第20話

 とりあえず起こしに来ただけというサーラに礼を言うと、着替えるからと部屋を追い出す。その足音が遠ざかっていったのを待っていたかのように、消えたとき同様、突然クオンが姿を現した。


「おわっ!」


 びっくりさせないでくれよ。


「失礼いたしました。それがしの姿を見られては余計な騒動になると思いましたゆえ、消えておりました」


 平然とそう告げるクオンとは反対に、僕の思考はかき乱される。彼女が見せた姿隠しという技は天則式でどうこうなるようなものじゃない。期せずしてクオンが人間ではないという証明にも等しかった。


「天魔の技なのかな?」


「いいえ、それがしだけの特殊な力にございます。天魔だからといって皆が皆同じ事ができるわけではありませぬ」


「それはなにより……」


 姿を隠して行動できるなんて、人類からすれば恐怖以外のなにものでもない。天魔全てが同じ事をできるのなら、前線都市でその攻勢を押し止めるなんてのは机上の空論になってしまう。姿を隠せるなら前線都市を無視して人類領域の奥深くまで忍び込めば良いのだから。


「ああ、立ったままで良いよ。なんだったらそこのイスに座ってもらっても良いし」


 改めて跪こうとするクオンを押し止める。膝が痛いだろうし、話をするだけならわざわざ跪く必要なんてない。


「ご配慮感謝いたします。ですが立ったままで結構です」


「そう? まあ無理にとは言わないけど」


 座りたくないなら好きにすれば良いさ。


「それはそうと、さっき僕のことを天魔王とかなんとか……聞こえたような気がしたんだけど、何かの聞き間違いだよね?」


「いえ、上様が身共の主であることは間違いありませぬ。天魔王という名称は人間共が勝手にそう呼んでいるだけのこと。それがしにとってヴァルナ様はヴァルナ様です。ただ人間として生まれ育った今の上様には天魔王と申し上げた方がわかりやすいかと愚考したまでのことです」


「えーと、正直に言って良い?」


「なんなりと」


「信じられない」


 それは飾り立てることのない僕の本心だ。いきなり『あなたは天魔王の生まれ変わりです』とか言われても、ハイそうですかと受け入れられる人間の方が少ないだろう。僕としてはいまだに何かの冗談じゃないかとさえ思っている。


「それは無理もないことかと存じます。しかしながら実際に力が衰えているのは自覚なさっているご様子。先ほどもご説明したとおり、管理者としての力は人間の不安や恐怖を糧として強くなりますが、逆を言えば人間が歓喜や希望を抱けば抱くほど弱くなってしまいます。今や人間にとって最大の脅威となった天魔を倒せば倒すほど、ヴァルナ様のお力は減じましょう」


「……」


 言葉に詰まる。


 クオンの言葉を否定できなかった。確かに僕は年々弱くなっている。でも今クオンの話を聞いた上で思い返してみると、いくつか思い当たることがある。


 弱くなると言ってもその頻度や程度は常に一定じゃなかった。天魔の序列一位である絶元のイスタークを倒した時が良い例だ。力が抜け出ていく感覚は倒した直後ではなく、それが人々に伝わったタイミングだったように思う。


 そして必ずしも強い天魔を倒せば弱体化するわけでもない。この前のように人知れず天魔を倒した時はそれが強い天魔であっても僕の力に変化はなかった。その一方で弱い天魔と倒した時でも力が抜けていく感覚を覚えたことはある。考えてみれば、大勢の人を救うために戦ったときほど弱体化が起こっていたようにも思えた。


『人々の不安や恐怖が薄れることで管理者の力は弱くなっていく』


 僕の身に起こったことはクオンの話を裏付けることになるだろう。


「全ての天魔が人間の脅威となるわけではございませぬ。中にはそれがし同様、上様のご意向を胸に慎ましく生きる者もいます。しかし上様亡き後、それまで抑圧されていた大部分の天魔たちはタガが外れてしまいました。単なる憂さ晴らし、人間への復讐、種族としての危機感――動機は様々ですが人間の領域へ侵攻する天魔を止められる者はもはやおりませぬ」


 彼女の話が本当の事なら、人類はその脅威を自ら解き放ったことになる。天魔の暴走を止められる唯一の存在であった天魔王はもういない


 クオンはおそらく天魔全体のことなどどうでも良いのだろう。彼女が気にしているのはただ一点、天魔王の生まれ変わりだという僕のことだ。


「あなたは僕に……これ以上勝つなとでも言いたいのかな?」


「これ以上お力を失えばやがて上級の天魔にすら及ばなくなりましょう」


 クオンは肯定も否定もしない。


「どうか戦いの矢面に立つことはお控えください。いずれ人間が追い詰められればそのお力も元に戻ります。それまでは無理なさらぬよう御自重いただきたく――」


「という方便で僕を戦力外にするための計略、ってこともありえるよね?」


「……それがしからは、信じていただきたいとしか申し上げられませぬ」


 やめてよ。そう悲しそうな目をされるとまるで僕が悪いみたいじゃないか。


「では、計略ついでに天魔たちの動きについてお伝えいたします」


 僕の罪悪感を針の先でつつくようにチクリと刺激した後、クオンは表情を元に戻して話を続けた。


「敵の大将は序列三位の天魔【紫炎しえんのマドリック】、天魔の総数は最低でも五百を超えます。既に敵は動きはじめておりますゆえ、十日と経たずにこの都市まで攻め込んで参りましょう」


「序列三位……」


 またずいぶんと上位のが出てきたもんだ。序列一位だったイスタークに比べれば格は落ちるかもしれないが、人類にとって災厄クラスの化け物であることは間違いない。


「今のヴァルナ様であれば勝てる相手でしょう。しかしながら勝てば確実にお力は弱くなります。ここは前線都市を明け渡し、御身を第一にお考えください。それがしから申し上げることは他にございませぬ。それではこれにて」


 言うべきことだけは言ったとばかりに立ち上がると、クオンは優美な一礼を見せて姿を消した。見えなくなっただけなのか、それとも扉や窓も開けずにこの場を立ち去ることができるのかはわからない。


 僕は大きなため息をついて片手で自分の赤髪をぐしゃぐしゃとかき回し、クオンから聞いた話を反芻する。だけどいつまでもこうしているわけにもいかない。クオンの話が本当か嘘かはわからないけど、敵の襲撃が近いという情報は無視できなかった。


 腰掛けていたベッドから立ち上がると、僕は簡単に身だしなみを整えて部屋を後にした。


 とりあえず食堂に行って朝食をとろう。早く行かないとしびれを切らしたサーラがまた部屋に突撃してきそうだ。食事をとったらミリアさんに時間を取ってもらって話をしなくちゃ。


 さて……、どうやって話したもんかな。

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