ハロウィンイベント、誕生日、そして……――6
「本当のところ課長は、娘さんに甘いですからね。昔はすごく仲良かったんでしょう。おとなになったらおとーさんとけっこんするー、およめさんになるーとか言われたんじゃないですか」
ぎっくう!
「どこで聞いた?」
まさか夏にフローチェで隆志とした会話が、ダダ漏れしていたのか。四か月前の会話がなぜ今頃出てくる? どこまであの話が噂になっているのだ?
若手部下は笑った。
「小さなお子さんはそんなもんですし、子供自慢の多い課長ならそれくらい言われているでしょう。ささ、早く帰って娘さんを喜ばせてあげてくださいよ。本当は仕事どころじゃないはずです」
よかった。
「そうだな。では先に帰るぞ」
「娘さん、しっかりと喜ばせてくださいよ」
「無茶を言う。思春期の子供を持つ苦労を知らないくせに」
「営業成績は中国五県トップ、家族写真の数は業界トップの課長さんなら、できますよ」
「……誉め言葉として受け取るよ」
生意気だが仕事熱心な若手部下を残して、瀧彦は荷物をまとめた。パソコンの電源を落とすと、そのまま執務室を後にする。
まずは、娘の誕生日を祝うためのケーキを。
受け取るだけだから、自宅に着くのはすぐだ。冷蔵庫に保管して、そのまま買い物に出かける。久しぶりの、家族揃ってのイベントだ。
銀行のビルを後にして、瀧彦は軽い足取りで街に繰り出していった。
それからさらに一時間後。
三滝家のリビングでは、相変わらず真澄と藍葉が向かい合って座って、受験勉強に勤しんでいた。二人の間には、藍葉が焼いて持ってきたクッキーと、茜が用意してくれた二杯のコーヒーが置かれている。(主に茜が醸し出していた)歓迎ムードは落ち着き、茜は別室に行き、隆志はソファーで漫画を読んでいた。
ちなみに読んでいるのは、世界史の歴史漫画だ。
「なんか、変かな。せっかくの誕生日なら、もっと別のことをしてもいいと思うけど」
問題を一通り解き終えた藍葉が、思わずといった感じで真澄に話しかける。
「私はこうしているだけでも十分よ。勉強は好きでやってるんだし。兄も勉強中だしね」
真澄は、隆志に視線を向ける。隆志は視線に気づいて、背筋に冷たいものを感じた。
「漫画で世界史の勉強ですか。はかどりそうですね」
「お、おう。歴史は漫画でインプットしたほうが効率いいんだぜ」
言えない。もし少年漫画とか読んでいたら、真澄に咎められるなんてこと。私たちが勉強している前でだらけないでほしいなー、って毒づかれることなんて。
「隆志も勉強しているんだし、このまま続けましょう」
真澄が、隆志の苦労など知らぬ様子で言う。
「そう、なら」
「それに今、すごいはかどってるんだよ。紙屋くんのそばだと集中できる」
「それなら、俺も来てよかったよ」
「そうだ、そろそろ焼いてくれたクッキー、食べてもいい?」
「そのために持ってきたんだから」
真澄は、紙袋を開けた。中からクッキーの一枚を取り出す。そして口に運んだ。
さくっ、という小気味いい音が、リビングに響き渡る。
「おいしい。紙屋くんの作るお菓子ならいくらでも食べられそう」
「また焼いてくるよ。脳の糖分補給にもなるし」
聞きながら、隆志は胸焼けに耐えていた。漫画の内容が頭に入ってこない。
その時だった。
自宅の庭先の門が開けられる音が響いたのは。
「誰か来た?」
藍葉が玄関のほうに目を向ける。
「宅配便かな?」
真澄もつぶやく。隆志は漫画をソファーの上に置いて、立ち上がった。
「宅配便だったら俺が受け取るよ。二人はそのまま続けて」
隆志は玄関へと向かう。
だが、家に近づいてくる者は、意外な動きに出た。
呼び鈴を鳴らすことなく、いきなり玄関ドアに手をかけたのだ。そのまま遠慮もなしに開けられる。
その向こうに立っている者を見て、隆志は凍りついた。
「ただいま、帰ったぞ」
瀧彦だった。瀧彦と違って、浮かれ、笑みを浮かべている。手にはケーキの白い箱を大事そうに持っていた。
「……親父、どうして?」
夕方帰ってくると言って、家を出ていったのではなかったか。
まだ二時前なのに。
「今日は早く帰ったんだ。街に買い物に行くぞ。真澄、受験勉強で大変だったろう」
隆志たちの事情も知らぬ顔で、瀧彦は陽気に言ってのける。
「さあ隆志、誕生日ケーキを冷蔵庫にしまってくれ」
瀧彦は、ケーキの白い箱を押しつける。そのまま靴を脱いで、家に上がった。リビングに向かう。
「おい、まって……」
隆志が呼び止めようとするが、遅かった。
瀧彦はリビングに入っていた。そこにいる真澄と、見知らぬ男の子を見つける。
今度は、瀧彦の体が凍りつくことになった。
「君……」
瀧彦の声から、陽気さが失せる。
「誰、だ?」
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