悪魔の契約……なのか?――3

「ま、ま、ま、真澄! どうしてこんなところに?」

「それはこっちのセリフよ。どうして隆志とお父さんがこんなところにいるのよ」

 とたん、フローチェ店内の空気がアイスコーヒーのように冷え切った。見知らぬ客から隆志と瀧彦に注がれる視線が、急に鋭くなる。

「……娘さん美人じゃねーか」

 そんな見知らぬ人の冷たい声を聴いて、隆志は、肩身の狭い思いを味わった。なぜ、ばったりと妹と出くわしただけでこんなに落ち着けない気分になるのだ? まるでクラスで人気の女子と付き合っていることが発覚して、吊し上げを食らう男の子みたいな気分だ。

 確かに真澄は美人だけど。嫉妬するのはわかるけど!

「お? 副会長、どうした? 知り合いでもいた?」

 真澄の後ろからもう一人の中学生らしい女の子が姿を現した。背が高くて黒みがかった栗色の地毛をポニーテールできっちりとまとめている。よく見たら、その後ろにももう三人の女子がいた。一人は長い髪を三つ編みにしてメガネをかけており、もう一人はショートボブ、そしてもう一人は髪の一房を青い髪留めでまとめている。

「ちょっと兄と父親が」

 真澄が頬を染めながら、隆志と瀧彦のほうを見やる。ポニーテールの女子は瞳を輝かせた。

「兄って、ひょっとしてあの人? イケメンじゃん」

「ちょっと鷹野橋さん、やめてよ」

 隆志は真澄からその名前を聞いたことがある。鷹野橋香夏子、真澄の通う中学校の生徒会の、元会長だ。

「こんなところで感動の再会なんてねー」

 香夏子は腰に片手を添えて真澄をおちょくる。想定外の事態に驚いているのか、楽しんでいるのか微妙で、そこに生徒会会長の余裕を感じた。

「副会長のお兄さん、会長の言うとおりかっこいいです」

 言ったのは、三つ編みメガネの女の子。

「だね、ちづるちゃん。でも、こんなの想定外だー。しかも父親とセットだなんて」

 青い髪留めの子が、ほんわかな口調で他の子たちに問いかけている。

「あけみちゃん、その言い方やめて」

 真澄が青い髪留めの子をたしなめている。

「すみません先輩……えへ」

 あけみが舌を出して謝る。

「でも、お店変える? まーちゃん」

 こちらのセリフは、ショートボブの女の子だ。まーちゃんというのは、真澄のあだ名らしい。

 あだ名があるなんて、真澄は学校で大事にされているんだなあ、しみじみ。

「ここでいいよ、そのかちゃん。ちょっと話があるから、先に注文していて。私はコーヒーフロートね」

 真澄が生徒会の仲間に入って、エントランスから離れた。ずかずかと隆志と瀧彦のいるテーブルのほうへと向かってくる。

まわりの他のお客さんが、スマホをいじり始めた。妙に熱心に何かを打ち込んでいる。さっきまで感傷に浸っていたのにどうした? みんな一斉に、社用メールを送らないといけない案件でも思い出したのか?

だが、真澄にテーブルのそばまで来られると、隆志から周囲を気にする余裕はなくなった。

「どうしてこんなところにいるの?」

 隆志を見下ろす真澄の声は、いたって冷静だ。だが、隆志を見つめるその瞳の裏には、怒りと苛立ちがもろに滲み出ていた。

「偶然だ」

 瀧彦はまたしても冷静そうな話し方をしている。だがやはり声が震えていた。

「真澄も、こんなところで何をしているんだ?」

 瀧彦の言葉が低く、何か問い詰めるような話し方になる。まずい。

「今度の花火大会の打ち合わせに」

 来週、宮島で開催されるあれのことだろう。厳島神社のすぐ沖合で五千発もの花火が打ち上げられる。名物は、海面で半球状に花開く水中花火だ。広島でも有名な花火大会で、毎年数多くの人が集まる。

「夏休みの今……」

「大事な時期なのに何をしてるんだー、受験が控えているのに、なんてまさか言わないよな、親父」

 隆志はすかさず、瀧彦の言葉を遮った。

「真澄のこの間の模試なんか、成績は申し分ないくらいだった。一年から勉強頑張ってきたんだから、これぐらいの息抜きは必要だって。生徒会のメンバーと遊ぶなんてこと、当分ないだろうし。それに花火大会って、宮島のあれだろ。俺も中三の頃に行ったやつ。俺には認めて、真澄には行くのを認めないってのは不公平じゃないか」

「うぅ……」

 ちなみに隆志が中三のときに花火大会に遊びに行く際も、瀧彦は一時反対した。だが第一志望校A判定の模擬試験成績表を突きつけて、無理やり許可を取り付けたものだ。一度前例を作ってしまえば、こういう時にすんなりと話が通る。ちょろい。

「確かにそうだが、ん?」

 瀧彦が言葉を詰まらせたのは、隆志が急にアイスコーヒーの入ったグラスを手に取ったからだ。ストローだと飲むのが遅くなるので、隆志はグラスに直接口をつけてコーヒーを一気飲みしていく。底にたまっていたガムシロップが甘い。

「ふー、冷たくて頭いてえ」

「無茶して……」

 真澄は呆れ顔だ。

「さてと、俺の用事は済んだ」

 瀧彦の懸念と頼みごとは大方話し終わったばかりだ。こんなところにいても無意味。

 瀧彦がおごると約束してくれたハムサンドを食べ損ねてしまうが、気まずくなるよりはましだ。

「親父、何コーヒー残しているんだよ。長居したら次のお客さんに迷惑だろ。さっさと飲み干せよ。親父の、ちょ、っと、いいとこ見てみたい。そーれイッキ、イッキ」

「高校生がなぜ一気コールを知っているんだ」

 まあユーチューブには大学生のバカ騒ぎ動画とかありますからね。

「親父、そんなにのんびりしたいんだったら好きにすれば。ただし俺は先に出るぞ。真澄と揃ってごゆっくり」

 それはお断り、という顔の真澄を尻目に、隆志は空のグラスの載ったトレーを持って、席から立ち上がった。すぐそばにある下げ台にトレーを置いて、瀧彦を置き去りにしようとする。

 当然、娘だけでなくその友達と一緒に同じ店にいるのは、瀧彦も落ち着かないようで。

「わかったわかった。すぐに出られるようにする」

 瀧彦も、コーヒーを一気に飲み干していった。空になったグラスを下げ台に置く。これでよし。

「じゃあな真澄、あとは友達と楽しくしていけよ」

 隆志は真澄に向けて手を振りながら、生徒会のメンバーにも会釈してエントランスに向かっていく。後から瀧彦も続いた。

「じゃ、じゃあね」

 真澄はきょとんとしながら、兄と父親の背中を見送っていた。

 一方で、生徒会の真澄のゆかいな仲間たちは、都合よく真澄の父親を退散させた隆志に対してグッと親指を立てていた。


 その背後では、フローチェに集った客たちは熱心にスマホをいじり続けていた。

「みなさん、熱心にスマホを使って何をしているんでしょうか」

 三つ編み眼鏡の高須ちづるが、注文の列に並びながらまわりを見渡す。

「ちづる、他の人のことを気にしちゃだめ。どうせ仕事でしょ。最近のビジネスマンは、スマホで社用メールを済ませているのよ」

 小網そのかが、ちづるに言って聞かせる。

「なるほど、さすが小網先輩。ネットやSNSに詳しいです」

ちづるに褒められながら、そのかはかすかに口元を緩ませていた。スマホをいじり続けるフローチェの客たちを眺めまわす。

「……おもしろくなりそう」

 そのかは、つぶやく。

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