元カノとお悩み相談――1

 「ただいま」

 真澄が家に帰ってくる。同級生達と遊びに出ていたところにばったりと出くわして、意図せず友達とのひとときを邪魔する形になった。本当ならばぶすっと黙り、あいさつもなく家に入ってくるところだろうが、不満がある相手にも最低限の礼儀を払うのが真澄という娘だ。

「おう、おかえり」

 玄関先にたまたまいた隆志は、妹を迎える。真澄は、こちらをきつく睨んできた。視線を外すのを許さない黒い瞳が、隆志の体を硬直させていく。

 すっかりとしっかり者に育ってしまった真澄のこの目が、正直俺には恐ろしい。真澄のこの目で睨まれると、隆志はゲームや漫画に入り浸ってはいられなくなり、勉強や家事をさぼってはいられなくなる。

 まして、今の真澄は非常に機嫌が悪い。視線を外したら食われてしまいそうな雰囲気すらあった。

「お父さんは?」

「母さんと一緒に買い物に出かけている」

「……リア充オヤジがいなくてよかった」

「えっ、何だって?」

「ごめん、私ね、今は隆志と話したい気分じゃないの。あの場でお父さんを引き離してくれたのはありがたいけど」

 感謝している、と言っているわりに、真澄の黒い瞳はきつい。妹よ、何をそんなに怒っているのだ?

「な、何かあったのか?」

 隆志の軽はずみな発言が、真澄をかちんとさせた。目つきが鋭くなる。怖い。真澄が生徒会副会長になってから、真澄の中学校では風紀がよくなって、周辺住民の評判が上がったというが、その理由がわかる気がした。この瞳に睨みをきかされたら、ワルなんてできない。

 これからどう罵られるのだろうと隆志は身構える。

だが、真澄は一つ息を吐いた。

「別に、なんでもないよ。ただあんなところで会うなんて思ってもいなかったから、びっくりしているだけ。本通商店街や八丁堀のカフェで集まろうかって話も出たけど、同じ中学の子に見られたりするのが嫌でね。あえてフローチェに行ってみたら、まさか隆志とお父さんがいるなんて、思っていなかった」

 隆志の懸念は、見事に的中したのである。まあ真澄が連れていたのは生徒会のメンバーであって、彼氏ではなかったのだが。

「さてと、私、部屋で勉強するから。来週の花火大会は楽しみだけど、浮かれすぎて勉強の手を抜きたくないし」

 真澄は荷物を持ったまま歩いていく。隆志の隣にさしかかった時、足を止めた。

「ねえ、隆志、聞いていい?」

「な、何だ?」

 きれいな黒い瞳が、隆志を見上げる。

「隆志は、私が決めたこと、ちゃんと尊重してくれる?」

「な、何言っているんだよ。するに決まっているだろう」

「何もかも、全部だよね? 当然、間違ったことをしようとしているなら別だけど」

「ああ。当たり前だ。生徒会に入るって言ったときだって、俺、応援しただろ」

 黒い瞳は、隆志を捉えたままだった。試すように、真澄は隆志を見つめている。

 妹に至近距離で、こうもじっと見つめられるのは久しぶりだ。隆志はそわそわしてきた。

「……ありがとう。それを聞いて、少し安心したわ」

 真澄は真顔のまま言って、再び歩き始めた。階段を上ろうとするが、一段目に足をかけたところで、「そうだ、あとそれと」とつぶやく。

「隆志、チックトックって、アカウント取らないと見れないものだったかしら」

 チックトック?

「あんまり見たことないからわからないけど、動画だけなら見れるんじゃないか? コメントとかは付けられないにしても。でもどうしてだよ?」

 SNSなんて時間の無駄とばかりに、ツイッターもインスタグラムもやらず、ユーチューブすら滅多に見ない。そんな真澄が、チックトックという単語を出すこと自体、意外だった。

「何でもない。聞いてみただけ。じゃあね、くれぐれも勝手に部屋に入らないように。あとドアに張り付いて聞き耳立てたりしたら許さないから」

 やけにしつこく念を押して、真澄は階段を上っていく。

 ――やっぱ、警戒するよな。

親父に彼氏と付き合っていることがばれたら、反対されるとわかっているから。

 もうすでにばれているけれど。

 にしても、昨日までの真澄って、こんなにも警戒していたっけ。


 母、三滝茜が瀧彦と一緒に家に帰ってくる。そのままご飯を作って、夕飯の時間になった。

 食卓を囲んでいる間、真澄は終始無言だった。「いただきます」と言って以降、黙々とハンバーグに箸をつけている。当然、瀧彦は娘を前に萎縮して、黙ったままサラダに手をつけていた。

「で、だ。花火大会はどうなんだ? どう遊ぶか決まったのか?」

 だんだん気まずくなって、隆志は問いかける。真澄は、隆志に冷たい視線をぶつけた。

「隆志は一緒に来るわけじゃないでしょう。どうして花火大会のことを気にするの?」

「い、いや、中学生最後の花火大会だろうし、どうせならきっちり楽しんでもらいたいなって思って」

「まさか、無理やり私についてくるわけじゃないでしょうね」

「誰がするかよ、そんな邪魔なことを」

「それより」

 母、茜が、白ご飯の盛られた茶碗を置いた。ふわふわの髪を揺らしながら、真澄に目を向ける。

「お祭りに行くなら、あれ、準備しなければならないわね」

「あの浴衣、皺とかできていないかな」

 真澄が、普段の甘くてころころした声に戻った。

「できていても、きっちりきれいにするわよ」

「当日の着付け、お願いできる?」

「当然よ。生徒会のみんなと集まれる最後のイベントでしょう。それくらいの気合は入れるわ」

「やった、ありがとう」

 真澄が、ほんわりした笑顔を浮かべた。さっきまで目つきが鋭かった分、かわいい。しかも頬を少し染めていて、なおさらかわいい。

「さてと、ご飯を片付けたら後であの浴衣の様子、見ておこうかしら」

「本当にきれいにお願い。埃一つついてない状態にして」

 真澄、母親に対しては甘えた態度が見え見えだ。

「生徒会のみんなと遊ぶなんて、受験までだと来週の花火大会が最後なんだから、ね?」

 そして真澄は、瀧彦を睨みつける。瀧彦も無言のまま、娘を見つめ返していた。

 互いに、牽制し合っていた。

 本当に真澄には、小さな頃の名残なんて微塵もない。十年前の真澄は、瀧彦の膝の上に乗ってテレビを見たりご飯を食べようとしたりと、隙あらば甘えようとしていた。甘えすぎて、茜にたまに叱られることもあったというのに。

 これで瀧彦が、隆志に頼んで真澄と彼氏の恋仲を裂こうとしていることがばれたら、ただの冷戦では済まなくなるだろう。当然、隆志も巻き込んで大戦争が勃発する。

 どうやって動いていけばいいのか、途端にわからなくなった。隆志はため息をつきたくなるのをひたすら堪える。

 何も知らないふりをするのが、たまらなくつらかった。

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