花火の後で
「ただいま」
「帰ったぞー」
二人は家の中に入った。そそくさと茜が二人を迎える。
「あら、二人一緒だったの」
「宮島の港でばったり出くわしたんだ」
「隆志と一緒に帰るなんて気にくわなかったけど。こんなダサい服着ているし」
「隆志、今日そんな服着ていたかしら?」
「この家出る前に着替えたんだよ。新しく買った」
「一緒に行った中学の友達に馬鹿にされなかった?」
母よ、やっぱりそう思うか。
「他の奴が服のことで馬鹿にされないように、あえてこの服にしてやったんだよ」
「優しいのね」
「ふふ、まあな」
どん、と脇腹に衝撃が走る。真澄に叩かれた。調子に乗るな、と暗に釘を刺してくる。
家の奥から、もう一人が現れた。瀧彦だ。
「おかえり、二人とも」
真顔のまま声をかけてくる。視線が真澄に向けられていた。日中は仕事に行っていたから、瀧彦は娘の浴衣姿を見ていない。
本当はこの姿に魅入っているんだろ。このリア充オヤジめ、爆発してしまえ。
「一緒だったのか」
「一緒だったのは帰りだけ。フェリー乗り場でたまたま出くわしたから、仕方なく一緒に帰ってやったのよ」
真澄も真澄で、真顔で言い返す。
「花火大会は楽しかったか? 勉強の息抜きにはなっただろう」
「受験が終わるまでは、生徒会のみんなと遊べるなんてそうそうないから、楽しんできたわ。もちろんハメを外さない程度にだけど」
「それはよかった」
形だけは何気ない会話だが、父と娘の間には腹の探り合いが起きていた。
実は彼氏とやらと行っていたのではないかと疑う父と、その事実を隠そうとする娘。
茜だけが、この場の不穏な空気に気づけない。
「真澄、今日は疲れたでしょう。お夕飯はもう食べたんだよね」
「ええ、宮島の露店、おいしいのがたくさん売られていたわ。お腹はいっぱい」
「ならもうお風呂に入りなさい。ちょうどさっきお湯張ったばかりだから」
真澄は、ぱっと笑顔になる。
「ありがとう。汗たくさんかいたから、早くお風呂に入りたかったところなの」
そそくさと浴室へと向かおうとする真澄。
「あっ、ちょっと待って、真澄」
茜が呼び止める。服のポケットから携帯を取り出した。
「写真、撮らせてくれないかしら。家を出る時、撮れなかったでしょ」
「いいわよ」
真澄が茜の携帯に体を向ける。カシャ、という音が響いて、撮影が完了した。
「ありがとう。本当は、瀧彦さんが浴衣を着た真澄の写真が欲しいと言ったからだけど」
「お、おい、私がいつそんなことを言った?」
瀧彦が取り乱す。茜は舌を出した。
「……一枚だけにして」
真澄は言い残すと、改めて浴室のほうへと向かった。
真澄がいなくなったところで、瀧彦は隆志に視線を合わせる。
「隆志に話がある。私の部屋に」
「はいはい」
なんだか、学校で教師から呼び出しを食らった気分だ。おーこわ。とりあえず気楽に、このリア充オヤジをごまかしていきますか。
隆志と瀧彦、部屋に二人きりになる。デスクには情報収集用のパソコンが、本棚には近年の四季報や経済情報誌、金融論、経済理論といった固い内容の本が並んでいて、高校生の隆志には息苦しくなる空間だった。子供の頃は構わず乱入して瀧彦に遊んでとせがんだけれど、今となってはすすんで入ろうとは思わない空間。
「帰りは、一緒だったとな、隆志」
黒革のオフィスチェアに腰かけて、瀧彦は話し始める。一方の隆志は、小さなプラスチックの椅子だ。
瀧彦がこれから、何を聞き出そうとしているのか。それくらい、隆志にはわかっている。
「さっきも言っただろ。宮島を出る時にばったり会って、そこから一緒だ……ってさっき母さんにはそんな嘘をついたんだけど……」
隆志は、さっそく仕掛けることにした。
「親父、実は俺な、今日真澄を尾行してきたんだ。真澄と一緒だったのは帰り道だけじゃない。今日家を出てから、ずっとだ」
「何?」
「中学の友達と花火を見に行ったなんてことは嘘だ。真澄や母さんを騙すための隠れ蓑だよ。この地味な服も、真澄に尾行がばれないためのものだ。大変だったぜ。人が多い中で尾行なんて、バレる危険は小さいけど、はぐれたりしたらひとたまりもなくなるから」
おまけに知らない女の子からは、かき氷をぶちまけられる始末。
瀧彦は、かすかに前のめりになった。
「大変だったな」
「花火も見れたんだし、結構なことよ。それに親父が言うとおり、今の真澄に悪い男をくっつけるわけにはいかないからな。彼氏が本当にできて、一緒に行くというなら、どんな男か見抜くつもりでいた。場合によっては引き離すこともな」
「なるほど、で、どうだった? 彼氏は?」
瀧彦は、隆志がいまだ自分の味方だと思い込んでいる。裏切ったことに気づいていない。これから言う隆志の嘘を、すんなりと信じてくれるだろう。
「いなかった。真澄が花火大会で一緒に行動していたのは、生徒会のメンバーだ。ずっと一緒だったぞ。宮島のお砂なんてしゃれたものを、みんなで買っていたし」
お砂についての嘘も、万が一あの小瓶が見つかった時の保険だ。
「仲良くお話ししていて、真澄、楽しそうだった。中学じゃ本当に大事にされているんだな」
この話は本当だ。といっても、仲良くお話ししていたのは行きの広電電車の車内だけだけど。
「それじゃ、彼氏らしい子は、本当に?」
「だからいなかったよ。真澄は、俺以外の男だと露店のおじさんか、宮島の雄鹿くらいとしか話していなかったぞ」
「ならば生徒会の友達と一緒に行くという話は、本当だったか」
「ああ、杞憂だったな」
ここまでは、思惑どおり。隆志はさらに、布石を打った。
「親父、前にフローチェで話したことは、ただの気のせいじゃないか?」
「なぜそう言う?」
「花火大会っていう一大イベントなら、普通は恋人同士で行く。俺だって、去年は彼女と一緒だったしな。しかも、真澄はこれから受験で忙しくなって、デートどころじゃなくなる。遊べるとしたら、今がぎりぎりだ。恋人がいるとしたら、どうしてそっちをほっぽり出して生徒会のメンバーと行っているんだ?」
「でも確かに、真澄が部屋で男の子と電話している声を聞いた」
「具体的にはどんなことを話していたんだ?」
「お互い頑張ろうとか、勉強大変だけど、たまには遊ばないとだね、とか」
「全部聞いていたのか?」
「いや、ドア越しだから聞けなかったところも」
よっしゃ。
「あのな、それで電話の相手が真澄の恋人だっていうのは早とちりだよ」
「どうしてだ?」
「真澄は中学の生徒会の副会長だぞ。どれだけ顔が広いと思っている? 部活や勉強のことで相談を持ちかけてくる男子がいてもおかしくないだろう。それとも、真澄に男子と会話しちゃダメとでも言うのか?」
「そこまでは……」
「悪いが俺は、親父がフローチェで話してくれたことは勘違いだと思っている」
これで、こっちのものだ。瀧彦の疑念はあくまで疑念であって、根拠があまりにも薄い。隆志の嘘を看破できるだけの証拠を揃えきれていない。
「大体、あんな真面目な真澄が、極端に浮ついたことをするわけないだろ。浴衣着て友達と花火大会で楽しんだだけでもすごい前進だよな。あいつ、花火見ながらすごいはしゃいでいたぞ。それこそ家では見せないくらいに」
「そうか、楽しんでくれたなら、それでいい」
まあ一緒に楽しんだのは隆志と、藍葉で、あの場に生徒会のメンバーなんて一人もいなかったけど。
「すまなかった。勘違いに付き合わせてしまって」
瀧彦が、隆志が誘導したとおりの結論に落ち着いた。
これで万事OKだ。油断しないようにしていけばまず、真澄の恋愛がばれたりはしない。
「花火大会に行くのにお金がかかっただろう。後で小遣いを補充しておく」
「いや、いらねーよ。俺も俺なりに楽しんだしな」
かき氷の件で五百円 (かき氷代四百五十円と募金五十円)の無駄銭が発生しているが、それだけだ。大した額ではない。
「引き続き、真澄の受験のことで何かあったらサポートは続けていくよ。とはいえ、成績優秀な真澄に俺の出番なんてそうそうないだろうけど」
「頼む」
さてと、次は茜にどう話をつけるか、だな。
といっても、瀧彦を相手にするほど神経質になる必要はないけど。
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