第7話 悪の華、赤く、苛烈に咲き誇る


「……え? なん、で」


 突然の衝撃。いや、実際の衝撃自体は、いまのこの体には無に等しい。だが、俺の頭を叩いた者の正体は、俺の脳をフリーズさせるに足る人物だった。


「頭を叩いてごめんね」


 凶悪な魔物の牙をも弾くこの体を叩いたのだ、その小さく白い手は赤く腫れていた。

 俺の頭を叩いた小さな手の持ち主。


 天使アンネは手の痛みを苦笑いで誤魔化しながら、俺の顔に自分の顔を近づけて微笑みを浮かべながら小さく呟いた。


「本当に、何時までたっても困ったイザーグ兄さんですね」


 その口から出てきた言葉は、更に衝撃的なものであった。


「ま、さか……ローザ? ローザ、なのか……?」

「はい。何故、と言われても私にもわかりませんが、どうやらあの日死んでしまったローザは、アンネという女の子に生まれ変わったようです」


 こんな事があって良いのだろうか。

 イザーグ・ドグルマンという男は、かつて戦争で両親を失い、妹のローザと共に世界を渡り歩いて生きていた。だが、そんな中でローザが流行り病にかかってしまい、その治療に必要な薬の素材を集めなければならなかった。

 だが、素材のひとつである【ユートピア・ツリーの実】は主に富裕層の美食の為に売買されているものであり、一般市民では手が出せない程に高いものであった。この辺りはオリンポス・サーガの中盤にあるグルメレース編でも出てくる。

 そんなユートピア・ツリーの実を買うために、イザーグは金になる仕事なら汚れ仕事であってもこなした。最愛の妹の為ならと、友人を手にかけたこともあった。


 そして、結果としてユートピア・ツリーの実は、手に入らなかった。


 実を譲る代わりに汚れ仕事をさせていたゴールドマンという悪徳大商人が、イザーグとの約束を反故にしたのだ。

 そうして直ぐに、ローザは無念の内に亡くなり、イザーグは《鬼》となった。

 精神に異常をきたしたイザーグは、周囲の動く人間すべてが憎しみの対象であるゴールドマンの顔に見え、無差別に手にかけ出したのだ。

 だが、不思議と魔族や魔物は区別が出来た。なので、自分が生きる世界は『ゴールドマン』がひとりも存在しない世界だと、魔王の下で人間の滅亡に手を貸し始めた……というのが、『オリンポス・サーガ アルティメットマニア』という公式攻略本に掲載されているイザーグの小説の内容だ。

 アルティメットマニアはその名の通り、かなりマニアックな部分まで攻略が載っている事は勿論の事、ゲーム本編に入らなかった設定資料や、シナリオライターが書いた公式スピンオフ小説などがふんだんに入っており、分厚さはもはや国語辞典である。


 そんな悲しい過去をもつイザーグは、フレイアの持つ勇者の光によって呪縛が解け、最後は人間として死んでいくというストーリーがあるのだが、そんなことは今はどうでもいい。


「アンネが、ローザの生まれかわり? だとすれば、それに手をかけたイザーグは……!」


 なんという数奇な運命か。

 もしもこの世界がオリンポス・サーガで、オリンポス・サーガがこの世界の鏡であるのなら、ゲームのイザーグは最愛の妹を、自らの手で殺した事になるのだ。


「あまり長い間話していると怪しまれるので、単刀直入に言うから聞いて。兄さん、今すぐに私を拐ってください」

「……は?」

「詳しいことは説明できませんが、私は生まれ変わると同時にとても大事な力を授かりました。その力が言っているのです。このままでは、世界は破滅してしまうと」

「……なにか判らないが、分かった」

「ついでに、ユピテル様も一緒にお願いします。彼女はもうひとつの鍵となります」

「毒を食らわば皿までだ。任せろ」


 正直、話の展開に頭がついてはこない。だが、俺のゲーマーとしての、オリンポス・サーガマニアの俺の勘が告げている。

 ここが、分水嶺だ。


 オリンポス・サーガの中にも、物語を大きく左右する行動の選択肢がいくつも存在する。選択肢次第では敵が味方になったり、逆に敵になったり死んでしまうことも多く、プレイヤーの選択次第でエンディングもかわるマルチエンディングシステムを採用している。

 恐らく、俺がここでアンネもといローザとユピテル様を拐うことは、大きな変化をもたらすことになるのだろう。


「少し荒くなるぞ。舌を噛むなよ」

「はいッ!」


 俺はアンネの腰に腕を回すと、そのまま肩に担ぎ上げた。そして、空いている方の腕でユピテル様を抱えると、そのまま村の出口に向かって走り始める。


「ま、待ちなさいッ! アンネとユピテル様を何処に連れていくつもりだッ!」

「黙れッ! こいつらは、俺が無事に逃げるための盾だッ!! 付いてくるのであれば、こいつらの命は保証せんッ!!」

「いったい、何があったというんだい!? さっきまでのあんたは、演技だったのかい!?」


 突然豹変した俺に、村の人たちはさぞ困惑しただろう。もしかすれば、下手な演技と見透かしている人もいるかもしれない。その証拠に、本来であれば真っ先に飛んでくるはずのバルじいさんは何処か胡散臭そうなものを見る目で静観している。

 まぁそりゃあそうだよな。先程まではできる限り見た目の怖さを感じさせないように、丁寧な言葉遣いと心配りをもって村人たちに接していた。それがいきなりこんな事を言っても、変な話だろう。


「ユピテル様……事情は後程に」

「あぁ、よいよい。どうせアンネの差し金じゃろう。薄々気がついておったよ。お主ほどではないが、神気を持っておったからのう」


 後は好きにしろと言わんばかりに、ユピテル様は俺の胸に後頭部を預けて目を瞑ってしまった。

 とりあえず、俺も詳しいことが聞きたい。村から出てしばらく走った場所で腰を落ち着けよう。そう思った矢先。俺は不意に首をグッと反らして天を仰いだ。

 それは、恐らくイザーグの持つ危機回避の力なのだろう。自分でも何故首を反らしたのかは判らなかったが、その正体は鋭い剣の一撃であった。


「アンネを、離せッ……!」

「フレイア……そうかッ!」


 フレイアが握っているのは、猟師である彼の父の剣だ。ゲーム内では初期装備であり、後半でも出番のある重要アイテムである。

 そして、それを握るフレイアの様子を見て、俺はアンネの狙いに気づいた。


「なるほど……確かに、そうだったな。俺が村を救うことで、フレイアが勇者として目覚めることが無くなる可能性があった」


 フレイアは元々は燃えるような赤い髪の持ち主だが。しかし、覚醒状態になると髪の色が赤から青、さらに白へと変化していく。いまのフレイアは若干紫がかった髪色であり、どうやらアンネを守らなくてはいけないという想いが、知らず知らずの内にフレイアを覚醒状態に近づけているようだった。

 

「なにをごちゃごちゃと言っているッ! やはり、お前は悪者だったのかッ!! ああああああぁああぁ!!」


 めちゃくちゃな太刀筋は、中身が素人の俺であっても見切れるものだった。だが、その一撃一撃はとてつもない速さであり、油断をすれば大ケガを負ってしまうだろう。


「待て、フレイア。そんなに滅茶苦茶に振り回すと、アンネに当たりかねんぞッ!」

「ならばッ! その手を離し、アンネを開放すればいいッ!!」

「くッ、頭に血が昇ってやがる。すまんが、ここでやられてやるわけにも、アンネを離してやる事もできなくて、なッ!!」

「なッ!? ぐぅッ!!」


 横凪ぎに俺の胴を狙う一撃を交わし、そのままフレイアの腹に前蹴りを食らわせる。多少手加減はしたが、それでもステータスの差が大きいためかフレイアの体は宙を舞う。


「アンネを救いたければ、追ってこい」

「ま、待てッ……うぅ」


 まるで悪役の様な台詞を吐くことになってしまったが、これも仕方のないことだろう。

 怒りで、というのが俺にとっては不本意ではあるが、フレイアが覚醒をして勇者にならなければ、魔王を倒す事はできないのだ。

 その為であれば、憎まれ役になってやるくらいはいいだろう。


 俺は力なく崩れ落ちるフレイアを尻目に、村を立ち去っていった。

 その時、偶然にもバルじいさんと視線があった。その目は、何処か温かさと寂しさを混ぜ合わせたような、複雑な深い蒼を湛えていた。

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