第18話
目が覚めると僕のとなりに美女が添い寝していた。
うん。何を言っているのか自分でもよくわからないけど、見たまんまを言葉にするとそうなるんだ。
確か昨日はラウフさんの奢りで酒場を貸し切り、部隊の全員で飲んでいたはず。ラウフさんやサーラ、テミスと同じテーブルで話をしながら食事して……あれ? どうしたんだっけ?
視線だけを動かして周囲を見れば、どうやらここが僕の部屋らしいということはわかった。でもおかしいな。帰ってきた記憶がないんだけど……。
「おはようございます」
何より顔が触れ合いそうなほどの至近距離から朝の挨拶をしてくる美女の存在が僕の混乱に拍車をかけていた。男性宿舎の一室である僕の部屋でベッドの中に女性が入り込んでいるというのはどう考えてもおかしい。人騒がせなうちの妹ですらさすがにしないぞ、こんなこと。
「えーと、ここは僕の部屋だよね?」
「はい」
我ながら馬鹿な問いかけだなと思いながらも確認すると、紅眼の美女が微笑みながら答えてくる。ここが僕の部屋ということは、この女性は明らかに不法侵入しているということになる。なのにどうして目の前の美女はにこやかな表情でいられるのだろうか?
問答無用に力尽くで追い出すべきだろうか、それとも大声をあげて周囲に助けを求めるべきだろうか。そう考えはするものの、それに待ったをかけるのが抜け落ちている昨晩の記憶である。もしかしたら憶えていないだけで、僕自身が彼女を連れ込んだ可能性も……いや、まさか。……でも記憶がないし。
「確か……、先日森の中で会ったよね?」
そう。目の前にいるのは行商人のラウフさんを助けた後に姿を見せた女性その人だ。
「はい」
枕に頬をつけたまま彼女は頷いた。宝石職人が端正に磨き上げた翡翠のように艶やかな緑髪がわずかに揺れる。
「ひとつ確認しても良いかな?」
「なんでしょうか?」
「もしかして昨日の夜、僕があなたに声をかけたの?」
ありえないとは思うけど記憶が抜け落ちている以上、その可能性を否定できない。
「いいえ、昨夜はお会いしておりませぬ」
「えーと、……じゃああなたはどうしてここにいるの?」
「夜明け前に参りましたところ、ぐっすりお休みのようでしたので無理にお目覚めいただくのもどうかと思い、おそばにて控えておりました」
やっぱり不法侵入じゃないか。加えて僕の質問への回答としては微妙にずれている。あとおそばとは言っているが、どう考えても適正な距離だとは思えない。おそば過ぎる。
「……とりあえずベッドから出てくれる?」
「かしこまりました」
試しに離れてくれと要求すれば、女性はすんなりと応じてくれた。
すっかり目が覚めてしまった僕も同じく布団から出てベッドに腰掛ける。いったい何がどうなっているのかわからないけど、彼女に敵意はなさそうだった。じゃなければ僕が眠っている間、のんびりと添い寝なんかしていないだろう。
「確か……クオンだっけ?」
そんな名前だったはず。
「はい」
最低限の返事をしたクオンはなぜか片膝をついて頭を垂れる。なんのつもりだろうか? まるでこれじゃあ王様とそれに仕える臣下みたいだ。
そんな困惑を内側へ押し込め、僕は平静を装って問いかけた。
「何しに来たの? 僕に何か用? というか一応ここって部外者立ち入り禁止だし、それなりに警備も厳しいはずなんだけど。ああ、いやそんなことより一番聞いておきたいのは……結局あなたは何者なのかな?」
たとえこちらに敵意がなくても正体不明であることに代わりはない。警戒はしておくべきだし、引き出せる情報があるなら引き出しておくべきだ。
「まず、これだけは先に申し上げておきます。それがしは上様の敵ではございませぬ」
「……まあ、それについては信じるよ。今のところ何も危害は加えられていないし」
「感謝いたします。以前もお伝えいたしました通り、それがしの名はクオン――」
視線を床に落としたままクオンは続ける。
その口から紡ぎ出された言葉に、僕の頭は一瞬真っ白になってしまう。
「非才の身ながら、かつて序列九位を名乗らせていただいておりました天魔のひとりにして、上様の忠実な配下にございます」
「は……?」
天魔?
序列九位?
配下?
もたらされた情報を消化しきれず、僕は跪いて微動だにしないクオンを食い入るように見た。
白磁のような透き通る肌、手触りの良さそうな細い緑髪、均整のとれた身体、女性としての魅力をこれでもかと訴える胸のふくらみ。どう見ても人間――それも人並み外れた美女にしか見えない姿だ。
僕は言葉も出ず、クオンの身体を観察するため視線がわずかに動くだけ。一方のクオンもこちらの出方を窺っているのか動く気配がない。ふたりして金縛りにあったかのような光景は、端から見るとこの部屋だけ時間が止まったように見えたことだろう。
「顔を……見せてくれる?」
「はい」
ようやく絞り出した僕の言葉にクオンが反応する。彼女の紅い瞳が僕に向けられた。
うん、やっぱりどう見ても人間にしか見えないや。もしかして僕はこの女性に担がれているのだろうか。
「天魔?」
「はい」
確かに天魔は力が強い者ほど人型に近い。下級天魔はほぼ獣そのものだけど、中級天魔になれば獣のなごりを残しながら二足歩行して手で武器を扱うようになる。さらに上級となれば言語による会話もこなす。
だけどさすがに人間と見分けがつかない天魔というのはほとんど例がない。いや、例外があったっけ。僕が八年前に倒した天魔――【絶元のイスターク】は人間にしか見えなかった。序列上位に入るほどの天魔はもしかしたらイスターク同様人間と同じ見た目なのかもしれない。
「序列九位?」
「はい」
実は序列上位の天魔についてはそれほど情報がつかめているわけじゃない。序列一位のイスタークは有名だったが、それ以外で人類が情報を得ているのは序列三位や序列四位、あとは序列八位の天魔くらいだ。序列二位の天魔については名前くらいしか知られていないし、序列五位から七位に至っては『八位がいるのだから当然五位や七位もいるのだろう』という程度の認識だった。
そして今ここに人類がその情報をつかんでいなかった序列九位の天魔を名乗る存在が現れたわけだ。しかも表面的には友好的なスタンスで。
「配下?」
「はい」
だけど一番意味がわからないのはこれだ。確かにクオンの態度はその言葉を証明するかのような恭しさだけど、僕と彼女はこの前初めて会ったはず。出会ったばかりで配下も何もないよね。
「それはどういう意味?」
「お答えする前にいくつか確認させていただきたく」
真意を問いかける僕の問いかけを後回しにして、クオンは思いもよらないことを口にした。
「ご自身の力が『弱くなった』と感じることはございませぬか?」
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