第18話 再び、受難の日々?

「あれ?」


 目を覚ましたアニエスは、衝立の向こう側を覗いて首を傾げた。

 反対側の寝台にベルナールの姿はなく、ピンと張られたシーツの様子からして眠った形跡もなさそうだった。


 木綿の下着アンダードレスとドロワーズの上に、一人でも着やすい前ボタンのドレスを着けて廊下に出ると、休憩用の長椅子の上に手足の長い長身の男の人が寝ていた。


「ベルナール閣下!」


 なぜ、こんなところに?


「ああ。アニエスか……、おはよう」

「おはようございます。何をしているんですか?」


 はあっとため息を吐きながらベルナールが身体を起こした。


「人の理性には限界があるからな。物理的な障害を設ける必要があった」

「何を言ってるのかわかりませんが、寝不足のようですから少し目を閉じてください」


 癒します、と言って、ベルナールの額に手をかざした。

 わずかな施術の後にベルナールがアニエスの腕を掴んだ。


「アニエス」


 ぐいっと腕を引かれて、ベルナールの胸に抱き寄せられる。

 よろけたままベルナールの膝に乗ってしまい、心臓が飛び出しそうになった。


「閣下……?」


 ベルナールは黙ってアニエスの髪と背中を撫でていた。

 心臓のドキドキが大きくなる。


「あの、閣下……、いったい、どうしたのですか?」

「アニエス。俺は、どのようにすればいいのか、わからなくなった」


「何がわからないのですか?」

「今まで、どうやって女を口説いていたのか、忘れてしまった」


 んん? アニエスの眉間に皺が寄る。


「申し訳ないのですが、相談する相手を間違っています」


 よいしょ、とベルナールの膝から降りて、だらんと垂れている手を引っ張った。


「とりあえず、朝ご飯を食べに行きましょう」

「ああ……、そうだな……」


 午前中いっぱい通りでの施術や往診を行い、昼くらいに戻ってきたベルナールと一緒に宿の一階で昼食を取って、フォール城への帰途についた。


 ぱかぱかとゆっくり進む馬の上で、町での様子をベルナールに話した。

 みんな親切でいい人ばかりで、アニエスが行くととても喜んでくれた。重い病気の人もいたけれど、だいぶ楽になったと言ってくれた。

 そうか、とか、よかったな、とか言いながらベルナールは話を全部聞いてくれた。


 そんなふうに聞いてくれる人がいることが、アニエスはとても嬉しかった。


 夕陽の中をのぼりを背にしたベルナールとアニエスが城に近づくと、兵士たちがやんややんやの喝采で出迎える。


「閣下、首尾はいかに」

「大勝利でございますか」


 だが、どんよりとしたベルナールの顔を見ると、みんな腫れ物にでも触るような口調になり、急に明日の天気について話し始めた。

 ベルナールが行ってしまうと、兵士の一人が「嬢ちゃんは、閣下のどこが不満なんだい?」とこっそり聞いてきて、アニエスは首を傾げた。


「不満なんかないわ」

「閣下のことは好きかい?」

「ええ。好きよ」


 最初こそグサッと心に傷を負わされたが、その後のベルナールに不満はないし、むしろとても好きだ。

 遠くの町に施術に行くための旅も、ベルナールの視察に同行させてもらっただけとはいえ、一緒に行けてとても楽しかった。


 町で食べたさまざまなものについて兵士たちに語って聞かせる。

 みんなはなぜか、これはダメだ、みたいな顔になって、へえ、とか、ふうん、とか、そりゃよかったね、とか、おざなりな相槌を打った。


 疲れているのかしら? 


 心配になって聞くが、全然大丈夫だと言われてしまう。

 アニエスこそ疲れただろうから、早く休むといいと言われて、アニエスの部屋がある本館に放り込まれてしまった。


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