第16話

 サーラを背負って――と思ったところで中庭に粗暴な声が響いた。


 ちっ、もう気付かれたのか。


 立ち上がって振り向けばひとりの人間が目に映った。いや、黒一色に染められた甲冑に身を包み悠然と歩いてくるその姿は人間にしか見えないが、この場に僕ら以外の人間がいるわけもない。その証拠に甲冑姿の後ろへ付き従っているのは数体の人型に近い上級天魔だ。


 それが何を示すのか。簡単だ。

 天魔は力が強くなるほどに姿形が人間へ近付いていく。そして目の前にいる男は限りなく人間に近い姿をしている。それはつまりこの男が後ろに付き従う天魔たちよりも上位の天魔であるという意味でもあった。


「なんだよおい、こんなガキに三体もやられちまったのか? かあぁ! なっさけねえな! まったく、どいつもこいつも役に立たねえ雑魚ばかりだなあ!」


 その腰には人間のようにひと振りの剣を帯びている。自らの牙や爪で戦う下級天魔では武装することなどまずない。人型に近い上級天魔ともなれば武器のひとつやふたつ使うことはあるかもしれないが、さすがに全身を鎧に包む天魔などごく少数しか確認されていなかった。


「まあいいか。ちょうど暇こいてたところだ! 遊んでやるとするか!」


「いすたーく様自ラ相手ヲシテヤル必要ナドゴザイマセン。ココハ我々ガ――」


 後ろに控えていた天魔の一体が一歩前に出かけて、瞬時に吹き飛んだ。その身体が石造りの壁にぶつかってようやく停止する。壁に血の花を咲かせた天魔は地面に倒れこんだままピクリとも動かなくなった。


「誰が出しゃばれって言った!? 俺の楽しみを横からかっさらおうってのか!」


「イ、イエ……ソノヨウナコトハ……」


 イスタークと呼ばれた天魔の怒声に、他の天魔たちが怯えを見せる。


「せっかく城塞を落としたのに人間どもは一向にやって来ねえし、これならマドリックのやつにケンカ売った方がよっぽど良かったぜ。もっと楽しめると思ったのによ」


 鼻を鳴らしつまらなそうにぼやくと、視線をこちらに向けてきた。


「まああれか。この際贅沢は言えねえよな」


 その赤い瞳でノアを射貫き、ニヤリと笑ってイスタークがゆっくりと踏み出す。


「ちったあ楽しませろよ。人間のガキ」


 僕はサーラを庇うようにして立ち塞がる。


 近付いてくる天魔の名は僕の耳にも入っていた。目の前にいる人間のような天魔、これこそがたった一体で前線都市を攻め落とした【絶元のイスターク】なのだろう。


 守りにあたっていた二百名近い天則式者を千人の戦士もろとも殲滅し、人類の防衛ラインをいとも簡単に突き崩した天魔たちの頂点に位置する存在だ。人類側がこの天魔に勝とうと思ったら、いったいどれくらいの天則式者をぶつければ良いのだろうか。ましてや一対一でこの天魔に勝てる存在など、人間はおろか天魔の中にもいないと言われていた。


 だけど不思議なことに、僕はその時思った。


 これが最強の天魔だって? 嘘だろう?


 虚勢でも何でもなく、ただ純粋にそう感じたんだ。全然強くないじゃないか――と。


 サーラをなぶっていた三体の天魔を倒したときもそうだったけど、本当にこいつらは天則式者が束になってかからないと倒せない程の強者なんだろうか? 普段僕が近くの山で狩っている獣と大して変わらない気がするんだけど?


「カッカッカ。怯えて逃げる気力もなくなったか? つまんねえな、少しは抵抗してくれよ」


 僕が押し黙っているのを勘違いしたイスタークはゆっくりと近付いてくる。嗜虐的な気分にでも浸っているのか、僕にはその歩みが隙だらけに見えた。


 互いの距離が一歩、また一歩と縮まり、とうとうイスタークは僕の間合いに入ってきた。僕の歩数で言えば二十歩ほど。身体能力強化の天則式がなければ到底ひと息では詰められない距離だが、幸いさっき発動した強化はまだ続いている。余分に力を消費してまで発動し続けていた甲斐があった。


 イスタークは完全に油断していた。


 いける。

 その判断と同時に僕は地を蹴って突っ込む。


「な……!」


 瞬時に距離を詰めた僕を見てイスタークが顔を驚愕に染める。


「天則式・狗妖くよう!」


 体勢を整える間を与えず、相手の心臓目がけて手を伸ばす。


「こしゃくな!」


 しかしイスタークはとっさに腕を盾にして僕の手を払いのけようとした。

 僕は瞬時に標的を変え、イスタークの腕へ手を添える。僕の手を通じて流し込まれた力がイスタークのそれをかき乱した。


「ぐっ……おのれ!」


 さすがに腕からでは相手の身体全体へ力を流し込むには至らない。だけどこれでイスタークの片腕は使い物にならないだろう。

 思わぬ不覚にもはや余裕ぶってはいられなくなったイスタークが、残った片手で剣を抜こうとする。


「もう遅いよ」


 わざわざ相手に立て直すまでの時間を与えるつもりはない。僕はさらに一歩踏み込んで、イスタークの懐へと身を差し込んだ。

 その瞬間、僕らの視線が交わる。イスタークの目が何かを悟ったように見開かれた。


「ま、まさか、お前は――!?」


 何かを口に仕掛けたイスタークの胸部に手をあてると、問答無用で僕は天則式を発動させる。


「天則式・玄武!」


 甲冑越しということもあり、先ほどよりも余分に力を注ぎ込んだ。

 同時にイスタークの動きが止まる。


「ヴァ――――!」


 最後に何かを言いかけたままイスタークの目から光が失われ、その身体がゆっくりとあおむけに倒れた。


「こんなのが最強?」


 あまりのあっけなさについそんな言葉がこぼれる。

 実際、最初の一撃を腕で防いだ動きは良かったけど、続く二撃目であっさりと沈む程度の力量だ。とても元天魔王配下序列一位の天魔とは思えないほどだった。


「ヒ、ヒィィィ!」


「いすたーく様ガ……ヤラレタ!?」


「バ、化ケ物ダ……!」


 それまで余裕の笑みを浮かべながら僕らの戦いを見ていた天魔たちがおののいている。僕がそちらへ目を向けると、慌てて一体の天魔が逃げ出した。つられて他の天魔も僕に背を向けて散っていく。


 ちょうど良い。新手が来て囲まれないうちにさっさと逃げだそう。こっちは負傷したサーラを抱えなきゃならないんだから、多数の天魔に囲まれるのだけは避けたい。


「お、兄ちゃん…………すごーい!」


「良いからさっさと帰るよ。背負って走るから怪我に響くかもしれないけど、優しく運ぶ余裕はないから我慢するんだよ」


 まだ身体の動きが鈍いサーラを無理やり背負う。


「うん、ありがとお兄ちゃん。……あと、ごめんね」


 僕の背中に身体を預けたサーラが肩越しにつぶやいた。


「村に帰ったら父さんと母さんにキッチリ叱ってもらうからな。覚悟しておけ」


「うぅ……、わかった」


 そうして僕は妙に騒然とする前線都市の中、サーラを背負って物陰をつたいながら外に出た。天魔たちの目から隠れられそうな森で一晩休んだ後、怪我をしているサーラに無理をさせないようゆっくりと四日かけて村に帰還する。

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