【61幕】教育は負の感情を植え付ける手法

「ヴァルよ! 正気に戻るんじゃ!」


 アルバートの叫び声は虚しく響くだけで、ヴァルには届いていない。ゼオンの前に立つのは、ただ静かに笑う男。ヴァルという男の身体に入り込んだ、異界の住人オルトロス。


「ヴァルだったか? やつの精神は、俺がご馳走になったぜ? もう、目覚めることは無いだろ。だが、やつの意志を、俺は受け止めたぞ。ガハハハ!」

「ヴァルを返さんかっ!!」


 長年、研究を共にしたヴァルを操るオルトロスへの怒りが、アルバートの悲痛な叫びから、ゼオンに痛いほど伝わる。


「こいつを倒せば、ヴァルを元に戻す手立てもあるだろ。こいつ独りなら余裕だ! 俺に任せろ!」

「ガハハハ! ヴァルの身体を傷つけるつもりか? それに、俺が一人だと誰が言った? 仲間はいるぞ!」


 ゼオンが飛びかかろうとしたとき、オルトロスとの間に割って入る者がいた。


「ダリア!」

「ダリアさん!!」


 その場に居た者が全員動きを停め、息を飲み込む。ゼオンの前に立っているのは、間違いなくダリアであった。ヴァル同様、異質な何かを纏いながらこちらを睨んでくる。


「ガハハハ! 目覚めたか、パイアよ?」

「うっさいバーカ! 耳元で叫ぶなっての。まだ、この身体に馴染んでないんだよ!」


 ゼオンは信じたくはなかったが、目の前にいるダリアもまた、幻獣族に身体を乗っ取られたと理解した。人質を取られた感覚に陥る。


「お前ら! ダリア達の身体で何をする気だ!」

「はぁ? うっさいバーカ! あたしらは、生きて行かなきゃならないんだよ! 人間だっけ? そうなると、この身体が生活には必要じゃない?」

「そういうことだ! 俺たちは仲間と、この世界で生きていきたい。ヴァルは、この世界で魔導医療に日の目を浴びせたい。どちらの望みも叶うってわけだ!」


 幻獣族の世界は消えたと聞いた。目の前の二人も、幻獣族の世界から、こちらに来たというのか。ただ、気になるのは、バハムートがこの二人のことを何も知らないという点。生きた時代が違うのか、住む世界が違うのか。いまは、確かめようが無い。


「落ち着きなさい、ゼオン! とりあえず場所を変えて! この二人は逃さないわよ!」


 ゼオンはノアの声を聞いて、落ち着きを取り戻した。いつもの通り、冷静に思考を張り巡らせ、空間に魔力を展開し転移する。



◇◇◇◇◇◇◇


「カリフとトラジェは結界を張りなさい! ゼオン! 好きなだけ暴れていいわよ!」

「おう! オルトロスの方は、俺に任せろ!」

「ぼ、僕がダリアさんの方ですか……?」

「え〜、多分……そうですね。迂闊に手を出せないですね……」


 任せろと言ったものの、ゼオンには策がなかった。それを、見透かしたように、オルトロス達が笑っている。


 ――ゼオン殿。奴らの実体を引きずり出せば良いのでは?


 バハムートが呼びかけてくる。ゼオンもそうするのが一番だと理解しているが、手段が分からない。ノアを見ると何やら考えこんでいる。


「ダリアの方は、何とかなるんじゃないかしら? あのパイアとか呼ばれたやつの魔力と、ダリアの魔力。まだ拮抗してるわ。何か、強い衝撃を与えれば……」

「苦手なもの。嫌な想い出。そんなものか?」

「そうね……。心刻まれた、負のイメージがいいかしら」

「なら、最適解があるぞ! アレイオーン! を呼んで来い!」


 ダリアの心に刻まれた負のイメージ。これを呼び起こすには、ダリアを育てた者が適任だとゼオンは考えた。優しくもあるが、厳しくダリアに教育を施した者。ゼオンも一目置いた男の存在。


 ――ゼオン殿! 連れて参りましたぞ!


 アレイオーンの返事は、ものの数分で訪れた。帰還と同時に、独りの男の姿が現れる。


「久しぶりだな、セバスチャン!」

「これはこれは。ゼオン殿、お久しぶりでございますな。はてさて、私はなぜここに……」

「あれを見てくれ」


 ゼオンはダリアを指差し、要点だけをセバスチャンに伝えた。仕える相手が傷付けられたと感じたのか、その拳は強く握り締められているのをゼオンは見逃さない。セバスチャンの本気が見られるかもしれない。


「私の主人に対する無礼……万死に値しますぞ……」


 静かにだが怒気を放つセバスチャンに、一瞬、ダリアの魔力が揺れるのをゼオンは感じていた。ノアを見ると、静かに頷いている。上手くいけば、ダリアとパイアを分離できるのかもしれない。ゼオンは、セバスチャンに頼んだと、小さく声をかけた。


 


 

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