第21話

「警戒態勢をまだ解くな、と?」


 ミリアさんの鋭い眼光が僕を射貫く。

 あれから僕は部隊のリーダーであるミリアさんに時間を取ってもらい、進言という形で話を持ち掛けた。他の人にあまりもらしたくない内容だったから、詰所の空いている会議室を借りている形だ。


「いえ。そうは言いませんが、警戒を解くのはまだ早いのではないかと」


「同じ事だろう」


 ラウフさんを助けたときにクオンから伝えられた警告――いずれ本格的な進撃がある――は一応上申してある。もちろんその時はクオンの正体も敵か味方かもわからなかったので、あくまでもその可能性が考えられるという程度でミリアさんへ伝えた。『正体不明の人物から得た情報』では当然一蹴されるだろうから、僕自身の考えという形だけど。


 ミリアさんから上層部へ進言してもらった結果、しばらくは警戒を密にするということで偵察部隊の数や頻度が強化されている。しかし今日、僕がミリアさんへ話があると持ち掛けたところ、逆に「明日で警戒レベルを通常に引き下げる」と伝えられたわけだ。


 クオンの言っていたことが本当ならば、十日以内に敵がやってくる。それも序列三位という化け物付きでだ。なんにせよ今警戒を解くのはまずい。


「だがいつまでも無理な警戒態勢を続けるわけにもいかない。人員には限りがあるし休息も必要だ。非常時でもないのに今の態勢は続けられん。信用に足る情報源や明確な根拠があるのならともかく、可能性だけでいつまでも偵察の頻度を増やせるわけがないだろう」


 ミリアさんの言うことはもっともだ。

 情報の提供元は天魔を名乗る正体不明の人物。当然それを公にできない以上は、どこまでいっても僕個人の懸念としか思われない。

 僕が作戦会議に出席できるほどの地位にあるならともかく、ただの一天則式者が声を上げたところで耳を傾けてはくれないだろう。「これは決定事項だ」と言われれば引き下がらざるを得ず、結局翌日に警戒態勢は解かれることとなった。







 警戒態勢が解かれた日、僕はよっぽど浮かない顔をしていたのだろう。黙って食事をとる僕に、サーラが心配そうな視線を向けてきた。


「お兄ちゃん、どうしたの? 顔色悪いよ?」


「……いや、何もないよ」


 正確には『今はまだ』何もない。僕が懸念しているのはこれから起こるかもしれないことだった。だけどそれはどこまでも可能性の話であって、ミリアさんやその先の上層部を説得するだけの材料を僕は持っていない。


 起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。クオンのもたらした情報は砂金に等しい価値のある情報かもしれないし、ただの偽情報かもしれない。


 たとえ前線都市が大きな危険にさらされるかもしれないと主張したところで、情報源も根拠も示せない僕には可能性以上のものは何ひとつ差し出せないのだ。


「なあに? まさかとは思うけど一昨日の酒がまだ残ってるとか言うんじゃないでしょうね? いくらお酒に弱いといってもさすがに引きずりすぎでしょ」


 下戸げこの僕は一昨日ラウフさんとの酒宴で、たった三杯の薄い果実酒を飲んだだけで潰れてしまった。僕自身は記憶がないので不本意なこと極まりないんだけど、これ幸いとばかりにテミスはそれをからかってくる。


「別にアルコールが残ってるわけじゃない。いい加減その話やめないか?」


「あら。それじゃあまるで私たちがいじめてるみたいじゃない。あの日ノアを宿舎につれて帰るのは大変だったのよ? 酔い潰れてた貴方にはわからないでしょうけど」


 そりゃわからないよ。記憶がないんだから。


 テミスも本気で責めているわけじゃないんだろうけど、自分が知らないところで醜態をさらすというのはどうにもばつが悪い。僕にとっては別世界で起きた出来事みたいなものだ。自分の事であって自分の事じゃない、というのが正直なところだった。


 クスクスと笑うテミスにサーラが同意する。


「そうだよ、大変だったんだから」


 テーブルに身を乗り出してサーラは自らの手柄を主張した。


「話しかけてもああとかうんとか適当な返事しかしてくれないし、ちょっと目を離したら眠ってるし、テミスたちに協力してもらってなんとか部屋まで連れて行ったんだよ。頑張ってお世話した妹にもっと感謝してくれても良いんだからね?」


「元はといえばサーラがノアにお酒を飲ませるからでしょうが」


 褒めて褒めてと顔に書いてあるわかりやすいサーラへ、横からテミスが容赦ないつっこみを入れる。


「う……、だってあれくらいならお兄ちゃんでも大丈夫だと思ったから……」


「ノアのアルコール耐性を甘く見すぎでしょ。何年妹やってるのよ」


「お兄ちゃんはお酒になんか負けないもん」


 どこか不満そうな表情で反論するサーラ。


「どこからその根拠のない自信はやってくるのよ。このブラコン」


「ブ、ブラコンちゃうもん! わたしはお兄ちゃんがすごいってことを知ってるだけだもん! だからお酒くらいすぐに飲めるようになるもん!」


「だからなんなのよその謎論理……。貴方がブラコンじゃなかったら、この世のブラコンは大半がブラコンじゃなくなるわ」


 呆れ顔のテミスとムキになったサーラの応酬はその後も食事を終えるまで続いた。


 いつも通りの和やかなやり取りにちょっとだけ笑みが浮かぶ。平和――とは言い難いけどこんな風に賑やかな日常がいつまでも続けば良いのにと思ってしまう。


 もちろんそれは単なる僕の願望だ。ちっぽけな人間の願いなんてお構いなしに世界は回り続ける。人には人の、天魔には天魔の思惑があり、その結果もたらされるのは両者の軋轢あつれき。双方共に退くつもりのない状況において、遅かれ早かれ決定的な衝突は避けられない。

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