勉強デート――5

 それから真澄は、生徒会の活動に支障が出ない範囲で、剣道部を、しいては藍葉の剣道を見守るようにしてきた。最初は、藍葉は焦っていたように思う。秋に市内で行われる大会で、団体では去年を上回る三回戦にまで進めたのに、個人戦で藍葉が二回戦で負けるという事態が起きた。

 ――焦りすぎているのよ。

 真澄は、生徒会室に呼び出した藍葉を一喝した。

 ――こっちの事情も知らないで、なんて台詞は聞くつもりはないからね、紙屋くん。

 ――じゃあ何が言いたいんだよ。

 ――もうちょっと自分の剣道を大事にしなさい。竹刀も握ったことがない私が言うのもなんだけど、みんな去年よりも頑張っているんだから。

そして真澄は、こんなことを言い出すのだった。

 ――来年の夏、剣道部最後の大会に、私、応援に行くから。

 そんなことを言い出した時の、藍葉の驚いた顔は、今でも覚えている。

 ――何だって?

 ――だから、応援に行くって言ったの。最後の大会に。

 生徒会室に藍葉を呼び出した時、そこまで言おうとは思っていなかった。ほとんど勢いで言い出したことだ。

 どうしてあそこでそんなことを言ったのだろうと、真澄は今でも思う。

 きっとあの時点で、藍葉に心惹かれていたのだろう。学校で落伍者の集まりの筆頭扱いされて、誰にも期待されていないのに、腐ったりせず、まわりを巻き込んで好きな剣道にのめり込んでいる藍葉に。 

 ――どうせ大会があるのは土曜、日曜。私、塾とかには通ってなくて、休日は時間あるし。

 ――本気か?

 ――本気よ。その時にみっともない剣道をしていたら私、許さないから。

 ――どうしてそこまでするんだ? いくら副会長だからってそこまでする必要はないだろう。

 学校でこんなことは知られたら、大きな噂になるかもしれないことはわかっていた。剣道部を贔屓するのか、なんて非難する生徒が出るかもしれないこともしかり。

 ――私がそうしたいの。休日に何しようが勝手でしょう。

 ――来年の夏だと、受験勉強も忙しくなるのにか。

 ――夏の時点でだって、本番まで余裕があるわ。それに勉強なんて、所詮は要領。大会のために一日使ったって、時間をやりくりすれば問題ない。

 それに、藍葉も剣道の稽古で忙しくしながらも、勉強のためにきちんと時間を割いている。真澄も負けるつもりはなかった。

 

 学校での下馬評を覆すように、剣道部の活躍は目覚しいものになっていった。まず四月に新入生部員を七人も入部させて戦力を充実させると同時に、藍葉たちが引退した後も同好会への格下げを回避した。その後の春の市内大会で、団体部門はベストエイトまで上り詰め、藍葉は個人戦で準決勝まで進んだ。他の部員の個人戦の成績も目覚ましかった。

 学校での剣道部の評判は上がった。ひょっとしたら次は、などという声がちらほらと聞こえたし、真澄も、剣道部の活躍ぶりを見ていて心地よかった。

 藍葉なら、やるんじゃないか。大声で言わないまでも、密かにそう思っていた。

 そして藍葉自身、油断する気配を見せなかった。夏の大会で勝ち進めば、県大会、そしてインターハイにも進める。今まで誰からも期待されていなかった分を覆すように、彼は稽古に邁進していた。

 そして夏の市内大会を迎える。

 約束どおり大会の会場に私服姿で現れた真澄を、藍葉は彼には珍しい苦笑いで迎えた。

 ――本当に来るなんてな。去年の約束なんて忘れていると思っていた。

 ――反故にはしないよ。約束は何が何でも守る主義だから。

 ――学校で噂になっても知らないぞ。

 ――どうせプライベート。何をしようが勝手でしょ。

 生徒会副会長が大会会場に現れたことで、剣道部の藍葉以外の部員たちも驚いていたが、試合には集中していた。先鋒の後輩は勢いよく竹刀を繰り出していて、試合に流れを引き寄せていたし、次鋒、中堅も粘りが強かった。そして、主将の藍葉。確実な竹刀捌きで相手から一本を奪っていく。

 初めて藍葉が試合する姿を見ていた真澄は、会場から出られなくなった。剣道なんて、ただ竹刀で叩き合うだけの競技だとどこかで思っていたが、藍葉の剣道は滑らかで、それでいて本物の真剣で斬り合っているような切実さすら感じられた 。

 藍葉たちは順調に勝ち上がっていって、ベストエイトまで行ったところで敗れた。昨年度は県大会上位にまで食い込んだという相手が悪かったのだろう。

 ――負けたよ。

 閉会式を終えて、会場から出てきたところを迎えた真澄に、藍葉は短く告げた。

 汗にまみれたまま笑顔を浮かべ、悔しさをごまかして。

 ――でもかっこよかった。他の子たちも。 

 真澄は言い、藍葉たちをねぎらった。

 剣道部を学校の落伍者扱いした真澄が、その部員たちをいたわる。自分自身では、今さら都合がよすぎると思ってはいたものの、真澄を鬱陶しそうに見つめる者は誰もいなかった。

 ――明日の個人戦も来るから。今日はちゃんと休んでよ。

 その日惜しいところで負けたことで、かえってギアが入ったのだろう。

 翌日の個人戦は、藍葉の剣道がさらに磨きがかかった。相手の竹刀を弾き飛ばす勢いで、藍葉は竹刀を振り上げ、一本を奪っていく。真澄の目の前で、どんどん勝ち上がっていく。

 ――紙屋くんは、すごい。

 面をかぶっていて表情があまり見えない藍葉を見つめ、真澄は言葉を失っていた。

 そして決勝。藍葉の相手は、前日に団体戦で負けた学校の主将だった。さすがにそれくらいになると、相手も守りが固くて、藍葉はなかなか一本を取れなかった。だが相手の攻撃も許さない。時間いっぱいまで攻防が続いた。真澄は、藍葉とその相手以外の何も見えなくなっていった。

 そして、試合終了のブザーが鳴り響く一秒前――

 藍葉の面打ちと、相手の小手打ちが決まった。雷鳴にも似た打突の音が、体育館いっぱいに響き渡った。

 どっちの一本だろう、と真澄は審判のほうを見る。審判三人は、藍葉の一本を認めて旗を上げた。

 応援していた人の勝利に、真澄は手足を震わせていた。声を上げなかったのは、勝利を決めた後の藍葉が勝ったとは思えないほど落ち着いて蹲踞をし、相手に礼をしていて、大声で彼の邪魔をしてはいけない気がしたからだ。

 その後の表彰式の最も高い場所にいる藍葉は、輝いて見えた。

 ――すごかったよ、紙屋くん。

 表彰式を終えて、会場から出た藍葉に、真澄はそう声をかけた。

 ――剣道って、すごいんだね。

 言うと、表彰台で賞状とトロフィーを受け取りながらも真顔を保っていた藍葉が、笑顔を浮かべた。

 ――ああ、これよりおもしろいのを、他に知らない。

 夏の市内大会に優勝し、県大会への出場を決めた藍葉は、しかしその県大会一回戦で敗れた。相手は、その後インターハイへの出場を決めた選手だった。

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