第15話
翌朝、村からサーラの姿が消える。
それを聞いたとき、僕の頭に響いたのはまさかという驚きではなくやっぱりかという諦めだった。慌てふためく両親を横目で見ながら準備を進めると、僕は『サーラを連れ戻してきます。十日くらいかかると思うのでそれまでは心配しないでください』という書き置きを残して村を出た。
サーラが向かっている場所なんてわかりきっている。前線都市だ。
村人から冷たく扱われ、平然とした顔でドライに対応しているサーラだが、決して人の情がないわけじゃない。もともと無謀な行動をしがちな妹だ。まして自分に良くしてくれていた女性のためともなれば、そのフットワークは綿毛のように軽いだろう。消息不明の息子さんを助けに行こうと飛び出したのだろうということは、少なくとも僕にとっては簡単に推測できた。
「考えがわかりやすいのも良し
そうボヤキながら僕は前線都市へ続く道を走る。行商人から手に入れた本を読んだおかげで我流ではあるものの天則式を身につけていた僕は、自分の身体を活性化させていつもよりも速く、そして長く走ることができていた。
相手がただの女の子なら前線都市に着くまでの道中で追いつけたかもしれない。でもサーラはただの女の子じゃない。先月サーラが生み出した奇妙な乗り物――ふたつの車輪をつなげ、跨がるようにして走る馬のようなからくり――が家の庭から消えていた。きっとあれを使っているのだろう。ものすごく乗り心地は悪いけど、天則式を使わない時の僕が走るのと同じくらいに速く移動できるという馬鹿げたからくりだ。しかも天則式と違って触媒も式様もいらないときた。夜のうちに出発したサーラへ追いつけるかどうかは正直微妙なところだろう。
「結局ここまで来ちゃったか」
二日後、僕はとうとう目的地の前線都市にたどり着いてしまった。
ボロボロに崩れ落ちた外壁の隙間から都市に侵入し、物影に隠れながらサーラを探していた僕の耳へ、天魔たちの声が聞こえてくる。
「アンナがきガ下ッ端トハイエ俺タチ天魔ヲ倒ストハナ」
「タマニハアアイウノガ人間ニモ出テ来ルカラナ。術使イジャナクテモ油断シテ良イトイウ訳ジャナイ」
「ヤラレタ奴ガ馬鹿ナンダヨ」
声の主は人型に近い三体の天魔だ。下級の天魔は知性も持たないただの獣と同じだが、上級の天魔へ近付くにつれてその姿は人型に近付き、言葉も操るようになる。彼らは尻尾や耳など一部が獣に近いだけで、見た目はほとんど人間と変わらない。それだけ力を持った天魔なんだろう。
「ソレデ結局ソノがきハドコニ連レテ行カレタンダ?」
「サア?
その会話で自分の顔が曇るのを僕は自覚する。できることならこっそり確保してそのまま気付かれずに逃げるつもりだったけど、そうは問屋が卸してくれないらしい。
気付かれないように場を離れた僕は物陰に隠れつつ前線都市でもっとも大きな建物を目指す。領主の館らしきその建物におそらく天魔たちの言う『
中庭のような場所まで進むことができた僕は、どうやって建物の奥まで侵入しようかと巡らせていた考えを中断する。いや、中断させられた。
「ぐぅ……!」
庭の真ん中、土と石の残骸が散らばるかつては美しい庭園があったであろうその場所から
「ナンダコレ、チットモ反撃シテコナイゾ。ツマランナ」
「ホレ、オ前ラオ得意ノ術トカイウヤツ使ッテミロヨ」
三体の天魔がいた。せせら笑うような声で語りかけながら、小さな物体をボール代わりに蹴り飛ばす。三体の間を朱色に染まった小さな体が跳ねていた。その度に小さな体からは言葉にならない悲鳴が吐き出される。
その瞬間、僕の思考が怒りの感情に塗りつぶされた。
「ごふっ……!」
天魔によって蹴り飛ばされた小さな体が赤い染みを作りながら地面を転がる。強大な力を持った天魔に抵抗する術もない無力な幼子が――僕の妹が一方的になぶられていた。
そこが敵地のど真ん中だとか、発見されないよう身を潜めるとか、そんなことはもはや頭の中になかった。全ての思考が吹き飛んで、ただ僕の身体は衝動のままに物陰から飛び出す。
天則式で身体能力を底上げし、十一歳の身体では到底なしえない速度で距離を詰めると、サーラを再び蹴り飛ばそうとしていた天魔の脇腹へと手を添える。
「天則式・
僕の手を通して力が天魔へ注ぎ込まれる。抵抗はほとんどなかった。
立ち塞がるものもなくスルリと入り込んだ力が天魔の命を容易く停止させ、僕の三倍はあるだろう長身が音を立てて倒れこんだ。
「人間……!?」
「何ヲ!?」
突然現れた僕の存在に残る二体の天魔が驚く。さらにその人間が一瞬で天魔を倒したことに目を見開いた。
「お……兄ちゃん……」
ぼろ布のように倒れていたサーラの目が僕を捉える。その瞳には助けが来たという安心感よりも、いたずらが見つかったような気まずさを伴った焦りが見えるだけだ。
「チィッ、術使イカ!」
「コノ野郎!」
我に返った二体の天魔が同時に襲いかかってくる。呆れるくらいのんびりした速度だ。
ふわりと身を及ばせ、爪でこちらを斬り裂こうと向かってくる二体の腕を避けると、すれ違いざまに一体の天魔を仕留める。
「ナ……ンダト……!」
鎧袖一触。羽虫を払うように天魔を屠った僕へ、残った一体が信じられないといった表情を向けてくる。
当然だろう。いくら天則式が使えるからと言っても、人型に近く言語を操るほどの上級天魔相手に圧倒できる使い手なんてほとんどいない。まして僕はまだ身体の成長しきっていない子供だ。
「イクラ術使イダカラッテ……ソンナコトガ……」
混乱する天魔は自分が知らず知らずのうちに後退っていることなど気付いていないのだろう。理性ではそんなわけがないと考えていても、本能がこの場を立ち去りたがっていた。
もちろん、逃がすつもりはない。僕の妹を傷つけた報いは受けてもらう。
まだ効果の残っている身体能力強化の天則式にものを言わせて距離を詰める。
「ヒッ……!」
すっかり怖じ気づいた天魔が
遅い。
「逃がすか」
必死で遠ざかろうとする背中に手を添えて天則式を発動する。
「イ……!」
一瞬の断末魔を残して天魔が倒れる。
あっけない。こんなものなのかと意外に思ったけど、考えるのは後で良い。
僕は瀕死の妹に駆け寄ると、天則式を発動してその自然治癒能力を強化する。
「え……と……。お兄ちゃん……?」
探るようにサーラが僕の顔色をうかがう。きっと僕の顔には一切の表情が浮かんでいないだろう。見ようによっては激怒しているようにも受け取れるかもしれない。
「あー……っとね。お兄ちゃん」
「説教は後。今はじっとしてるんだ」
「あうぅ……はい」
どんな言い訳するつもりなのかは知らないが、僕らは今天魔たちの支配する前線都市にいるんだ。少しでも早くサーラを背負って立ち去りたいのはやまやまだけど、今にも死にそうな状態だったのだ。多少なりとも治癒させておかないとまずかった。
一瞬で怪我を癒やせるほど天則式は便利なものじゃない。できるのはせいぜい本人が持つ回復力を促進する程度だった。それでもサーラの傷は見る見るうちに塞がり、打撲の後も薄くなっていく。多分骨も折れているだろうけど、そこまではさすがに治せない。
「よし、とりあえずこれだけ良くなれば」
とりあえず傷は塞がったし顔色も良くなってきた。僕が背負って歩けば当然揺れで痛むだろうけど、それは自らの無謀が招いた結果として甘受してもらおう。
「早く逃げるぞ。僕が背負うから――」
「なんだなんだあ? 侵入者っつーのは人間のガキかよ!」
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