シュレディンガーの金閣寺

多聞

シュレディンガーの金閣寺

京都市民なら誰でも、雪の金閣寺を見ると結婚できるという噂を聞いたことがあるだろう。雪が降るたびにカップルが押し寄せる光景は、もはや冬の風物詩だ。だが、今年はどこにも行列が見当たらない。それもそのはず、舎利殿は絶賛改修工事中だった。辺りの調和をぶち壊す灰色の囲いが、今も金閣を覆っている。


「だから、絶対積もってるに決まってるやん!」

「いやいや、なんでそんな風に言い切れるの? もう溶けてるかもしれないじゃん」

「あのなぁ、浩介」と奈々は呆れたような声を出した。

「この白い地面、なんやと思ってんの? そこら辺に植わってる松も、よう見てみいや」

庭園には、うっすらと雪が積もっていた。雲の切れ目から射している光が、庭園全体を弱々しく照らしている。

「でもさ、周りに雪が積もってるからって、金閣にも積もってるとは限らないんじゃないの」と聞くと、奈々は蔑みの顔でこちらを見た。

「浩介って、ほんまに相手に合わせるって言葉知らんよな……。さっきバスおりたとき、雪降ってたん覚えてるやんな?」

ほぼ止んでたけどね、と心の中で呟いてから俺は頷く。

「それやったら溶けてるわけないやんか。時間もそんなに経ってないし」

「でも、金閣は高さがあるしなぁ。日光が届きやすい気がするけど」

奈々はこちらを睨みながら、パーフェクトな舌打ちをした。「ほんま、ああ言えばこう言う……」と忌々しそうに吐き捨てる。

「なんで「一緒に見られてよかったね」で済ませられへんの?」

「だって、実際見えてないしさ」

俺が灰色の囲いを指差すと、「見えてるやん」と奈々は平然と言う。

「いやいやいや、見えてないじゃん」

「私には見えてるもん」

「俺には見えないけどなぁ」

再三否定すると、奈々はわざとらしくため息をついた。

「あーあ、私見る目なかったんかなぁ。事実を認めようともせえへん、見たいもんしか見いひん。なんでこんな人と付き合ってるんやろう。ちょっと自分が不思議になってきたわ」

「よし分かった。とりあえず雪の金閣はあることにしよっか」

それ以上辛辣な言葉を聞くと心が折れてしまう。俺は慌てて雪の金閣の存在を認めた。

「ただ、金閣が見えるっていう点が、いまいち分かんないんだよね。俺にも分かるように説明してくれない?」

「そうやなぁ……。あのさ、私らが雪の金閣と同じ空間にいるってことは間違いないやんか。ということは、見たってことにしてもいいと思うんよ。直接見たかどうかなんて、大した問題じゃないような気がすんねんけどな」

どこから突っ込めばいいのかわからない。そっか、と力なく返すことしかできなかった。雰囲気を変えようと、俺は辺りを見回した。

「それにしても、カップルが多いね。これみんな、雪の金閣寺目当てなのかな」

「そらそうやん」

ふうん、と相づちを打つ。周りのカップルは、みな一様に残念そうな顔をしていた。

「なんでそんなに雪の金閣が見たいんだろう」と疑問を口にすると、奈々は訝し気な表情になった。

「……浩介って出身どこやったっけ。群馬?」

「千葉。何回言っても覚えないよね」

じゃあ知らんのか、と奈々は真剣な顔でひとりごちた。

「あのな、雪の金閣を見たカップルは、そのー、今話題になってるとっても人気なゲームが手に入るっていう噂があって」

 へえ、と自然に声があがった。

「いいなぁ、今人気のやつってあれだよね?やりたいと思ってたんだよね」

「そうそう、あれあれ。だから私、どうしても浩介と見たかったんよ」

きらきらした瞳で見上げてくる。ちょっと面倒だけど可愛い彼女。相変わらず金閣は囲いに覆われていたが、これはこれでいい景色かもしれない。

「そうだね、今日は来られてよかったかな」

ありがとう、とつぶやくと、奈々は嬉しそうにほほえんだ。

「まあ雪の金閣があるかどうかは、囲いを取って確認しないことには分かんないけどね」

じゃあそろそろ先に進もうか、と言いかけた瞬間、がしゃんという音がした。みると、奈々は柵を飛び越えようとしている。

「待って待って、なにやってんの!」

俺は奈々を羽交い締めにすると、通路の隅の方まで引っ張っていった。「どうしました?」と警備員が駆け寄ってくる。

「すいません、ちょっと興奮してるみたいで。ほら奈々、落ち着いて」

「人を暴れ馬みたいに言わんといてよ!」

どうどう、となだめていると、奈々はぺたんと座り込んでしまった。だって、だって、としゃくりあげている。

「なぁ、そんなにゲームが欲しいんだったら俺が買うからさ」

「要らんわそんなん」

なにが不満なのか、奈々はそっぽを向いてしまった。ほんまなんも分かってないな、と拗ねたようにつぶやく。

「そんなこと言わないで買って帰ろうよ。台数は一台で」

「それって……」

「一緒の島で暮らそう」と手を広げると、奈々が勢いよく飛びこんできた。

「でもまずは、購入権当てなあかんね」

「雪の金閣見たんだったら大丈夫だよ」と言うと、奈々は顔を上げた。そっと頭を傾ける。目を閉じる直前、雪がちらついているのが肩越しに見えた。

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シュレディンガーの金閣寺 多聞 @tada_13

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