第19話 ソフィの助言(ベルナール)
城の本館にあるソフィの私室は、開け放たれた窓から流れ込む夏の香りで満ちていた。
「百合かしらね」
「そのようですね。少し切って参りましょうか」
「いいわ。香りだけで十分」
侍女に向かって優しく微笑むソフィは、ベルナールのたった一人の姉だ。他国に嫁いで、嫁いだ先で国を失うという苦しい過去を持つが、そんな日々など忘れたかのような静かな佇まいをしている。
「アニエスとベルナールが戻ったようね」
風に乗って兵士たちの声が聞こえてきた。
アニエスを大層気に入った彼らは、あの手この手でベルナールとアニエスをくっつけようとしている。
凄腕の聖女にずっと城にいてほしいという気持ちもなくはないのだろうが、それ以上に、アニエスという少女のことが、彼らはとても好きなのだ。
それは、ソフィも同じだった。
兵士たちの若干暴走気味な作戦行動を、ソフィもついつい微笑ましい気持ちで見ていた。
「姉上」
まだ外のざわめきが聞こえるうちに、私室のドアが軽く叩かれた。
「ベルナール、珍しいわね」
視察から帰ると、いの一番に記録の整理をする弟が、執務室に行くより前に訪ねてきたことに軽く驚く。
「アニエスがここに来る前に、相談したいことが……」
「いいわよ。何?」
ソフィの向かい側にあるカウチに腰を下ろしながら、しかしベルナールは言葉に詰まっている。
「視察先で、何か問題でもあったの?」
「そういうわけでは……」
「アニエスとは、どうだった?」
突然、ベルナールの顔が廃人のように表情を失った。魂がどこかに行ってしまっている。
「ベルナール?」
はっと我に返ったベルナールが口を開く。
「アニエスは、俺をどう思っているのだろう……」
「どうって……?」
「嫌われてはいないようだが……」
「そうね。あんな失礼のことを言ったのに、奇跡だわ。アニエスが優しい子でよかったわね」
少し顔を歪めたが、ベルナールは静かに頷いた。
「アニエスは、優しい」
そうつぶやいた後で、突然、堰を切ったように、アニエスの魅力について語り始めた。
唇をきゅっと結んで、大真面目な顔で一生懸命施術をする様子が、頼もしいと同時にとても可愛い。
大柄な兵士たちもビックリするような肉への執着と、その食べっぷりに感動する。
歌が下手で、おしゃれも苦手で、けれどいつでもにこにこ笑っているところが素敵だ。
欲がなさ過ぎて寂しい部分もあるが、必要以上に欲張らない姿勢には大いに学ぶものがあった。
「笑顔の下に隠した、たくさんの涙と我慢と、それを上回る他者への優しさに胸を打たれる。アニエスは……、ここに着いた時に、とてもほっとしたと言っていた。それだけ、口には出さなくとも苦しい旅をしてきたのだと思う。それなのに、どこかで自分を待っている者があるなら、また旅を続けるつもりでいたんだ」
ソフィは頷いた。
ベルナールが、きちんとアニエスを見ていることを嬉しく思った。
「アニエスは強い子ね……。強くて、優しい」
「俺は、アニエスの言葉を聞いた時に、無性にアニエスが愛しくなった。そして、アニエスは俺が守ると心に決めた」
ソフィは再び頷く。
「だったら、ここで私にごちゃごちゃ言ってないで、直接本人に、そう言ったら?」
ソフィが笑うと、ベルナールはキッと顔を上げた。
「どう言えばいいのか、わからないんだ」
「はあ?」
結婚を申し込みたいが、断られるのが怖くて言えないと言う弟に、ソフィは面食らった。
「……あなた、誰?」
「ベルナール・トレスプーシュ。フォールの辺境伯で、あなたの弟だ」
「本当にベルナールなの? 歩くだけで、領地中に恋の病を振りまくとまで言われた、あのベルナール・トレスプーシュ?」
そうだと真面目に頷き、そのくせ「断られたら、生きていけない。死ぬ」と言って頭を抱えるヘタレ男を前にして、ソフィは呆れる。
そして、ついに笑ってしまった。
「ベルナール。あなた、その年になって、生まれて初めて恋をしたのね」
「恋……?」
我が弟ながら、笑える。
身内の目にも美貌の男が、漆黒の瞳を大きく見開いた。
「これが、恋なのか……」
「たぶんね」
「恋とは、こんなに苦しいものなのか」
「そうね。相手を思うと苦しくて、同時にとても甘いものよ」
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