06話.[味わっておこう]
「あっさり終わっちまいましたよ、お兄さん」
「お疲れ様」
ずっと百パーセント完璧にできている人間なんてありえない。
ときには他のことに意識を向けていて適当になってしまったこともあるだろう。
それでも、頑張っていた時間が少ないというわけではない。
いや、それどころかそっちの方が多いのかもしれない。
「……お兄ちゃん」
「よしよし」
熱量の差があるとはいえ二年間半、それに時間を使ったんだ。
それならこういう反応になっても仕方がないことだと思う。
すぐに「シャワーを浴びてくる」と出ていった彼女だけど、戻ってきてもずっとこっちにくっついたままだった。
「……いまさらになってもっとやっておけばよかったって後悔したんだ」
そんなものだ、そういうことには終わってからしか気づけない。
また、仮に気づいていたとしても意識を変えるのはそのときだけだ。
続けている内にどうしても緩くなってきてしまう。
自分に厳しく居続けることはそう簡単なことじゃない。
あと、自分には甘いのに他人に厳しい人間になってしまったら最悪だと言える。
「……でもね、一番悲しかったのはほっとしてしまったことなんだよ。普通に怒られることはあって、辛いことも多かったのは確かだけど、終わった瞬間にそう感じてしまうのはよくないなって……」
走ることでなら他の子と同等レベルでできるなんて理由で入部し、すぐに現実を知ることになり、最後の大会が終わったときにはガッツポーズをした僕には突き刺さる言葉だった。
いいんだ、大変なのは確かだ、そのために時間を使ったことで他に使えなくなったことは現実のことなんだ。
それが終わってほっとしてしまったぐらいでなんだというのか。
そんなの気にしなくていい。
「深鈴、かき氷でも食べに行こう」
「え、急にどうして?」
「深鈴の体温が高いからふとそう思ったんだ」
数秒が経過してから彼女は頷いてくれたので、手を握って家から連れ出した。
いまは部屋とかで休むよりも動いていた方がいい。
きっと悪く考えすぎてしまうから絶対にその方がいい。
そもそも彼女は俊介君と同じで動いている方が好きだからだ。
「はい」
「ありがとう」
適当に注文を済ませて食べてもらうことにした。
こういうときにいちいち何味がいい? なんて聞く必要はない。
せっかく美味しい食べ物があるんだからそれを味わっておけばいいんだ。
「深鈴、僕は最後の大会が終わった瞬間に開放感からガッツポーズをしたぐらいだ、だからそんなの全く気にする必要はないよ」
なんにも力にならないフォローだった。
というか、後で言うのならともかくとして、それで傷ついている存在に言うには最低レベルのものかもしれない。
でも、言いたくなったんだから仕方がない。
全ては勉強もやりつつそこそこを求めてくる部活制度に文句を言ってほしかった。
土曜日とかも半日は必ず犠牲にさせておきながら偉そうに言うなよと文句も言いたくなる。
しかもほとんどの県で中学校は部活強制なんだから恐ろしい。
「あははっ、なにそのドヤ顔っ」
「これぐらいでいいんだよ、深鈴はこれまで文句も言わずによく頑張ったよ」
こんなときだというのに髪の毛がさらさらだなーとかって感想が出てしまうのも最低だ。
まあでも、僕という人間はずっとこんな感じだから諦めてもらうしかない。
なんて最低な開き直りをしつつ、冷たくて甘い氷をしゃくしゃく食べていた。
「よし、暑いから帰ろう!」
「えー、お兄ちゃんが無理やり連れて行ったのに」
「語弊がある、深鈴はちゃんと頷いてくれたんだからね」
お風呂にも入ったわけなんだから汗をかきたくはないだろう。
いまさっきみたいに笑えるなら大丈夫だ、後はゆっくりさせておくだけでいい。
ここでいっぱい一緒にいようとするのは逆効果だ。
完全に消えたわけではないからひとりの時間も絶対に必要なんだ。
僕は美味しいご飯を作ることだけに集中しておけばよかった。
僕の言葉なんかよりもよっぽど力になってくれるからね。
「「ただいま」」
客間で休みたいということで彼女はすぐに消えた。
なるべく近くにいないよう、僕は部屋に戻ってベッドに転ぶ。
そうしたら自然と妹の兄が俊介君だったら~とか意味のないことを考えてしまう。
あれでよかったんだろうか?
あれならまだなにも言わなかった方がよかったかもしれない。
「もしもし?」
「あ、いま大丈夫?」
「ああ、寝転んでいただけだからな」
先程あったことを説明すると「余計なことを考えすぎだ」と言われてしまった。
「お兄ちゃんでいるのは難しいよ」
「多分、俺の姉ちゃんはそんなこと考えたことはないだろうな」
「だって、弟が君なんだからね」
「いや、そもそも人間性的にってやつだ」
そんなの本人じゃないから分からないままだ。
もしかしたらかなり悩んでいるかもしれない。
職場では「聞いておくれよ~」と相談を持ちかけているかもしれない。
家族であっても所詮はそんな感じだから、相手が友達とかになればそりゃ大変だなってよく分かる。
「あんまり考えすぎるなよ、それこそ深鈴がどう感じたかなんて分からないだろ」
「うん、聞いてくれてありがとう」
「気にするな、じゃあな」
スマホを置いてお昼寝をすることにした。
起きたらお買い物にでも行ってご飯を作ってあげようと決めた。
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん! プールっていつ行くの!」
あれから一週間が経過したわけだけど、今度はずっとこの調子だった。
正直、もう少しぐらいは落ち着いてほしいと思う。
焦ったところで夏休みに行くということは変わらないからだ。
それにもう十九日で夏休みもすぐにくるんだから心配する必要はない。
「もうちょっと待っててね」
「むぅ、こうなったらお風呂で着ちゃうんだから!」
それで発散できるならそうしてくれればよかった。
僕が入っているときに妹も突入するとかベタなことも起こらず平和に終わる。
「じゃーん!」
「……お風呂で着るんじゃなかったの?」
「やっぱり誰かに見てもらいたくてね!」
んー、ザ、健康といった感じ。
驚いたのはうっすら腹筋が割れているところが見えていることだ。
試しに自分のお腹を掴んでみたら悲しくなった。
やっぱり走っていたときと違って運動不足なのは否めないなあ……。
「可愛いね、ぎりぎりを攻めているというわけではないから安心できるよ」
「ぎりぎり? 全部こんな感じじゃない?」
「そうだね」
あそこのお店に並んでいたやつは確かにそうだった。
でも、世の中には知らなくていいこともあるんだ。
一般人であれば余程勝負を仕掛けない限りは着ることもないと思う。
そして、そういうのとは縁がない存在でいてほしかった。
「ほらっ、跳ねても大丈夫だよ!」
「……あんまり飛ばない方がいいよ、深鈴の体重が軽くても二階の床だからね」
なんというか健全じゃなくなるような気がして止めるしかなかった。
幸い、こういうときに揶揄してくる子ではないからすぐにやめてくれた。
無邪気なのは結構だけど、もう少し気をつけてほしい。
質が悪いのはこれを無自覚でやることだった。
いやそりゃ、世の中には気になる異性を振り向かせるために計算してやる人もいるものの、彼女の場合は百パーセント違うから。
後で恥ずかしい気持ちにならないようにやっぱり止めてあげるしかない。
いや、正直に言うと……結構やばいからやめてほしいというのが本音だった。
「ふぅ、満足できたから着替えてくるね!」
「うん」
……間違っても実の妹に欲情するようなことが起こらないようにしないとね。
こういうときに非モテというのは悪く影響する。
なんで僕は俊介君みたいにいられないんだろうか……って、当たり前だけどさ。
「ただいまー!」
「おかえり」
正直、露出が多くなくても普通の服を着ているだけで十分可愛いと言える。
今回はプールで楽しむためだからとやかく言わないけど、これから服装が変わっていったらちゃんと言おうと決める。
化粧とかもそうだ、しなくても十分可愛いんだからする必要はない。
ただまあ、本人がしたいと言うなら結局黙っていることしかできないけども。
「って、ちょっとあれかな? 先週まであんなに暗かったのに薄情というか……」
「気にしなくていいよ、切り替えていかなければならないからね」
「うん……、なんか暗い自分は自分にもやもやするから続けたくなかったんだ」
「うん、僕も明るい深鈴の方が好きだよ」
装っているだけじゃないなら全く問題ない。
これもまた最低な発言だけど、結局少し時間が経てば誰でも他に意識が向くから大丈夫だ。
人は同じことで延々と悩んだりはしない。
完璧ではいられないと分かっているから妥協して片付けて前へ進むんだ。
「……お兄ちゃんってさ、なんかときどき大胆だよね」
「うん? あ、だって本当のことだから」
「なんでも……言えちゃうんだ」
「んー、なんでもというわけじゃないけどね」
流石の僕でも隠したくなることというのもある。
実はお買い物に行った際にひとりだけアイスを食べてしまった~とかそういうの。
あ、いや、いつもというわけじゃないからね? と、意味なく内で言い訳をする。
どうしようもなく疲れた日とかには甘いものが必要なんだよ……。
「……柔らかい笑みを浮かべながら言われるとドキッとしちゃうよ」
「はははっ、だけど僕は俊介君とかみたいに格好いい存在ではないからね」
まさかそんなことを言われるとは思わなかった。
あくまで感じたことを言っているだけだったから余計に。
ただ、こんなの彼女ぐらいにしか言えないからいいのか悪いのか、それが分からないかな。
だって彼女は血の繋がった妹なんだから……。
「そ、そんなの関係ないっ」
「ちょちょちょっ、落ち着いてっ」
関係ないということはないだろう。
どうしたって中身だけではなく外見とかだって意識するものだ。
いや、僕の場合は中身だって中途半端だから余計にそう考えてしまうんだ。
比べたところで大きな差に気づいて虚しくなるだけなのに繰り返してしまう。
もしかしたら僕みたいな人間こそMなのかもしれなかった。
「……私は一度もそんな風に思ったことはないよ」
「あ、ありがとう」
妹だからこんな兄にも優しい、というだけではない気がした。
これはもしかしたら、……結構大変なことになるかもしれない。
もちろん、僕の考えすぎとかそういう程度で済むのが一番だ。
それで笑われても構わないぐらいだけど……。
「あっ、へ、部屋に戻るねっ」
「うん」
……一番問題なのはそれよりも自分自身だった。
だからどうかそういうことになりませんようにと願うことしかできなかった。
終業式もHRも終わった。
これで数日を除いて長いお休みが始まる。
「悠木、今日は飯を食っていこうぜ」
「なにが食べたいの?」
「そうだな……たまには昼からがっつりいくか」
となると、ステーキとかそういう料理をお昼から食べてしまえるということか。
多少は高いけどたまには悪くない。
どうせ妹もまだ帰ってこないから焦る必要もなかった。
「それと明日から毎日家に行くぞ」
「うん、どんどん来てよ」
昨年までと違う点は妹の部活が終わったということだ。
つまり、遊びに行かない限りはほぼ毎日一緒にいられるということだから嬉しい。
あとは俊介君も来てくれるみたいだから去年までとは違うことがよく分かる。
「いらっしゃいませ」
案内された席に座ってメニューを見る。
本格的なお肉料理専門店というわけではないからそこまで重く考える必要はない。
そもそもの話、あまり食べられないからこれぐらいの緩い感じでいいんだ。
関係ないけど今度妹と一緒に回転寿司にでも行こうと決めた。
「俺はこれだな」
こういうときにまとめてスムーズに注文してくれる彼が頼もしかった。
女の子的にはこういうところも高評価だと思う。
が、彼が女の子と一緒にいるところを見られたのはあの子といたときだけなので、なんとなく違和感しかなかった。
妹を狙っているような感じでもない。
「ん? なんだ?」
「あ、俊介君って格好いいのに女の子といないのはなんでなの?」
「別にいなければならないというルールはないだろ」
「そうだけどさ、どうせあの子とだってもう会っていないんでしょ?」
「だな、時間帯も合わないしな」
期末考査が終わってからはずっと半日で終わっていたから確かにそうだ。
それなのに会えていたら色々な意味で不安になってしまう。
僕の中で勝手にそんなことはしないという偏見ができあがってしまっているため、これからもあの丁寧で礼儀正しいままでいてほしかった。
「それに格好いいって言うけどさ、それは漠然としすぎだろ」
「全体的に格好いいよ? なにより優しいから女の子的にはかなりいい存在かな」
なにも勝てていなくても嫌な気持ちにはならない存在だ。
格好つけているわけでも、自分の武器を利用して悪く言ってくるわけでもないから一緒にいて安心できるんだ。
自分をよく見てもらうために相手を下げる人だってこの世にはいるんだ、だからどうしてもそういう人達と比べていい存在だと考えてしまうんだ。
「優しいねえ、でも、優しくてもモテない悠木がそれだけでは足りないと証明しているだろ」
だから優しいだけなんて言っていないだろう。
それにわざわざモテないとか遠回しに言わなくても自分がそれを一番知っている。
また、ナイフぐらい切れ味のいい言葉だから言い訳をすることもできない。
「君や深鈴以外には優しくしようとしてもその機会がないからね」
「よく手伝っているのにか?」
「女の子だけにしているわけじゃないよ?」
「そんなの知ってるよ、一緒にいてもそういうのを見つける度にすぐに行っちまうからな」
見返りがほしくてそんなことを繰り返しているわけではない、けど、ありがとうと言ってもらえるのが嬉しくてしているのはそこに繋がってしまうのだろうか?
いやでも、いらなければいらないとみんなちゃんと断ってくれるし、じゃあって頼んでくれるから一方的ではないし――多分、大丈夫だと思いたい。
いいとこだけ取りみたいなことはしたくないから本当に大変そうなときだけ限定にして近づいているわけだからね。
「まあいい、運ばれてきたから食べるか」
「そうだね」
ぎこぎこと切って食べてみたら凄く美味しかった。
でも、ここに妹がいてくれたらもっといいなってそんな風に感じた。
ふたりで楽しそうに話しているところをずっと見ていたい。
僕はそれを見て楽しみつつ、美味しいご飯を味わうんだ。
「いま『ここに深鈴がいてくれたらいいのに』なんて考えているだろ」
「よ、よく分かったね」
そんなに顔とか仕草に出やすいのだろうか?
露骨に手を止めたりとかしていなかったのにすごいな。
「悪かったな、野郎の俺しかいなくて」
「違うよ、ふたりが楽しそうに話しているところを見たかったんだ」
僕のことなんか放置でもいいから盛り上がってほしかった。
あ、もちろん最低限のマナーは守ってもらうけど。
騒がしくしすぎたら他のお客さんに迷惑がかかってしまうからそこそこ程度で盛り上がってほしかった。
そうしてくれたら料金を代わりに払ってもいいぐらいだ。
「適当にしたくなんかないからさ、俊介君といるなら俊介君とだけでいいかな」
「矛盾しているだろ」
「矛盾してないよ、だって集まった場合にはこっちのことなんか放置してくれればいいわけだしね」
ちょっと歪んだ楽しみかたかもしれないけど、実際にそれで楽しめてしまうんだから仕方がないと片付けてもらうしかない。
別に恋をしてほしいとかそういうことではなくて、現時点ではもうただ仲良くしてくれているだけで十分だった。
というか、そうやって時間を増やした先にそういうことがあるんだからね。
「だから今度集まったらお願いね」
「ま、深鈴はお喋りが好きだからな」
お礼を言って食べることに集中する。
……地味にお高いからしっかり味わっておこうと決めたのだった。
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