまった後で――2

 真澄は彼の背中を追いかけようとした。

「真澄、話はまだある」

 瀧彦が、追い討ちをかけた。

「お前の携帯、受験が終わるまでの間、預からせてもらう」

「どうして?」

「今後は勉強しかすることはないだろう。交友関係や生徒会の活動の関係で買ってやったが、勉強の邪魔になるものをむやみに持たせるわけにはいかない」

 悪意だ。本当のところ瀧彦は、真澄から藍葉と連絡を取り合う手段を奪おうとしている。

「早く携帯を出しなさい」

 瀧彦が言っている傍らで、玄関のドアが開けられる音が響いた。藍葉が、帰っていく。

 真澄は、しばらく動かないでいた。ただ隣に座る瀧彦をじっと見つめている。

「どうしたんだ? 早く出さないか」

 ここで拒否したとしても、無駄な抵抗だ。瀧彦が携帯の契約を切って、使えなくすることもできる。

 ……これまでのように、隆志が藍葉との連絡の仲立ちをすればいいのだが、それも……

「ちょっとだけ、待ってもらってもいい? 少しだけだから」

 藍葉と引き離されたばかりだというのに、真澄は背筋を伸ばして座ったまま、落ち着いていた。普段以上に事務的で、冷静沈着な声だ。

 そうしている間にも、外から家の門が開けられる音が聞こえてきた。藍葉の足音が遠ざかっていく。

「本当にちょっとだけ。後でちゃんと渡すから」

 携帯を渡すのを拒否するというよりは、時間を稼いでいた。

 その様子に、瀧彦も急かしたりすることはしない。隆志も茜も、無言のままだった。

 沈黙が一、二分と続く。もう、藍葉は家からだいぶ離れただろう。

「ごめん、待たせて」

 じっとしていた真澄が、ようやく動いた。服のポケットの中に入れていた携帯を取り出す。

 そして、テーブルに叩きつけた。画面が割れそうな勢いに、周囲に大きな音が響く。

「真澄!」

 乱暴な物の扱いに、瀧彦が声を荒らげる。

 真澄がじっとしていたのは、この音を藍葉に聞かれないようにするためだろう。もしも聞かれたら、藍葉を心配させてしまうから。

 真澄は、そのまま立ち上がった。

「物は大事に扱いなさい」

「お父さん、ケーキ買ってくれてありがとう。でも、私はいらないから、隆志たち三人と食べて。誕生日パーティーなんてしなくていいよ」

 瀧彦に向かって、真澄は冷静な声のまま言い放つ。そして、テーブルに広げられていた入試の過去問をまとめ、腕に抱えた。

「受験生らしく、夜まで勉強するから。邪魔はしないでね」

 そのまま、リビングを後にする。

 それから真澄は、部屋に引きこもって、夜まで出てこなかった。晩ご飯のために一時的に部屋を出てくることがあったが、瀧彦とは何の会話もせず、話しかけられても一切無視して応じなかった。

 当然、晩ご飯を食べ終えると、すぐに二階の自室にこもって、家族に誕生日を祝ってもらうこともなく勉強を続けていた。


 最悪なことは、立て続けに起こる。

 翌日、受験本番前の最後の模擬試験の結果が発表された。

 真澄のタブレットには、Bの文字が表示されている。今まではA判定ばかりだったはずの、広島弥山の合格予想。真澄の成績が、少しだけ落ちた。

 だが、今の瀧彦にとっては、格好の口実だ。

「このタブレットも、しばらく預かることにする」

 成績表を表示したタブレットの画面を消して、瀧彦は言う。

「今の時期、こういったものは必要ない。過去問と参考書で追い込みをするほうがはるかに効果的だし、ネットに繋がっていたら勉強に集中できない」

 瀧彦は言う。本当は、藍葉と連絡を取り合うための手段を完全に奪うためだ。

 瀧彦の仕打ちに、隆志は黙ってはいられなくなる。

「わずかに結果がよくなかっただけだろう。それくらいでこんなこと」

「本番直前のこの時期、他の受験生は必死で追い上げてくる。そのわずかな差が、最終的に合否をわけることにもなる。何か間違っていることをしているか?」

 瀧彦は、聞かない。

「隆志、いいわよ。これぐらい、ちょっと油断した私が悪いんだし」

 真澄は、相変わらず冷静沈着だ。強がっているだけだと、兄である隆志はすでに見抜いている。

 昔から、 この妹はそうだ。 学校で男の子にいたずらをされても、多少のことならばすました顔で受け流してしまう。本当は怒っているのに。

 今も、一方的に藍葉との関係を奪おうとする瀧彦に対して怒っているはずだ。

「私、勉強するから、もういいでしょう。ちょっと遅れた分を取り戻さないと」

 真澄は、リビングから去っていく。

「真澄」

 隆志は妹を追いかけようとした。だが、

「隆志、少し待ちなさい」

 瀧彦が、隆志を呼び止める。

「真澄に彼氏はいないと、お前は確かに言ったな」

 瀧彦が、隆志への追及を始めた。

「ああ」

「あれは嘘だったのか? 宮島の花火大会に行った時、まったく違うことを言っていたのか?」

「そうだよ。あの花火大会、真澄は紙屋くんと俺と一緒に花火を見ていた。生徒会の友達と一緒だったのは、行きの広電電車だけだ」

 今さらごまかそうとしても無駄だろう。もうすでに、瀧彦は今までの嘘を見抜いている。

「なぜ嘘をついた? お前は真澄の受験をサポートすると言ったはずだ」

「真澄にとって、いい相手だと思ったからだ」

 隆志は言う。

「宮島で真澄のことを束縛したり、受験勉強を邪魔しようとする様子を見せたら、即刻別れさせるつもりでいた。あの後もな。だが紙屋は、そんな様子を見せなかった。同じ志望校に一緒に合格しようと、逆に勉強を頑張っていた」

 隆志は、今までの自分は間違っていないと主張する。

「一緒ならば、勉強のいい刺激になると、そう思ったということか」

「そうだ」

「だが真澄の成績は下がった。相手がいることで気が散っているのではないか」

 瀧彦が、暗いタブレットの画面を指でつつく。

「まだそんなことを言うのは早すぎるんじゃないか?」

 隆志も、隆志なりの抗議を始めた。

「確かに真澄の成績は落ちたけど、まだ十分に合格を狙える範囲内だ。大げさに騒ぎ立てるほどのことじゃない。あそこまでするほうが、かえって真澄のやる気を削いで、逆効果なんじゃないのか?」

 だから真澄に携帯とタブレットを返せ。藍葉との仲を認めろ。

「私のこの判断は、間違っていないと思っている。真澄の高校受験が終わるまではこのままでいく。休日も外出させず、勉強は家でしてもらう」

 瀧彦は厳として動じなかった。何を言っても聞こうとはしないだろう。

 隆志は、一つ息を吐いた。

「親父は、やっぱり娘に甘いな」

 代わりに隆志は、捨て台詞とばかりにそう言った。

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