勉強デート――4
やはり開館直後の早い時間帯に来たのが功を奏した。図書館に人の姿はまばらで、簡単に二人分の席を確保することができた。
「鞄、ここに置いておくよ」
藍葉が、大きなテーブルの上に真澄の鞄を置いた。重たいそれは、テーブルに置かれて鈍い音を立てる。
「ありがとう」
藍葉は、テーブルを挟んで真澄の向かい側の席に腰をかけた。
真澄は自分の鞄から、英語のやりかけの参考書を取り出した。何度も繰り返して読み込んだから、折れ目や擦れが目立つようになった。
藍葉も、数学の参考書を取り出していた。書店で普通に売られている、薄くも分厚くもない参考書は、真澄の手元の参考書と同じ状態だ。
「ボロボロだね、その数学の」
「何度も繰り返してやるタイプだから。これなんて、もう十回は繰り返して読んだかな」
「私も同じ。この英語の参考書、十二回はやったかな」
藍葉も、勉強のやり方は同じか。服の好みといい、浴衣の着こなしといい、いざ思い切って彼に近づいてみると、自分と共通することが多くて驚く。たぶんこれからも、たくさん出てくるのだろう。
「じゃあ俺、こっちに集中するから。でもわからないところがあったら、ちょっと聞くかもしれない」
藍葉が、ちょっとだけ頬を染めた。真澄に甘えるかもしれないのが、照れくさいのかもしれない。
「別に構わなくてよ。私だって、そのつもりでいるし。後で国語もやるつもりでいるから、なおさら頼りにしているわ。模擬試験全国トップのご教授、楽しみにしているから」
「だからあれは問題と相性がよかっただけだって。いつも言っているだろう」
二人で互いに笑い合う。
そして、真澄は英語の参考書を開いた。文法の問題を解いて基本を確認していく。
藍葉も、数学の問題にかかりっきりになった。黙々とノートに公式を書き込んでいく。
二度目のデート。異性と二人きりになるのは、真澄にとって慣れていないつもりだ。なのになぜかしら、真澄は落ち着いていた。
理由は、たぶん藍葉。
数学の参考書に向き合う彼は、真顔そのものだ。何度も解いた問題だからと面倒くさがる様子がなければ、簡単だと高をくくっているような様子もない。剣道場で竹刀を握り、稽古に臨む時の顔そのものだった。平常心という言葉は彼のためにあるのではないかと思えるほどの、冷静な顔つき。
この子は、変なところで妥協とかしない。
ふてくされたりもしない。地道に、目の前のことをやって、できるなりの成果を出す。それが藍葉という男の子だ。
生徒会副会長として、彼を見守ってきた真澄だから、わかる。
剣道部の主将として頑張ってきた一年と比べたら……きっと受験勉強なんて取るに足りないんだろうな。
ちょっとばかり、去年からこの間までのことを思い出してしまった。懐かしくなってしまう。
――俺たちだって精一杯やっているんだよ。勝手に決めつけんな。
――そんなに頼りにならないか。
生徒会室の前で、罵声が響き渡った。生徒会室に押しかけたのは、剣道部の部員四人。
――ちょっと落ち着いてください。
当時まだ中学一年生だったちづるが、なんとか大柄な男子たちをなだめていた。
――これは生徒会で話し合った結果なんです。三滝先輩だけに詰め寄るなんておかしいです。
――一年のお前は黙れよ。
剣道部員の人に言われて、ちづるはひっ、と声を漏らした。
――剣道部の予算削減を最初に言い出したのは副会長だろう。ならもうちょっと事情を話してもいいじゃないか。
剣道部の部員は、怒気をあらわにしていた。ちづるは体を震わせていた。相手は体格のいい剣道部員だ。男子で、しかも数は四人。一方のちづるは、一年生で体も小さい女子だった。冷静さを失った男子たちをなだめるなんて無理だ。
剣道部の心得がそうさせるのか、ちづるに乱暴したりはしなかったが。
――私が話を聞くわ。下がっていて。
真澄は、ちづるを生徒会室の奥に行かせた。
――なあ、どういうつもりだよ、予算を例年の半分にするって。
これからが本題だとばかりに、剣道部の部員は問いをぶつけた。
――部員の人数と大会での実績を考慮して決めたことよ。今までのほうが、むしろ予算を配分しすぎたところがあるわね。昔は強豪だったから、その流れを長く引きずった結果かもしれないけど。
真澄は、淡々と説明した。だが感情的になっている相手に、理詰めで納得させようなど無理な話だ。火に油を注ぐだけ。
生徒会に押しかけた四人は、真澄の言葉に激昂することになった。
――つまり俺たちは、無能ってことか!
――毎日どれだけ稽古していると思っているんだ。
それに対する真澄の言葉が、剣道部員たちの怒りにさらに油を注いだ。
――で、稽古であくせくしている自分に酔っているの?
――何だと? お前!
副会長になったばかりで経験も浅く、反発にどう対処するかまだ知らなかった真澄には、その場の剣道部の部員をなだめるなんて無理なことだった。
――何をやっているんだ、お前ら。
背後から現れた藍葉が、その場のぴりぴりした空気を変えた。
道着などをいれた黒く大きなバッグと、竹刀を入れたケースを背負って、藍葉は部員たちに睨みをきかせていた。
――もうすぐ稽古の時間だ。全員でさぼるつもりか。
――違うんだよ、主将。俺たちは抗議を。
――しても時間の無駄だ。今さら何になる。
藍葉は、淡々と言ってのけた。自分だけ、生徒会の剣道部に対する仕打ちなど怒っていないみたいに。
――でも今年の予算はあんまりだ。稽古場まで縮小しようとしたって話じゃないか。邪魔者扱いしているとしか思えない。
――それで、生徒会を脅すのか。
藍葉の短い言葉に、剣道部のメンバーは言い返せなかった。そんなことをしたところで、学校での評判が落ちるだけ。
――言ったはずだ。まともに稽古しないで大会に負け続けているのだから当然だと。部活で一生懸命やっている面をしても、そんなんじゃ誰もいい目を向けてはくれない。わかったら早く体育館に移動しろ。余計なことにうつつを抜かしているほど、俺たちも暇じゃないだろ。
剣道部員たちは、渋々と移動を始めた。
――悪かったな、うちの部員が乱暴なことをした。
藍葉は真澄に、素直に頭を下げた。
――私、見ているから。
真澄は、藍葉にその言葉をかけた。
――ちゃんと這い上がってきなさい。紙屋くんなら、落伍者の烙印をはねのけてみせるって信じているから。
こちらを見上げた藍葉の瞳に、ちらりと闘志の色がよぎった。
――負けないよ。俺。
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