第15話 王都からの使者
城には馬車も何台かあったが、フォールは坂が多く道も悪い。
移動するには馬に乗るほうがはるかに楽だと言われて、アニエスはベルナールの馬に背中から抱かれる感じで乗せてもらった。
のぼりは邪魔になるので、ベルナールが背負った。
「じゃあ、行ってくる」
キリっと告げたベルナールに、兵士たちはにこにこしながら手を振る。
「ごゆっくり~」
「お留守はお任せくださ~い」
『心の病、身体の病、切り傷、擦り傷、やけど、吐き気、腹痛、水虫、なんでも治します』
色の褪せてきたのぼりをはためかせながら、二人はぱかぱかと城下を進んだ。
「アニエス……。いつかはすまなかった」
「いつか? いつかって、いつですか?」
「おまえを泣かせた時のことだ……」
ああ、とアニエスは笑った。
「臭くて汚かったのは本当ですから」
「怒ってないのか」
「怒ってませんよぉ。私こそ、急に泣いたりしてすみませんでした。あの時はほっとしてしまって、つい……」
ふだんのアニエスなら、あんなに簡単に泣いたりしなかったはずだ。
泣いてしまった後で、アニエスはあれこれ考えた。そして、あれは安心したせいだったのだと自分を納得させた。
「ほっとしていたのか」
「はい。やっと、落ち着き先が決まったので、ちょっと気が緩んでしまいました」
旅を続けていて一番堪えたのは、居場所のない心細さだった。
どこへ行くともなく進んでいた頃の、孤独や当てのなさを思うと、今は本当に幸せだと感じる。
「お城に着いて、雇ってもらえてよかったです」
「だが、おまえは……、そんなふうに思っていながら、最初に採用を告げた時は旅を続けるか迷っていると言ったぞ」
厳しい境遇に再び身を置くつもりだったのかと、ベルナールが聞く。
「だって……。できることがあるのがわかっているのに、それをやらないでいるのは、なんだか嫌じゃないですか? 私は聖女ですから、できるだけたくさんの人を治してあげたいんです」
ちょっとカッコよすぎたかなと思って、照れて「うふふ」と笑う。
ベルナールが馬を止めた。
「閣下?」
急に背後から抱きしめられて、アニエスの心臓がドキッと大きく跳ねた。
「……閣下、苦しいです」
「おまえは、強いな。強くて、優しい」
「せ、聖女ですから……」
ドキドキしながら答えた。
――聖女は優しくなければいけないよ。
泉の神様は言っていた。
――人を助けるには、自分が強くなくてはいけないよ。
修行は厳しかったけれど、アニエスは聖女の養成所でたくさんのことを学んだ。
王を癒して国の役に立つことはできなくなったけれど、違う形で自分の力を人のために生かせている。これは、すごく嬉しいことだ。
「聖女になれて、私は幸せです」
「おまえの良さがわからぬ王太子はバカだ」
「不敬罪で罰せられますよ?」
「罰せられるものなら罰してみろ。王の軍が俺を捕らえにきたところで、我がフォール辺境軍を前にして、何ができる」
確かに勝負にならないだろう。
アニエスはまた、ふふふと笑った。ベルナールがぼそりと言った。
「アニエス、俺は決めたぞ」
一方、王都からアニエスを連れ戻すために派遣された神官フロランとその部下は、南の大聖女ドゥニーズを訪ねて空振りに終わり、王都に戻った後で、北に向かう謎の聖女の噂を耳にしていた。
噂を追いかけ始めると、すぐに確信した。
地味なグレーのドレスを着ていて、施術の腕は驚異的。
異様に元気で、肉が好き。
「アニエスだ」
ろくに荷物も持たず、のぼりを背負って徒歩で移動しているらしい。
のぼり? と思ったが、想像してみたら、やけにしっくりきた。
「アニエスで間違いないだろう」
噂によるとフォールのトレスプーシュ辺境伯の元に向かっているらしい。
二頭立ての馬車を走らせて街道を進み始めたが、ふだんは人通りもまばらなはずの辺境へ続く道には、どういうわけか人が溢れかえっていた。
思うように馬車が進まない。
渋滞に難儀しつつも、ようやくフォール郡に入り、再び噂に耳を傾けた。
そこで聖女はなかなか可愛いと聞いて、フロラン一行は少し不安になった。
修行オタクのアニエスは、いつも鬼気迫る勢いで石段を登り、滝に打たれていた。
地味な聖女の制服を特に嫌がることもなく着続け、髪飾り一つ持っていなかったと記憶している。
顔かたちが悪いわけではないので、それなりに気を遣えば可愛いかもしれないが、今までのアニエスにはあまり使われなかった表現だ。
だが、肉は好きらしい。
「アニエス、だよな……?」
いずれにしても、ここまで来て引き返すのもアレだ。
とりあえず、フォール城まで行ってみることにした。
のろのろ進む人の波が落ち着き始め、一時はどうなることかと思えた渋滞も解消されつつある。
やがて馬車は軽快に進み始めた。
おそらく聖女はアニエスだろう。
これで、やっと連れて帰れるぞと、フロランは安堵していた。
だが、フォールに着いたフロラン一行は、そこで思いがけないことを聞かされる。
聖女は確かにアニエスだった。しかし、門を守る兵士の言葉は耳を疑うものだった。
「アニエスが、なんだって?」
「だから、もう嬢ちゃんは、閣下とラブラブなんだから、邪魔するなって言ってるんだよ」
「ラブラブとは……?」
「ラブラブはラブラブだよ」
「結婚秒読み状態ってやつだ。な、そうだよな?」
「だな!」
「つまり……?」
「つまりアレだよ。察しろよ」
「つまり、アニエスはトレスプーシュ辺境伯と婚約していると……?」
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