浴衣の少年は戦う!――2

 神社を出た真澄と紙屋は、神社の裏の道を歩いていった。

 厳島神社の参拝路出口付近にも、観光客向けの土産屋や軽食屋がたくさん並んでいる。しかも今日はお祭りの日だ。商店街ほどではないが、ここらもいつも以上に人が歩いていた。隆志はなんとか人をかわしながら、二人を追いかけていく。

 だが……

「きゃあ!」

 隆志の足元で幼い悲鳴が響くと、突然、腹の辺りが冷たくなった。見下ろすと、そこにはピンクの浴衣を着た、小学校に行っているかいないかくらいの、小さな女の子が立っていた。中身が半分なくなった、ブルーハワイのかき氷のカップを持っている。

 そして隆志の服には、かき氷がぶちまけられて、甘いにおいを放っていた。この子は慣れない浴衣で躓いて、かき氷をこぼしてしまったらしい。

 やばい!

 女の子はきょとんとしていたが、やがて自分がとんでもないことをやらかしたことに気づいた。唇をきつく噛み締め、目に大粒の涙を浮かべる。

「う、うわーーー、ご、ごめんなさーーーーい!」

 女の子が大きく口を開けて泣きわめいた。

「いいから、いいから。俺だって悪かったよ」

 まずい。こんな風に泣かれたら真澄と紙屋にばれる。だが前を行く二人は、そそくさと歩くばかりで、こちらを気にする様子はなかった。

 よかった。だがやばい状況は続いている。早く何とかしないと!

「ご、ごめんなさい! うちの娘が」

 すぐ母親らしい女の人が駆けつけてくる。女の子はびーびー泣いたままだ。

「い、いえ。俺だって、よく前を見ていなかったので」

 よくよく見れば、ここはかき氷屋の目の前だ。店主のおじさんが、心配そうにこちらを見ている。この女の子は、ここでかき氷を買ってもらったのだろう。

 急いでこの場を丸く収めないと、真澄と紙屋を見失ってしまう。

「おじさん、ブルーハワイのかき氷一つ。この子に」

 隆志はとっさに、かき氷屋の店主に注文した。鞄から財布を取り出し、適当に五百円玉をつまみ出す。

「やめてください。お金なんて出さなくても」

「いいんですよお母さん、こうなったのはほんと俺のせいですので。あと服のことは気にしないでください。どっちみち安物のどうでもいい服なんで。おじさん、お願いします」

 隆志は言いながら、五百円玉をレジの台に置く。急げ! 急げ!

「一つ四百五十円だから五十円のお釣りね」

 かき氷屋のおじさんがのんびりとレジを打つ。

「あーお釣りはいいです。そこの募金箱にでも入れておいてください」

 そして隆志は、身を屈めて泣き続ける女の子と視線を合わせた。頭の上にぽんと手を載せる。

「君も、ちゃんと謝れてえらいぞ」

 突然に優しくされて、女の子は泣きやんだ。きょとんと隆志を見つめている。

「じゃあ、お祭り楽しんでねー」

 女の子は、頬を涙で濡らしたまま笑った。

「うん、ありがとー」

 隆志は、その場を後にした。

「あの、せめて服を拭いて」

 女の子の母親がハンカチを取り出している。だが隆志は止まらなかった。

「俺、急いでるんでー」

 女の子の母親は、戸惑っていたが、やがてぺこりと隆志の背に向かって頭を下げた。

「金なんて払わなくてもタダで作り直してやったんだがなー。勢いに押されたけど」

 かき氷屋のおじさんはぶつぶつ言いながら、新しいかき氷を作りにかかる。

 一方の隆志、超絶焦っていた。服についたかき氷のことを気にする余裕もない。

 ――やばい、ほんとにやばい!

 今の騒動で真澄と紙屋を見失ってしまった。この人通りの多さもあって、あの空色と翡翠色の浴衣のカップルがなかなか見つからない。

 この先の五重塔と千畳閣に向かったのかもしれない。隆志は神社脇の高台に向かった。だが、五重塔を見上げる人たちに、真澄と紙屋の姿はない。

 ならば千畳閣か? と隆志は中世に建てられた、瓦葺の巨大なお寺のような建物に向かう。ちなみにここ、実は豊臣秀吉を祀っている神社だ。柱と屋根は立派でも外壁はほとんどなく、風通しがいいから今のような夏場だと涼しい。

「君、服がすごいことになってるねえ」

 入口で参拝を受け付けているおばさんが、隆志の服を見て話しかけてくる。

「ちょっとそこでかき氷をぶちまけられて。それより、浴衣の男女を見ませんでしたか? 中学生くらいの」

「ここは涼しいからたくさんの人が来ているけどねえ、そんな子は見てないね」

 はずれ。くそ。

「ありがとうございます」

 隆志はその場を後にした。「あっ、拭いていかないのかい」とおばさんがタオルを取り出しておせっかいを焼いてくるが、隆志はもちろん立ち止まらない。

 やはり商店街に戻ったのだろうか。

 隆志は高台から降りた。商店街のほうへと急ぐ。

 だが、商店街の様子を見て、憂鬱な気分になった。人が多すぎる。かろうじて歩くことができるくらいだ。しかも、多くの人が浴衣を着ている。真澄と同じ色の浴衣をまとった人もちらほらといて、なかなか真澄を見つけることができない。

 完全に見失った。

 まだ、紙屋という男の子の情報を掴み切れていない。わかったのは剣道部にいたことと、真澄の同級生ということと、志望校は真澄と同じ広島弥山ということくらい。もっと情報が欲しい、真澄の彼氏にふさわしいか見極めたいというのに。

 人通りの多い場所にいても仕方がない。しかも、地味な上にかき氷で汚れた服で、たくさんの人の目につく場所を歩きたくもない。隆志は商店街を外れた。路地を通って、元表参道の江戸時代からの古い民家が並ぶ通りを歩く。ここにもちらほらと人がいるけれど、商店街よりはましだ。ちなみに、ここを歩く人たちも浴衣姿だ。この通りの雰囲気もあって、昔にタイムスリップしたような気分になる。

 さっきのかき氷の女の子といい、やけに浴衣の人ばっかり目につく。地味な服を着て――しかもかき氷で汚れたまま!――、こそこそと妹を尾行している隆志を、みんなでおちょくっているみたいだ。こんなの、ただの被害妄想でしかないけど。

 ――はあ、俺もほんと浴衣着たかった。

 とぼとぼと隆志は歩いていく。どこか公衆トイレかどこかで、汚れた服を洗わないと。

 そのとき、見つけた。

 通りの先を、翡翠色の浴衣を着た少年が横切るのを。あれは、紙屋だ。見つけて、隆志はほっとしたが、奇妙だった。どうして一人だけでいる? 真澄はどうした?

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