第10話 駄目そうなのに実はすごい人ですってのはよくある話。そう、君の周りの飲んだくれ親父だってきっと
イザヨイ一行がガイアの地へと目指している頃、始まりの村イーリアス。虫も寝静まる深夜に、村の中を駆ける影がひとつあった。
影は月明かりを避けるように物陰から物陰へと身を移し、徐々に村の出口へと足の伸ばしていく。
そうして、門の近くに積み上げられていた家畜の飼料の影から飛び出したとき、銀色の光が影を切り裂こうと宙を薙ぐ。
「うわぁ!?」
影は地面を転がり、そのままの勢いで飛び起きて体勢を立て直す。その拍子に被っていたフードがめくれ、燃えるような赤い髪が露になった。
「さて、言い訳は診療所のベッドの上で聞こうかのう」
赤い髪の少年を真っ直ぐ見つめ、愛用の剣を構えた村の門番であるバリが凄む。
老いたと言えど、バリは歴戦の戦士である。その構えに隙はなく、放つ雰囲気はまるで巨大な竜をも想わせるものだ。だが、赤髪の少年はそれでも怯まずに笑う。
「それはバリじいさんの方でしょ? もういい歳なんだから、この時間は寝ていないと」
「ハンッ! フレイアの小僧っこが生意気な口をききよる。それこそ、お子ちゃまはねんねしておる時間じゃわい。いまからネルのベッドに潜って乳でも吸ってくるかのう?」
アンネ命のフレイアにとって、世界で二番目に大事にしているのが母親のネルである。そんなネルの名を出されたフレイアは、一瞬で頭に血を上らせてしまう。
「ふざけるなぁ!!」
「ほっほ、まーだイザヨイ殿に負けた理由がわかっておらんようじゃのう。ほれ」
激昂したフレイアは、腰に刺していた剣を抜き放つ。だが、そんな直情的な剣筋などバリに通用するはずもなく、簡単にいなされるどころかそのまま軸足を蹴られ、フレイアはバランスを崩して倒れこんでしまった。
顔面から倒れたせいで鼻を打ってしまい、左の鼻の穴から血が滴り落ちる。
「お前さんがいままで日々努力を積んできたことは知っておる。剣の腕だけでいえばこの村では大人でさえ敵わんじゃろう」
フレイアは小さい頃から猟師である父の背中を追って、日々ひとり鍛練に励んでいた。雨の日も、風の日も。イザヨイと出会ったのも、そんな鍛練の最中であった。
そんな日々の努力に加え、勇者としての資質を体の奥底に眠らせているフレイアの剣の上達は、同年代の子供どころか青年たちを、さらには村で一番腕のたつ父親でさえも凌駕した。
自信はあった。元来の性格もあって、自信は持てど傲りはなく、日々の鍛練と向上心を持つ、まさに努力をする天才タイプ。それがフレイアであった。
だが、その自信はイザヨイによって粉々に打ち砕かれた。イザヨイが元魔王軍幹部で強いとはいえ、一撃で、しかも剣も使わずに気絶をさせられ、さらには大事な妹まで連れ去られるとは夢にも思わなかった。
その光景は、村の人々も驚きに目を見開いた。自分達よりも強いフレイアが、まったく歯が立たなかったのだ。しかし、そんな中でもバルだけは理解していた。
いまのフレイアでは何度挑んでもイザヨイに勝てないこと。そして、イザヨイはフレイアと戦ってすらいなかったことに。
小さな羽虫は、人間がうっかり触れただけで潰れて死んでしまう。
いまフレイアが生きているのは、イザヨイが壊れないように、潰さないように優しく、ゆっくりと手で退かしたからにすぎない。
「フレイアよ、よくお聞き。お前は幸いにも、村の……いや、この国の中でも随一といっていいほどに、才能に溢れておる。王国で長年新兵を見てきたわしが保証する。それに、これはちらっと聞いたのじゃが、薬屋のばあさんもお前は魔術の才能もあると言うておった」
「僕が、魔術を……?」
「うむ。ああ見えて、薬屋のばあさんも昔は王宮で凄腕の魔術師だったのだから、間違いはなかろう。それでじゃ。フレイア……このバルじいと薬屋のばあさんのもとで修行をしてみんか? 正直、いまお前さんを行かせないのは、戦いにいったところでただ命を捨てにいくようなものだからじゃ」
バルの言葉にフレイアはぐっと下唇を噛み締める。
本当は気づいていた。イザヨイが自分に手加減を、しかもそれは戦いの相手としての手加減ではなく、触れば壊れる宝物を壊さないよう、『配慮』を持った手加減であったことを。
「バルじいさんとメイアばあさんに教われば、僕はまだ強くなれますか?」
「あぁ、勿論だ。わしも薬屋のばあさんも歳で体は昔ほど動かんが、後進の育成くらいはなんてことはない。なぁに、フレイアならば直ぐにわし以上に強くなれるよ」
そう言って微笑んだバルの笑顔に、フレイアは急に恥ずかしくなった。
村で自分以上に腕のたつ者はいない。それは自他が認める事実ではあるが、それ故に、いつしかその事実が心の中で自信から傲りになりかけていたことをバルは優しく、思いやりをもって教えてくれた。そのことに気がついたからだ。
「明日から、よろしくお願い致しますッ!」
「うむ。薬屋のばあさんにはわしから言っておくから、今日は家に帰って寝なさい。明日からが大変じゃよ」
深くお辞儀をするフレイアの頭を軽く撫で、頷いた。
(そう……わしよりは強くなれる。じゃが……)
正直なところ、バルはイザヨイと初めて出会った時に、彼の姿に死そのものを視た。
いくつもの戦場を渡り歩き、その度に幾度も死神の手をかわしてきたバルが、その瞬間に確かな死を感じ取るほどの存在。
若かりし頃、いまの魔王がまだ四天王だった時代に剣を交えたこともあった。その時は一週間にも及ぶ死闘の末、お互いに大きな傷を負わせて相討ちとなり、命を落としかけた。だが、それでもあそこまでの濃厚な死の気配を感じることはなかった。
「あれは、まさしく化け物じゃよ、フレイア……じゃが、どうしたものだろうなぁ」
二つの満月が照らすフレイアの背を見つめながら、バルは目を細める。
限りなく濃厚な死の気配。それと同時に、バルはイザヨイの中にとても温かで、安らぎさえ感じる光を視たのだ。
「あれは、まさしく主神様の光。だが、何故勇者の証を持たぬ者があの光を抱く?」
バルの問いに答えるものは、誰もいない。否、誰も答えることなど出来ない。
長きにわたり王国兵として、幾多の魔族を退けてきた男、バルドール・ハーゼン。
王国の剣であり盾である彼は、その正体を隠して生きてきた。
それは、王国の中でも王族など僅かの人間しか知らない、人類の希望であり唯一の光。
バルドールこそ、勇者の証を持つ最後の生き残りであった。
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