浴衣の少年は戦う!――1

 フェリーが宮島の桟橋に到着した。隆志はすぐに席を立つのではなくて、客室の中から、降りていく客の流れを観察している。真澄と紙屋が一緒に一階の出口へ階段を下りていくのを見たところで、隆志は席を立った。船を降りていく。人が多いから、見失わないように徹底して集中していた。

「あの人、地味な服だよねー。せっかくの花火大会なのに」

「ぼっちなのもわかるー。顔はいいのに残念ね」

 船のどこかから女子高生っぽい声が聞こえた。

 ――俺に向けられたものじゃないよな。俺に向けられたものだとすれば、絶対に許さない。

 ――俺だって浴衣着て彼女連れて、花火眺めながらのんびり浮かれたいんだよ!

 船を降り、改札口でイコカを機械にかざして船賃を支払う。隆志は二人の姿を探すが、フェリーターミナルの待合所に、真澄と紙屋の姿はなかった。もう外に出たのかもしれない。

 隆志は、建物の外に出て、二人の姿を探した。

 すぐ、空色と翡翠色の浴衣を着た二人を見つけた。二人の間には、エサ目当ての雌鹿がいる。

「かわいい。本当は何かあげたいんだけど、食べ物なんて持ってないし、餌付けはダメだし」

 真澄は残念そうに、雌鹿のつぶらな目を見つめ返している。

「写真撮るくらいならいいんじゃないか?」

 紙屋は、翡翠色の巾着からスマートフォンを取り出した。

「一緒に写真撮るの、初めてだね。じゃあこの子を真ん中にして」

 紙屋が、自撮り機能にしたスマートフォンを、自分たちと雌鹿に向けた。シャッターを切る。

「三滝さんは? 一枚撮っていく?」

 紙屋に促されるまま、真澄も自分の巾着を開けようとする。だが、その手を止めた。

「やっぱりやめておく。写真、当分は紙屋くんので撮って」

「どうして?」

「実は、兄と、お父さんがね、付き合ってほしくないみたいで。もし携帯の写真が見られたら、ちょっと」

 見守る隆志は、飛び出していきたい衝動をこらえていた。付き合ってもいいぞー、って言ってやりたい。だが今は我慢だ。もう少し観察しなければ。

「そう、わかった。三滝さんの言うとおりにする」

 自分たちの恋愛が反対されていることに、紙屋は寂しそうな顔になる。

「ごめんごめん、こっちの家族のことだから気にしないで。ちゃんと勉強して同じ高校に合格したら、お父さんも兄も何も言わなくなるはずだから」

 今の真澄の発言で、わかったことが二つ。紙屋は同学年であること、そして彼も、真澄と同じく広島弥山を志望しているということだ。

「明日からお互い勉強頑張ればいいってことだし」

「そうだな。こうして遊びに行けるの当分ないと思うけど、仕方ないよな」

 見ていて切なくなるぞ。

 どうやら、勉強から逃げるための恋、というわけではないらしい。

 雌鹿が湿った鼻を紙屋の頬に押し付けた。

「うわ、ぬるってした」

 紙屋が驚いて、自分の頬を手で拭う。雌鹿は紙屋に狙いを定めたようで、次々と鼻を彼の体に押し付ける。

「おいやめろって、俺は何も持ってない」

 紙屋は雌鹿の頭を押し戻そうとしていた。だが雌鹿はおねだりをやめない。今にも、紙屋の体を押し倒しそうな勢いだ。

 宮島にいる鹿は、もちろん野生動物だ。本当はむやみに触っちゃいけないんだけど、これは不可抗力だよね。

「……ふふ。おかしー」

 真澄が、笑い声をあげた。

 見ている隆志はずきゅんとなる。

 ――あんな楽しそうな笑顔、家じゃまったく見せないぞ。

「どうしたんだよ」

「なんだか、かわいくて」

「鹿がか?」

「どっちも」

 紙屋が、硬直した。雌鹿は、無抵抗となった紙屋の頬に再び鼻を押し当てる。紙屋は、その頬を染めていた。

「男がかわいいって言われてもうれしくないよ。それにしても、ほんと思ったことはずばずば言うんだな。剣道部の予算の件もそうだけど」

「そうね。もっと言えば、動物に好かれる体質の紙屋くん、うらやましい」

「こいつはエサが欲しいだけだろ。そろそろ行こうか。あっちのほう、露店たくさん開いているんだし」

 紙屋は何とか、雌鹿の頭を押し返した。

「そうね。鹿さん、さよなら」

 二人は雌鹿から離れていく。雌鹿はゆったりとした足取りで真澄と紙屋を追いかけていたが、別の観光客に狙いを変えたらしい。踵を返して、どこか別の場所へと向かっていった。

 

 その後の二人は、何の変哲のない祭りの過ごし方をしていた。露店で焼きそばやフライドポテトを買って食べ、射撃に挑み、そして厳島神社に入っていく。もちろん、隆志もうまく人混みに紛れながら二人を尾行し続けていた。

 にしても、厳島神社にいる二人、様になっているな。朱色の社、等間隔で釣灯篭が掲げられた回廊を浴衣姿で歩く姿。まさしく日本の伝統だぜ。前から見られないのが惜しいくらいだ。

 しかも……

「魚、フグがたくさんいるよ。小さくてかわいいね」

 真澄が回廊の下を見下ろしながら、目を輝かせていた。ちょうど満潮で、厳島神社の回廊のすぐ下まで海水がきている。海の上のお社らしさが出ていた 。

「あれ、クロダイかな。あんな大きな魚まで来るなんて」

 紙屋も彼女の隣で海面を見下ろしている。

「なんだか水族館みたいだね」

 真澄が笑う。真澄、さっき雌鹿を相手にしていた時といい、意外とかわいいものに目がないな。

 二人は回廊をさらに進んで、拝殿の前にさしかかった。二人揃って柏手を打って参拝し、おみくじを引いたりして、そのまま神社を後にしていく。

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