勉強デート――3
「……ごめんね、会って早々にこんなこと言い出して。驚いた?」
「いや、それもそうだけど、意外だなって思って。三滝さん、学校だと冷静そうで、そんな風に怒ったりしないから」
生徒会の副会長という立場上、真澄は学校内のいざこざに巻き込まれやすかった。多少、人から後ろ指を差されることはよくあって、いちいち怒ったりしていられなかった。
真澄は、笑みを浮かべた。
「私だって人間だよ? 嫌なことがあったりしたら怒ったりする。学校で冷静そうにしていたのは、ただ怒っていないふりをしていただけ。ほんとごめんね」
「謝るなよ。気を許してくれている、って受け取るから。愚痴があったら遠慮なく言って」
「困ったら頼らせてもらうわ」
「ところで、リア充オヤジって? 宮島でも聞いたような……」
「あー! あー! 何でもない。どうでもいいことだから気にしないで。じゃあ、図書館に行こうか」
もう図書館は開いている。今の時間帯に入れば、二人分の席は確保できるだろう。
「うん、その前に、荷物、持とうか?」
藍葉が手を差し出してくる。
今日の目的は勉強だ。真澄が持っている鞄には、参考書やノートなどがぎっしりと詰め込まれている。
「いいよ、重たいし」
「だからだよ。荷物持ちぐらいは大したことない」
真澄はちょっと考え込んだが、素直に甘えることにした。重たい鞄を藍葉に託す。
「じゃあお願い」
「了解」
真澄の鞄を持っても、藍葉は真顔のままだった。普段から重たい剣道着や防具を持ち歩いているから、これぐらいは軽いほうなのだろう。
「それにしても、紙屋くんって質素な服を好むのね。学校の男子は、もうちょっと派手めの服を着ているけど」
「そう? あんまり派手な服が好きになれなくて。三滝さんだって、同じようなものだろ。それ、制服みたいだぞ」
ちなみに今日も真澄は、白黒のワンピース姿だ。
「お互い、服の着こなしかたがそっくりだね。でも、ジーパンは意外だよ。興味ないと思っていた」
「長く着れば着るほど味が出るから。あと、そのリボン、よく似合っているよ」
真澄の胸には、黒いリボンが結ばれていて、かわいらしさを強調している。真澄のちょっとしたこだわりだ。
真澄はその黒いリボンに手を触れた。
「褒めてくれて、ありがとう」
二人はバスセンターの建物を出て、通りを歩いていく。 まだぎりぎり八月で、暑いことには変わりないが、猛暑というほどではなかった。夏の後半らしく、ほのかな涼しさがある。
真澄は、隣を歩く藍葉を盗み見ていた。半袖からのぞく腕は筋肉がしっかりとしていて、やっぱり力強そうだ。背が他の男子よりも低いけれど、宮島でヤクザな男三人をあっさりと退けた理由もわかる気がする。
――まさかこんな子と付き合ってしまうなんてね。
数か月前までなんて、あり得ないはずだった。前々から気になっていたのだけれど、自分と藍葉の間には埋められない溝があると、思っていた。
隣を歩いているだけで、新鮮な気分になる。
本当に、あり得ないはずだった。世界がひっくり返るほど、といえば、ちょっと大げさかもしれないが。
真澄はこの子に、残酷なことをしたから。
だから藍葉が自分を好きになってくれることはなくて、恨んでいるものだと思っていた。抗議らしいこともせず、真顔でいるのは、もともと滅多なことでは感情を表に出さない性格だからであって、本当の藍葉は理不尽に怒っていた、はずだった。
二年の二学期、生徒会の副会長に就任した真澄がまず取り組んだのは、部活の予算の再編だ。活躍がめざましかった野球部やサッカー部といった強豪の部に予算を集中させて、逆にメンバーが少なく、大会での実績も乏しい部の予算は削減する。場合によっては練習場所も縮小させて、強豪の部に割り当てる。要するに切り捨てだ。そんなことをされれば、古くなった備品の買い替えもできず、大会で勝ち上がっても遠征で部員の負担が重くなる。
生徒会長の香夏子は、あくまで承認したという形だ。
そして当時の剣道部は、まさに切り捨てられる部の筆頭格だった。部員はたったの男子五人で、団体戦が行えるぎりぎりの人数しかいなかったし、大会でも、市内大会の一、二回戦で負けるのが当たり前。唯一藍葉だけが、個人の部で善戦するという有様だった。真澄が予算の削減や、体育館の稽古場の削減を最初に考えたのも、この部だった。
生徒会内での協議の結果、練習場の縮小は見送られたが、予算のほうは縮小ということになった。事実上の戦力外通知。
当然、発案した真澄が、直接、剣道部の主将になった藍葉に伝えた。来年の部員確保ができない場合は同好会への格下げや、最悪廃部にすることも。
恨まれ役はあえて買って出ようという魂胆で。
実際に、他の剣道部のメンバーには、生徒会室に直に抗議に来たりした……。
なのに藍葉は……
「着いたよ、図書館」
藍葉が、声をかけてくる。
並木通りの先にある白い建物の前に、真澄と藍葉は着いていた。
「入ろうか」
真澄は引き続き、足を進めていく。
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