第14話 視察に同行
終わりがないかと思われた患者の波は、二週間くらいたった頃から落ち着き始めた。
アニエスがこれ以上移動しないことがわかり、慌てて追いかける必要がなくなったからだ。一種のブームに乗って、たいした怪我でもないのに行列に加わっていた人たちもけっこういて、そういう人たちが潮が引くようにいなくなると、一日にやってくる人の数もだいぶ減って、長い行列ができることもなくなった。
城門の脇にあった門番のための待機小屋が、ベルナールの命令で診療所として使えるように整備された。
待機小屋は左右の門のそばにもあるので、正門を守る兵たちもそちらを利用することになった。
医者一人、看護師二人と一緒に、アニエスは診療所で施術を行う。彼らと分担することで、仕事の内容は格段に楽になった。
お代は「お気持ち」ではなくなった。けれど、決して高いものではなかった。
最近の患者たちは、わざわざ旅をしてくるだけあって、「お気持ち」をはずみ過ぎる傾向があったので、基準ができて、アニエスはむしろほっとしたくらいだった。
暇な時間におしゃべりをする余裕もできた。
「アニエス、今のうちに閣下とどこかへ出かけてきたら?」
「そうよ。国境のいざこざも落ち着いてるみたいだし」
二人の看護師、デボラとメロディが勧める。
アニエスは首を傾げた。
「閣下と? どうして?」
「どうしてって……」
二人は意味ありげに笑みを交わした。
アニエスはいっそう不思議に思ったが、確かに今の混み具合ならば、毎日朝から晩まで診療所にいなくても平気そうだ。そろそろ出張診療を始めてもいいかもしれないと思った。
週に一日の休診日のほかに、もう一日休みをもらっていいかと、一緒に働く三人に相談すると、今の状況なら全然問題ないと快く了承してくれた。
演習場で兵士を監督しているベルナールを見つけて近づく。
そばにいた兵士たちが、なぜか嬉しそうな顔でアニエスを見て、それからパッと離れていった。
「そろそろ領地内の町や村を回りたいので、許可をください」
診療所の仲間にはすでに話した。二日あれば、夜明け前に出発して施術をして戻ってくることができるとベルナールに告げた。
「歩いていく気か」
「はい」
ほかにどんな方法が? と思ったが、ベルナールは「馬を出させよう」と言った。
比較的近くに控えていた側近のアンリ・バルゲリー少将を呼んで、「誰かにアニエスを送らせろ」と命じる。
アンリはそれを、瞬殺で断った。
「手の空いている者がいません」
「そんなわけないだろ」
ベルナールは周囲の兵士を見回した。
兵士たちが急に忙しそうに演習に精を出し始める。武器の手入れを始める者もいた。
「ご覧の通り、誰もいません」
にっと笑みを浮かべて、アンリは首を振る。
はあ? と困惑するベルナールを無視して続けた。
「それより閣下、国境が安定しているうちに、領地の視察をなさったほうがいいのでは?」
「視察?」
確かに最近あまり回っていないか、と顎に手を当て首を傾げるベルナール。
すかさずアンリがポンと手を叩く。
「あっ、ついでにアニエス様を閣下の馬にお乗せになったらいかがでしょう。一石二鳥では?」
「俺の馬に?」
「あいにく今回は同行できる者がいませんが……」
すまなそうに言うアンリに、「それは構わないが……」と困惑したままベルナールは言う。
「では、そういうことにいたしましょう」
「そういうことにって、アンリ、おまえ……」
「何か、不都合でも?」
「いや。不都合というわけではないが……」
領内の視察は、何か問題が起きていないか、困ったことはないか、ざっと確認するための簡素なもので、ものものしくする必要は全くないらしかった。ベルナールが一人で出かけていくことも、珍しくないという。
けれど……。
アンリとベルナールのやり取りを聞いていたアニエスはにこりと笑って言った。
「大丈夫です。私、歩いていきますから」
「え……」
突如、兵士たちがどっと集まってきて「それはダメだ」と口々に言い始めた。
それから一斉にベルナールに視線を向け、圧をかける。
ベルナールがやや遠慮がちに口を開いた。
「……アニエス。俺の馬でよければ、乗っていくか」
「えっと……、ご迷惑でなければ……」
「迷惑ではない……。全然」
ベルナールの黒い瞳がまっすぐアニエスを見ていた。
アニエスはにこりと笑って頷いた。
「はい。では、お願いします」
こうしてアニエスは、ベルナールの視察に同行する形で、週に二日ほど領内の町や村に施術に出ることになったのだった。
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