悪魔の契約……なのか?――2
「おとーさん、わたし、おとなになったらおとーさんとけっこんするー。およめさんになるー」
隆志の渾身のショタボイスが、フローチェ店内に響き渡る。
「……は?」
親父、目が点だぜ。
「それでね、だいすきなおとーさんをいっぱいいっぱいしあわせにするんだー」
隆志は、真澄の幼少期の声マネを続けてやった。
「おい、こんな時に何変なことを言っているんだ。今はふざけている場合ではないんだぞ」
瀧彦が冷静さを装って居住まいを正す。
「何ごまかそうとしているんだよ」
隆志は普段の声に戻った。
「小さい頃、パパっ子だった真澄にこんなこと言われて、親父、ずいぶんと幸せそうな顔をしていたよな。真澄を笑いながらだっこして、嬉しいなーとか真澄のことも幸せにするぞーとか言って。俺、見ていたぞ」
「お、おい、だから何を言うんだ」
黒歴史を公共の場で暴露され、動揺する瀧彦の姿、意外とかわいい。このフローチェに職場の同僚とかがいたらとりあえずごめん。
「あれは子供をあやすための方便とかいうレベルじゃなかった。ガチでデレデレだった。頬まで赤くしていたしな」
「だから言うな。まわりが見ている」
まわりが見ている? 確かに、なんだかたくさんの視線を感じるなー。
知ったことか! 俺には関係ねえ! ここに職場の同僚とかがいたら会社で噂になってしまえ!
「今じゃあの頃の名残なんて、微塵もないくらいだ。真澄は中学に上がる手前から急に頭が良くなって、いろいろ積極的になって、生徒会の副会長まで登りつめた。当然、親父のことなんて見向きもしない。親父、受験生の親としてありがちな心配をしているけど、本当は怖いだけなんだろう。真澄が自分から離れていくのが」
うんうん、という同意の声が、まわりから聞こえてきた。
「わかるわー」
知らない男性客の声が、ここまで聞こえてくる。
「うちの娘も小さい頃は俺に懐いていたんだけどなぁ」
「思春期の子供を持つのはきついよねー」
「俺なんか娘から完全に汚物扱いだわ」
フローチェの店内にそんな寂しい会話が飛び交うようになる。みなさん、苦労は絶えないですねー。
「真澄が自立していくのはいいことだ。あ、あんな風に育ってくれて、自慢に思っている」
瀧彦は堂々としているふりをしているが、声が震えていた。取引先からのクレームには冷静に対処し、高い状況判断能力をもって課長クラスに登り詰めたのに、親父は娘のことになると本当にちょろい。
「子離れできない人の言うことなんて、信じられるか」
「つまり、この頼みごとは断るということか?」
瀧彦の声に威厳がなくなる。
さすがにかわいそうになってきた。
「いいや、真澄の受験についてはちゃんとサポートする。邪魔になるならその男とやらも排除してやるさ」
「本当か?」
「ああ」
瀧彦の懸念は嫌らしいものを感じるが、一理ある。真澄が付き合い始めたという男が、本当の意味で性格の悪いダメ男だったら最悪だ。真澄の第一志望校ではなく、その男と同じ学校に通わせるために、勉強の妨害をしてくることだって考えられる。
付き合っている彼女を束縛したがる男なんて、この世には何と多いことか。
しかも、男女付き合いの経験が浅い真澄のことだ。意外としつこく束縛してくる男を簡単にはあしらえないだろう。
「真澄が変な男に捕まるなんて、俺も親父も望んじゃいないだろう」
「よかった、ありがとう」
瀧彦は手を差し出してくる。しょうがないな、と隆志は思いつつ、自分も手を出した。二人で手を握り合う。
「ところで、真澄は今日、出かけると言っていたな」
隆志は話題を変えた。
「ああ、生徒会のメンバーと打ち合わせることがあるって」
娘の予定をきちんと把握しているあたり、さすが親父だ。だが、
「どこに行くかまでは聞いていないのか?」
「どうせ本通か八丁堀あたりだろ。通学路の途中で行きやすいし、実際にその方面のバスに乗っていた」
と、瀧彦は広島の中心部であり、多くの若者がたむろするエリアをあげていく。ちなみにこのフローチェがあるのは、本通商店街から南に百メートルほど外れた電車通り沿いだ。
はあ、と隆志はため息をついた。
「だとしたらこの店を選んだの、まずいんじゃね。なんとなく」
「どうしてだ?」
「真澄が生徒会の集まりに出ると嘘をついて、その付き合い始めた彼氏とやらとお忍びデートをしているとしたら、どうだ? その本通や八丁堀にむやみに繰り出したら、同級生に見つかるかもしれない。だとしたら、ちょっと外れた場所を選ぶだろ」
「つまり、ここらか?」
繰り返しになるがここは本通商店街から南に百メートル外れた場所。若者の憩いのショッピングエリアから、ちょっと移動するだけで、証券会社や銀行まみれのビジネスエリアに様変わりするから広島の街はめまぐるしい。
当然、この店の前を通りがかる若者もぐっと少なくなる。
「俺がお忍びを希望する彼女を誘うとしたら、こういう店かな。現に今、この店に俺と同い年っぽい人はいないし。ここ、値段安くて中学生でも行きやすいし」
「ここに真澄とその彼氏が現れるかもしれないと、そう言いたいのか。だとしたら大げさだな。ここらにもカフェがどれだけあると」
「俺はあくまで懸念を言っただけだよ。そういう確率があると」
もうちょっと場所を選べと言いたいだけだ。当然、本気でここに真澄が現れるとは思っていない。本気では……
来るわけないよな、と思いつつ、俺は店の外のほうに目を向けた。
「……隆志、真澄、来ていないよな」
あくまで懸念だと隆志が言ったのに、瀧彦は心配そうに念を押してくる。
だが、隆志はその問いに答えなかった。 じっと外を見ている。
「なあ、どうしてそんなに外を見ているんだ?」
隆志は無言のままだ。視線は店の外に向けられたまま固まっている。
フローチェに客の入店チャイムが鳴ったのは、そのときだった。若い店員さんの「いらっしゃいませ」という声が響き渡る。
「あっ、えっ、どうして」
凛としていて、なおかつ甘い声が響いたとき、瀧彦も視線を店のエントランスのほうに向けていた。
そこにいたのは、まさにあの、三滝真澄だった。さらりと背中まで伸ばした黒い髪に、黒と白を基調としたワンピースが質素ながらもよく似合う。黒く艶のある瞳を、隆志と瀧彦に向けていた。
「えーーー!」
懸念がドストライクしたことに、隆志は驚きの声をあげる。
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