第17話 一つの部屋に泊まる

 王都に向かう街道とは別の道を東に進んだアニエスとベルナールは、昼前に小さな町に着いた。

 アニエスを馬から降ろして、ベルナールは言った。


「俺はこれから近隣の村や集落を回ってくる。今夜はこの町に宿を取るから、それまで好きにやっててくれ」

「わかりました。ありがとうございます」


 背中に差していたのぼりと馬の鞍に下げていた包みをアニエスに渡して、ベルナールが言った。


「弁当だ」


 アニエスの顔がパッと輝く。

 それを見たベルナールの口元も自然にほころんだ。


 ワイルド系のイケメンは笑うと急に優しい顔になる。

 アニエスはまた少しドキッとしてしまった。

 

 のぼりを持って大通りの一角に立つと、すぐに人が集まってきた。


「あ! 閣下のところの聖女さんだ」

「来てくれたのか」


 歩けない病人のために家まで来てほしいと言う人がけっこういて、アニエスは大工からいらない板切れをもらって、『戻ります。ここでお待ちください』という立て札を作って、のぼりと一緒に通りの隅に置いた。

 呼ばれた家々を回って戻ると、人が何人か並んでいた。

 その人たちの家をまた順々に回って施術をした。


 誰かがのぼりのそばに木の椅子を置いてくれて、アニエスはそれに座って弁当を食べた。

 丸いパンが二つと骨付きの鶏肉と野菜と果物が籠いっぱいに入っていて幸せになった。水筒には香りのいいお茶も入っていた。


 午後も家に呼ばれて施術に出たり、のぼりのところに来た人を何人か診たりして過ごした。

 日が傾く頃にベルナールが戻ってきた。


「厩のある宿は一軒しかない。一階が食堂になっているから、宿と食事はそこでいいか」

「はい」


 フォールまでの旅で泊ったのは、知らない人と相部屋の、硬いベッドがいくつか並んだ部屋だった。

 風呂やシャワーのあるところは稀で、中庭の井戸で汲んだ水で身体を拭いて眠った。

 男女が同じ部屋で雑魚寝というのも珍しくなかった。

 バシュラール王国の庶民の旅は、だいたいそんなものである。


 ベルナールが選んだ宿は、さすが辺境伯を泊めるだけあって町でも一番いい宿だった。

 町には湯の湧く泉があるらしく、いい宿はみんな、そこから湯を引いているらしかった。

 城で使うような湯桶のある風呂場が宿の中に二つあり、一つは殿方用で、一つは婦人用だった。


 階下の食堂は、宿の客以外の人も来るタイプの店で、大層繁盛していた。


「何でも好きなものを頼め」


 ベルナールが笑顔で言う。

 アニエスは嬉しくなって、店主のオススメを全部頼んだ。

 肉だけでなく、野菜がゴロゴロ入った濃厚なスープや、油で揚げた芋なども食べた。どれもとても美味しかった。


「おまえは、本当によく食うな」

「聖女は身体が資本ですから」

 

 自分が元気でないと、人の痛みを癒すことは難しいのだ。

 健康な歯と丈夫な胃腸はアニエスの財産である。


 食事が終わると、宿の主人が「お部屋の用意ができました」と呼びに来た。

 二階の奥にある一番いい部屋だと主人は言った。

 ベルナールがいつも泊る部屋らしい。


「アニエスの部屋はどこだ」


 ベルナールの問いに、主人が「え?」と首を傾げる。

 宿の下働きの者を呼んで、二言三言、何やら確認した。


「お城のほうから早馬で文が届きまして……、それによりますと、お二人のお部屋は一つにということでしたのですが……」

「何?」


 あいつら、早馬まで使って、何を知らせているんだ……、とベルナールが呻く。

 

「もう一つ部屋を用意してくれ」


 ベルナールの言葉に、宿の主人がすまなそうに頭を下げた。


「聖女様がいらしたことを知って、町にいつもより人が来ていまして、あいにく今日はお部屋がいっぱいなのです……」

 

 アニエスは部屋を覗いてみた。

 とても広くて清潔そうな部屋だった。寝台は左右の壁に寄せて二つ。衝立やテーブルまである。

 今まで泊った宿に比べたら、とても上等である。


「私、閣下と相部屋で全然かまいませんけど」

「なんだって?」


 嫁入り前の娘がどうとかこうとか言われたが、これまでの旅の様子を話して「それに比べたら」と笑うと、ベルナールは何やら複雑な顔になった。


「お部屋はここしかないのです。わがままを言って、ご主人を困らせてはいけないと思います」

「アニエス、おまえ……」

「湯船のあるお風呂があるそうなので、私、いただいてきます」


 のぼりと荷物を片方の寝台に置き、アニエスはウキウキと風呂に向かった。


「いいお湯でした。閣下もいかがですか?」


 部屋に戻って、寝るためにドレスを脱いで、寝巻代わりの下着アンダードレスとドロワーズだけになりながら勧める。

 赤い顔をしたベルナールが頭を抱えて呻いた。


「閣下、お加減が悪いならば、癒しましょうか」

「いや。いい……」


 風呂に行ってくると、肩を落とし、どこか弱々しい足取りで出ていく背中を首を傾げて見送る。

 今日もよく働いたなと満足しながら、アニエスは早々に布団にもぐりこんで安らかな眠りに就いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る