第19話
僕は驚きを隠しきれず目を丸くする。
「やはり……」
そんな僕を見てクオンは予想通りといった反応を見せた。
どういうことだ? どうしてそれを彼女が知っている? 年々自分が弱くなっている自覚はあるけど、それを誰かにこぼしたことは一度もない。サーラだって知らないはずだ。
どう反応すれば良いか分からず、固まってしまった僕へクオンはなおも続ける。
「この世界は非常に脆弱です」
唐突に変わる話。僕はその変化についていけずにいた。
「常に均衡を保たねばまたたく間に崩れてしまう薄氷の上に築かれた世界です。そのためこの世界全体を管理する存在が必要でした。ひとつの世界をひとりの管理者が受け持ち、その力をもって世界を安定させる役割を担います。しかしあまりに強過ぎる管理者の力は世界に対して必要以上の干渉をもたらすことにつながりかねませぬ。そのため管理者の力はそこに住む人々が置かれた状況にあわせて変わります。管理者は人々が歓喜と希望にあふれ、文明が順調に発展している時はその力を失い、逆に人々が困難に直面して不安と恐怖に包まれたときはその難局を打開するため大きな力を得ます」
そこまで一気に語ると、クオンは僕に視線で伺いを立てる。
「続けて」
いろいろ気になることは多すぎるけど、まずは彼女の話を最後まで聞くことにした。短く促すとクオンは「はい」と答えて続きを語る。
「この世界はとても危うい均衡の上になんとか成り立っています。何らかの理由で均衡が崩れれば、それは天変地異や疫病のような形で世界を覆うのです。影響は人間や動物の存在自体にも変化を強い、その結果として異形が生み出されました。それがしを含めた天魔もそうして産み落とされた望まれぬ存在です」
天魔が生まれた理由――か。考えたこともなかったな。
「天変地異に戦争、疫病、飢餓、そして天魔。それらによってもたらされる不安と恐怖は管理者に力を与えます。そうして得た力によって管理者は世界の綻びを修復し、世界が元の平穏を取り戻すことで人々の不安や恐怖も次第に落ち着いて行きます。結果として管理者は力を失いながらも世界は均衡を保つことができるのです。この世界はそれを何度も繰り返してきました」
何度も繰り返してきた?
今人類が天魔の脅威に怯えているのは、その繰り返しの一端でしかないとでも?
「しかし管理者が均衡を保とうとする行為は、時として人間に望ましくない結果を招くこともあります。世界に破滅をもたらしかねない発明や思想は事前に摘み取らねばなりませぬし、人間が踏み込んではならぬ地へ足を向けたならばそれを追い返さねばなりませぬ。それでも世界の均衡を崩す道を進み、意志を変えぬ人間には鉄槌を下さざるを得ぬこともあるでしょう。管理者と世界にとってはやむを得ぬ行為ですが、世界の均衡など知らず、ただひたすらに繁栄を極めようと突き進む人間にとっては都合の悪い存在でしかありませぬ」
確かにそうだろう。
クオンの話が本当ならば、時として人類が望む栄華を管理者という存在は刈り取って来たことになる。事情を知らなければ人類の目には敵として映ってもおかしくない。
「自分たちや世界が管理者に庇護されていることなど気付きもせず、人間は自分たちの不幸や苦難を全て管理者のせいだと決めつけるようになりました。そうして管理者は人間たちからこう呼ばれるようになったのです。――天魔王と」
…………。
何を馬鹿なことを、と単純に一蹴する事もできない。
人間はいつだって主観的にものを見る。自分たちに都合の悪い存在を『絶対的な悪』と決めつけるというのは、不思議でもなんでもないことだ。
「だけど天魔が人類に害を及ぼしているのは間違いない話だろう。天魔の頂点に立つ天魔王を人類が敵視するのは当然じゃないのか?」
「天魔王が健在の時代、知性を持った上位の天魔はむやみに人間へ手を出していないはずです。天魔王はそのようなことをお許しになりませぬゆえ。確かに手段が強引だったのは間違いありませぬが、あくまでもその目的は支配。人間が勝手な事をして世界の均衡を崩さぬよう監視下に置くためのものです。天魔が人間へ容赦なく牙をむくようになったのは天魔王亡き後だということを、人間は気付いてすらいないのでしょうが」
言葉にすれば皮肉にしか聞こえないが、クオンは表情を変えるわけでもなく淡々とそう言い放った。
「ご存知の通り、天魔王と呼ばれていた管理者は人間によって討ち取られました。世界は管理者を失い、この先は滅びへの道を突き進むばかりでしょう。しかし管理者は身共や人間のような儚き生き物とは違い、その魂は肉体が滅んだとしても霧散することはございませぬ。管理者という強靱な肉体は失っても、その魂だけは新たな生を得ました。それが上様です。天魔王――いえ、我が敬愛する主、ヴァルナ様」
「はあっ!?」
何を言っているんだこの女は!? 僕が天魔王!? 冗談にしても質が悪い!
僕がすっとんきょうな声を上げたタイミングで、部屋の外から人の足跡が聞こえてきた。廊下を歩いているであろうその人物はこちらへと近づいて、僕の部屋の前で止まった。
ノックもなくガチャリとドアが開かれる。
あ、まずい。
どうしよう。この状況をどう説明すれば……?
焦った僕の前からクオンの姿が一瞬にして消えた。
「え?」
まるで最初から誰もいなかったかのように、先ほどまでクオンが跪いていた床面が見える。
なんだ? 何をした?
「お兄ちゃん、おはよう! …………あれ? もう起きてたの?」
僕の動揺など知るわけもなく、当たり前のように部屋へ侵入してきたサーラが意外そうな顔をした。
「サーラ。何度も言うけど入る前にノックはしようね」
「なんかお兄ちゃんじゃない匂いがする」
僕の苦言をスルーしてサーラが部屋の中を見回した。
こら、くんかくんかと匂いを嗅いで回るんじゃない。犬じゃないんだから。
「……女の人の匂い。それも相当な美人」
何やら確信めいた口調で言い切ったサーラが僕にジト目を向けてきた。
いや、性別はともかくとして、どうして匂いだけで美人だと断言できるんだよ。時々僕はサーラのことがよくわからなくなる。普通じゃないということは嫌というほど知っているけど、この妹は時々僕の想像を斜め上に突っ走ってくれるのが困ったものである。
「誰?」
「今起きたばかりの僕にそんな事言われてもわかるわけないだろ。それより昨日酒場からの記憶がないんだけど、なんで僕は自分の部屋で寝てたんだ?」
「お兄ちゃん途中でお酒飲んで寝ちゃったんだけど、憶えてないの?」
「お酒? ああ……あれは酔ってたのか……」
それでようやく納得した。酒場で妙に良い気分になったのもお酒のせいか。
サーラが言うにはテミスともうひとり男の戦士に手伝ってもらって僕を部屋まで連れてきてくれたらしい。テミスたちには迷惑かけちゃったな。あとでお礼言っておかないと。
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